ゆっころんのブログ

ハイチ支援レポート 2022年10月号が「ハイチの会」より届く~危険情報 レベル4~

ハイチ危険情報 レベル4

https://haitinokai.com/

ハイチ危険情報 レベル4

外務省は10月14日、ハイチでギャング団による犯罪が横行するなど治安が極度に悪化しているとして、全土の危険情報を「レベル3」から最高度の「レベル4」(退避勧告、目的に関わらず渡航しない)に引き上げました。首都圏だけでなく全土でデモやストライキが断続的に発生し、ギャングによる誘拐、性暴力を使っての住民支配等の犯罪行為で治安、社会情勢は不安定になっています。ギャングは石油ターミナルを封鎖し石油製品の国内流通を妨害し燃料不足で、生活インフラはマヒしています。ハイチ政府は国際社会に対し、治安危機への支援を求め、国連安全保障理事会は、治安回復のための国際部隊の派遣を検討しています。

★コレラ感染拡大  2020年ハイチ大地震の支援で国連平和維持部隊(PKO)が流行させてしまい1万人以上が亡くなってしまったコレラは2019年に一時収束したかと見られたが、2022年になりまた流行し、10月には感染者が拡大しています。清潔な水や燃料が不足しています。

★8月14日午前8時29分、マグニチュード7.2の大地震が首都ポルトプランスから西約125㎞で発生し、ユニセフの推定では震源地に近いレカイ市の被災者は120万人に上がるだろうと発表しています。8月22日に確認されている死者は22,100人、負傷者は12,200人以上。熱帯暴風雨「グレース」が被災地を直撃し、水や避難場所がない上に洪水や土砂崩れで被災者はより困窮しています。

★モイーズ大統領が暗殺されました

2021年7月7日モイーズ大統領が暗殺され、事件の背景は明らかにならないままになっています。事件後はジョセフ氏が暫定首相を務めていました。7月20日にアンリ氏が首相に就任しました。大統領選挙は9月に行われるはずですが、実施計画は未定で、治安は不安定のままです。

~アメリカを目指す人々~

ハイチから貧しい人々がボロボロの船に乗りボートピープルとして、アメリカを目指すことは昔から後を絶ちません。バハマ沖でハイチからの難民を乗せた船が沈没し2月には28人が、3月にはタークスカイコス諸島で10人以上の死亡が報道されています。海を渡り命がけの密航です。

ところが、最近は、密航ではなく移民としてアメリカに向かう方法として「エクソダス」と呼ばれる人々と陸路でアメリカに向かいます。とても過酷な旅…ブラジルに渡り、更にエクアドル、コロンビア、ダリエンギャップ(危険な地域)を通り、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、エルサルバドル、ホンジェラス、グアテマラそしてメキシコを経てアメリカ…と長い苦しい命がけの行進です。

『ハイチには帰れない。ハイチで死ぬかこの旅で死ぬかの選択だ。子どもをアメリカで育てたい。行くしかない』と。

 

ハイチの会は、ハイチ共和国の貧しい子どもたちへの識字教育、生活指導、地域の人々の生活向上を目的とする農業支援、農園建設の活動を1986 年以来続けているNGOです。
ハイチは1804年の独立以来、強国の圧力や国内の政治抗争、また毎年襲うハリケーンの被害により世界の最貧国です。
けれど、ハイチの人々は明るい国民性を持ち、どんなに貧しくても希望を捨てません。
私たちはハイチの人々と「共に生きる」ことを理念とし、ハイチの人々の自立を支援します。
ハイチの会の活動は、1986年の設立以来、みなさまからの暖かいご支援と多くの人々のボランティアに支えられて続いています。
私たちの活動に賛同し、共にハイチの子どもたちやハイチの貧しい人々を支えてくださいますようお願い申し上げます。(代表 中野瑛子)
      郵便振替口座 00800-8-124996

【辻信一のぶらぶら雑記帳より】ナマケモノ倶楽部2022年11月1日より

ゆっころんです。

あ~なんて素敵な話。みんなに知らせたい!

多言語・多文化で平和な国をつくったスイスについてのアンヌ・マリーの話

以下転送します。https://mail.google.com/mail/u/0/#inbox/FMfcgzGqRPwNhNwwhlTPpVMlZmpJxMhS

平和をあきらめない サティシュ・クマール

滋賀、京都、甲府と旅をして、友人たちとの楽しい時を過ごし、多くの美味しいものと美しいものを堪能し、一昨日戻った。事情があって帰宅が遅れたせいで、食事をとる間もなく、パソコンを開き、zen2.0主催のオンライン・イベントに参加した。ゲスト・スピーカーはサティシュ・クマール。わが師のために、ぼくは通訳を務めさせていただいた。講演のタイトルは「ラジカル・ラブ」。来年2月14日のバレンタイン・デーに出版されるはずの本のタイトルでもある。

 

翌日、長くサティシュが編集主幹を務め、今も記事を連載し続けている雑誌『リサージェンス』(2022年11月〜12月号)のオンライン版が届いていた。いつものようにまず、サティシュの文章を読む。そこに、前夜のトークでも彼が触れていた「スイス・モデル」の話が出ていたので、早速、訳してみんなに見てもらうことにした。

 

美しい秋晴れの日。ウクライナでの戦争が長引いている。今日も多くの人が傷つき、命を落としている。戦争のニュースに飽きたり、無関心になったり、思いやることに疲れたりすまい。平和を諦めまい。

 
 

ウクライナの平和 

サティシュ・クマール

 

最近、スイスで行われたキリスト教系のリトリートに、若者たちとともに参加したときのことだ。私たちはレマン湖とアルプスの雄大な山々を望む部屋に集まっていた。誰もが、ウクライナの戦争のことを気にかけていた。

 

なかでもアンヌ・マリーというスイス人女性は、ウクライナの惨状を前に、悲痛な表情を浮かべていた。「何千という普通の市民が家を失い、難民となっている」と彼女は言った。

 

「アメリカ人はベトナム、イラク、アフガニスタンで戦争をしてきた。でも、彼らはいったい何を達成したの? 何もないじゃない!」と、別の女性、クリステルが言った。「ロシア人とウクライナ人が互いに殺し合うことで何かを解決できる望みがあるでしょうか?  バカげているわ。結局は交渉で解決するしかない。これだけの殺戮と破壊の後に話し合いや交渉をするのなら、なぜ殺戮や苦しみの前にそれをしないんでしょう?」

 

「それが常識だよね。でも、常識はもはや常識ではなくなってしまった」と、部屋の後ろのほうから声がした。発言したのはマイケルという男性だった。「もちろん最終的には、交渉によって共通の基盤、共通の利益を見出さなければならない。ウクライナ人とロシア人は隣同士で暮らさなければならない。彼らは隣人なんです。地理を変えることはできないのだから」

 

これに応えるようにアンヌ・マリーが言った。「ウクライナは核武装したロシアと隣り合わせの小さな国。だから、ウクライナはロシアに侵略の口実を与えてはいけない。それなら、ウクライナは、スイスのようになればいいのに」

 

「 スイスのようになる、とはどういうことかね」と私は質問してみた。彼女はこう言った。

「私たちの国スイスはNATOに加盟していないんです。E U(欧州連合)にも入っていない。ユーロ圏にも入らず、自国通貨を維持している。それでも、ヨーロッパとはもちろん、他の国々とも貿易ができる。ウクライナにも同じことができない理由があるかしら? 第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも、スイスは中立を守った。なぜウクライナも、中立国として、すべての国々と友好的であり続けることができないのでしょう? スイスには敵がいない。すべての国が友人なの。それが“スイス・モデル”というものです」

 

「でも・・・」と、私はさらにこうたずねた。

「ウクライナの中央政府と、東部や南部のロシア語を話す人々との間には、長年の紛争があったという。ウクライナ語圏の人とロシア語圏の人との内戦も続いているなら、それをどうやって和解させることができるだろうか?」

 

アンヌ・マリーはこう応えてくれた。

「そこでも、スイスを見習う必要があるわ。スイスには、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つの国語があります。これらはすべてスイスの公用語。ウクライナはウクライナ語と同様、ロシア語を重要な公用語とすることができる。言語の多様性は賞賛されるべきです。複数の言語があることで、文化的な豊かさがもたらされる。またスイスでは、行政機能の大部分が地方に分散されています。スイスには22の自治州があってそれぞれが大きな自治権をもっている。国の問題の多くは、住民投票によって解決される。首相も大統領もそれほど重要ではないんです」

 

そして彼女は私に、「スイスの大統領や首相が誰だか知っていますか?」と訊いた。

「いや、知らない」 と私は答えた。

「でしょ。知らなくていいんです」とアンヌ・マリー。

「それがスイス・モデルなんです。スイスの憲法は、中央政府に大きな権限を与えていない。だから国内も平和だし、隣国とも平和に暮らしている。ウクライナも同じようにできるはず。戦争は解決策にはならないんです」

 

「でも、ウクライナ人は、その戦争を“プーチンの戦争”だと言っている」と私は言った。

「アメリカやヨーロッパの政府も、西側のメディアの多くも、これはプーチンの戦争だと信じている。そんな人たちに、あなたならなんと言うかね?」

 

「“タンゴを踊るには二人が要る”って言うわ」 とアンヌ・マリーは答えた。

「ロシアはウクライナ人を非難し、ウクライナ人はロシア人を非難している。平和を望むなら、非難合戦をのり越えなければならない。両者が歩み寄らなければならないんです。“妥協(compromise)”という言葉は誤解されているけど、実は、肯定的な意味をもつ言葉なの。それは「共に(com)約束する(promise)」という意味です。争っている同士が一緒になって、中間地点に立ち、共通の利益を見出して、共に合意すること。それが本当の意味での妥協です」

 

アンヌ・マリーはそこで深呼吸した。しばらく間を置いてから、彼女は言う。

「ウクライナの子どもたちが両親と結ばれるのを見たい。何百万人もの難民が故郷に帰る姿を見たい。何百万人もの難民が故郷に帰る姿を。老人や病人がちゃんと面倒をみてもらう姿を見たい。戦争は不毛です。勝者なんていない。誰もが負ける。これにいったい何の意味があるのでしょう?」

 

多言語・多文化で平和な国をつくったスイスについてのアンヌ・マリーの話に私は感動した。そして、これはウクライナだけでなく、全世界が平和へと向かう道なのではないかと思った。私は、レマン湖とアルプスの美しい山々を眺めた。湖も山も争わず平和だ。それらもまたそれなりの仕方で私たちに平和を訴えていた

無関心

環境活動家 谷口たかひささん
https://www.youtube.com/watch?v=IuDXgHxzdLM
環境問題に無関心な人はいても、、無関係な人はひとりもいない
              
故 阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)さん日本のガンジーと言われた人
日本の平和運動家。戦後、アメリカ施政権下の沖縄で米軍強制土地接収に反対する反基地運動を非暴力で主導。
2019年 沖縄伊江島にて
平和の最大の敵は無関心である。戦争の最大の友も無関心である。
今日2022年9月28日の中日新聞に27日の「阿部の国葬反対」デモの様子も出ていました。
私も参加。
単純に16億以上のお金、税金を夜横になって寝る場所を探さなければならない人達のために使った方がいいし、100回以上嘘を言った人を国葬にするなんて、ま~いい大人たちがどんな政治をしているのだろうと思う。
名古屋での国葬反対のデモ、400名じゃまだまだ少ないですが、平日だったし~
海外でのように、抗議する人々が埋めつくすような熱気は日本ではないですね。
新聞に参加者のコメント
「黙っていたら賛成したことにされそう」と19歳
本当にそうですね。
■フェアトレード団体ネパリバザーロの便り9月1日発行より 創始者土屋春代さんのコメント一部紹介
・・・これまでのように自分のこと、目前のことだけを考えてなんとなく生きられる時代とは違うはずですが、私を含めて戦争を知らない世代の危うさは自分が何かしなくても平和はあると思い、戦争なんて”馬鹿げたこと”が起きるはずがないと安易に信じていることではないでしょうか? 教えてくれる先輩たちがいなくなったら自分で考え理るしかありません。どうしたら戦争をしない国にできるかを。(春代)

「311甲状腺がん子ども支援ネットワーク」事務局より署名のお願い

「311甲状腺がん子ども支援ネットワーク」事務局より:

オンライン署名はこちら▼
https://chng.it/F2SF8rv8n8

コメント欄より

通常では10万人に一人といわれる子供甲状腺がん、対象のフクシマの子どもたちは、38万人なので4人のはず。それが300人を超えた! 原発由来としか考えられません。

以下転送~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
東京地裁の坂本裁判長は原告の声を無視して、11月9日の第3回口頭弁論で原告の意見陳述を打ち切るつもりです。福島原発事故が甲状腺がんを引き起こした事実を裁判所自らが消しにかかる。許される行為ではありません。
下をお読みいただき、すぐにオンライン署名(「原告の意見陳述」と「大法廷」での裁判を求める)をして頂くようにお願いします。

 

また、お知り合いの方に、このメールを転送して署名を訴えてください。
先日9月7日の第2回口頭弁論が開かれた日に「311子ども甲状腺がん裁判」の原告団が結成されました。
原告団長に就任した原告のちひろさんより、緊急のお願いが届きましたので、皆さまにお送りします。
ぜひ最後までお読みください。
================================
裁判を応援してくださる皆様へ
私は先日9月7日に発足した「311子ども甲状腺がん裁判」原告団の団長に就任しましたちひろです。
すでにご存じだと思いますが、東京地裁の坂本三郎裁判長は、次回11月9日の第3回口頭弁論を最後に原告の意見陳述を認めないとの考えを示しています。

 

また大法廷での弁論も拒否しています。9月7日の第2回口頭弁論の前に開かれた進行協議では、原告である私が「意見陳述をたくさんの支援者に伝えたいので、大法廷を使用してください」と裁判官に直接、お願いしました。しかし、裁判長は「原告本人の話を聞いても同じ。大法廷は考えていない。」と明言しました。

 

とても悲しく悔しいです。弁護団は9月29日に改めて裁判所と協議する予定ですが、このままでは、原告全ての「意見陳述」も「大法廷」の使用も、実現が難しい状況です。ぜひ私たちに力を貸してください。
裁判所は甲状腺がんとなった私たちの声を聴こうとしていないこと、大きな法廷で開かないという事実を、一人でも多くの人に広げ、署名に参加していただけるようお願いいただけないでしょうか。
私は、原告7人のうち、最後に意見陳述することが決まっています。ここままでは、私は意見陳述する機会がありません。どうぞお願いいたします。
2022年9月  原告団長 ちひろ
================================

以上が、原告団長のちひろさんからのメッセージです。

現在「原告の意見陳述」と「大法廷」での裁判を求める署名の第二集約日は10月15日(土)ですが、まだあまり集まっておりません。
とても急なスケジュールですが、署名集めにご協力いただける方は、9月26日(月)14時までに info@311support.net まで部数と送付先を記載の旨ご連絡ください。
事務局からも心からお願い申し上げます。
また、こちらのオンライン署名と署名用紙のダウンロード先についても
情報の拡散をお願い申し上げます。
オンライン署名はこちら▼
https://chng.it/F2SF8rv8n8
署名のダウンロードはこちら▼
https://www.311support.net/post/%E7%BD%B2%E5%90%8D%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%81%AB%E3%81%94%E5%8D%94%E5%8A%9B%E3%82%92%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84%E8%87%B4%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%EF%BC%81
何卒よろしくお願いいたします。

野入日記2022年9月19日(月祝)想像は楽し・竹富島の星の砂・南西諸島に陸上自衛隊を配備する動き

ゆっころんです。

今朝は台風14号の影響で庭は、降ったりやんだり太陽の陽がさしたりのなか風が舞っています。祝日って何の日?って感じですが敬老の日でした。

することがないような日々を送るのはつらい。生涯現役ですごしたいと思う。

想像は楽し!

廊下でそとの様子をみながら、夫と二人で朝食。

アイスクリームの懸賞の賞品に宝くじがあり応募すると張り切っている夫、「当たったらどうする?」の私の問いに彼は「風の庭」の改装に夢は広がる….

・母屋の屋根を瓦吹きにする(今はスレート?)

・1階の軒の屋根がトタンなので変える

・蔵に窓をつけ宿泊できるようにする。水屋・トイレもあるといい

・蔵の外装、今はトタンだけれど変える

・納屋を手作りする工房にする

・廊下つきあたりの昔のトイレを風呂・トイレに改造

想像しているだけで楽しい。

孫4人の将来もそれぞれに想像する。もし見届けることができたら80歳はとうに超えている。生かされている命をどう使うか?

環境危機問題も一人一人の暮らし方にかかわってくる。暮らしは政治に大きくかかわっている。女性と男性の調和がとれた社会を目指したい。

かって8000年から一万年も続いた闘いのない女神の時代があったように…..。(水上洋子・葉月純著 「女神の時代」女性原理が21世紀の文明を作る~より)

■台風14号

伊勢湾台風級かそれ以上とかの14号。

伊勢湾台風は、小学校6年生だった。2階で吸い込まれたりふくらんだりする窓のサンをもって、トタンがどんどん飛んでいく様子を見ていた。怖かった。我が家は特に被害はなかったけれど、港近くは満潮と重なってとても大変でした。台風災害としては明治以降最多の死者・行方不明者数5,098名だったそうです。

翌朝は、台風一過で天気は晴れ。実家は材木商の小売店だったのでお客さんが一杯見えた。その後学校では、被害にあった子が転校してきました。すぐ上の兄は中学3年生だったので修学旅行が中止になりました。

実りの秋の台風、稲も心配です。「いままでにない」という災害のニュースが届くたびに地球の悲鳴が聞こえるようです。誰かがやってくれると思ってここまで来た30年以上の時間経過。

環境問題に真剣に取り組む政党を支持したい。目先の利益を追う政治家は次世代の未来を食べている人達で、投票棄権する人は、日本の人口の1/3の指示に加担しているわけ。

■かっこちゃんのMLより

今朝のメールは、石垣島にいるかっこちゃん(山元加津子さん)の話。

川平(かびら)湾 https://rurubu.jp/andmore/article/8604 は私たち新婚旅行の思い出の島では。。。。   自衛隊配備に揺れる石垣島

川平湾

私たち夫婦の新婚旅行は沖縄経由の石垣島でした。そこから15分の竹富島の星の砂のことが書いてありました。

砂浜で砂を握れば、そこには星の砂がいっぱいあり、瓶に入れて持ち帰った。そんな人が50年続けば、死んだ有孔虫の殻である星の砂はなかなか見つけるのに大変になるということですね。

以下かっこちゃん(山元加津子さん)転送

石垣しまから竹富島には15分くらいでつきました。

そこで、バスに乗ったら、バスの運転手さんが島のことについて教えてくださいま

した。

公共の建物は四つです。保育園、小中学校、診療所、郵便局。

警察はありません。警察官もいません。郵便局は島で一番冷房がよく効くところ

だから、みんな大好き郵便局。そこでご飯を食べたり、しゃべったりします。

小中学校の生徒さんは三十八人、先生は二十人。先生が多いので油断ができない。

 

そんなお話でした。まず星の砂について、その浜で、取り方を教えてくださいまし

た。え!?こんなに大変?とびっくりしました。

だって、手のひらを岩場の間の砂場につけて、そこで星の砂があるかないか、あっ

たらそれをとって袋に入れる。そんなに大変なのです。私は砂浜全体が星の砂なの

かなと思い込んでいました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/星の砂

■南西諸島に陸上自衛隊を配備する動きが加速http://gendainoriron.jp/vol.09/feature/f11.php より

八重山諸島の主島、石垣島(石垣市)もその一つだ。人口約5万人。台湾との距離は270㌔と、沖縄本島の400㌔よりはるかに近い「国境の島」だ。昨年11月、防衛省が市に配備受け入れを正式要請、島は自衛隊配備をめぐり揺れている。

「地元」の頭越しに候補地選定

一部紹介

「保守だの革新だの言っている場合ではありません。取り返しがつかなくなる前に、意思表示をしてほしい。沖縄が本土防衛の捨て石になるのはもうたくさんです」

石垣島で生まれ育った上原さんの親せきには、「戦争マラリア」の犠牲者もいるという。石垣・八重山には地上戦はなかったが、「もうひとつの沖縄戦」といわれる「戦争マラリア」の悲劇があった。3600人以上が命を落とし、うち石垣島は3000人以上を占めた。

 <<『 週 刊 金 曜 日 』 メ ー ル ニ ュ ー ス >>  2022.9.2 より 違憲の国葬問題  ~国葬による負の影響や「囚われの聴衆」

<<『 週 刊 金 曜 日 』 メ ー ル ニ ュ ー ス >>        2022.9.2

_________________________________________________________『週刊金曜日』より一部紹介

■シリーズ国葬への疑義・第4回
憲法学者が点検する岸田政権による違憲儀式の政治利用

「誰の死をも政治利用してはならない」──シリーズ「国葬への疑義」第4回にあたる今週号では、気鋭の憲法学者2人に、憲法上の疑義から考えうることを考察してもらった。そもそも「弔意の強制」が憲法19条の「思想・良心の自由の保障」に反することや、国葬の強行が何ら法的根拠をもたないことは、憲法研究者ならずとも多くの市民が共有する「常識」になりつつあり、国葬問題は新たな段階に突入している。

それは戦後、私たちの社会が曲がりなりにも築いてきた法治主義や「個人の尊重」といった憲法的価値の対極にある「人の死の政治利用」への告発の動きだ。

これは今まさに焦点の統一教会と政治家の問題とも直結し、さまざまな虚偽と不法・違法を重ねてきた故・安倍晋三元首相の政治手法やその内実への評価とあいまって、安倍氏の国葬が統一教会問題の徹底解明を妨げる疑惑隠しにもつながるのではないか──との懸念となって表出し、岸田政権の支持率も急落している。

学者や市民による提訴を含めたさまざまな批判が噴出する中で、今週、新たな動きが加わった。戦後の司法反動の激動期に最高裁の人事権濫用と闘い、民主化を求めた司法修習生代表の資格剥奪を撤回させた弁護士や元裁判官のグループ(「23期・弁護士ネットワーク」)が、新たな視点から声明を発表したのだ(きんようアンテナ欄参照)。「国葬」の名で国費を支出するならば、「国会の議決に基づくことを必要とする」などの憲法上の財政民主主義に反することも訴えている。(本田雅和・編集部)”

●法整備や国民的合意を省略
法の支配を無視 既成事実化しても違憲
小林節

岸田文雄政権が強行しようとする安倍晋三元首相の国葬は、憲法に照らしてどこに問題があるのか。憲法学者の小林節氏が六つのポイントを挙げ、解説する。

●必要なのは真相究明で、それを塞ぐ《まつりごと》ではない
憲法とも民主主義とも相いれないシンボルの政治
志田陽子

「各種の真相究明が先で、実績を一方的に称賛する儀式を行なうことは、民主主義の理路とは相いれない」と指摘する憲法学者の志田陽子氏。国葬による負の影響や「囚われの聴衆」にされることを懸念する。

日本の食料保障の現実はアフリカ諸国よりも脆弱だったとは。。。

以下 星川淳さんのFBより
食料自給率の低さは安全保障上の特大リスク――米国の言いなりで莫大な国費による琉球弧の軍事要塞化などを進め(それも米軍の時間稼ぎのための捨て駒にすぎないと知りながら…)、米国製兵器を爆買いし続けるだけの安保政策は自滅の道ですね!
地図、テキストの画像のようです
 8月24日
衝撃的な数値だ。日本の餓死者が世界の餓死者の3割を占める。日本の食料保障の現実はアフリカ諸国よりも脆弱だったとは。
 核戦争が起きると直接放射線被ばくで死ぬ人の十数倍の人が食料難で餓死すると想定されている。核爆弾による粉塵による被害と食料輸入が止まって2年で食料供給が尽きる。比較的少ない核兵器が使われた核戦争でも日本は6割が餓死。そのレベルの核戦争ではアフリカの多くの国は影響をうけないのに、日本は大半が餓死する。
もちろん、先進国の中で、それは日本だけ。世界の餓死者の約3割はなんと日本(1)。米国の大学研究チームによるシミュレーションに過ぎないが、そこまで日本の食料事情は脆弱であると指摘されていることはしっかり受け止める必要がある。
 核戦争がなくとも、輸入が止まれば、日本では畜産はほとんどストップ。野菜もタネがないので作れなくなる。化学肥料も使えないので、自家採種している有機農業・自然農法やっている人以外は生産の継続も難しくなる。

衝撃的な数値だ。日本の餓死者が世界の餓死者の3割を占める。日本の食料保障の現実はアフリカ諸国よりも脆弱だったとは。

 

核戦争が起きると直接放射線被ばくで死ぬ人の十数倍の人が食料難で餓死すると想定されている。核爆弾による粉塵による被害と食料輸入が止まって2年で食料供給が尽きる。比較的少ない核兵器が使われた核戦争でも日本は6割が餓死。そのレベルの核戦争ではアフリカの多くの国は影響をうけないのに、日本は大半が餓死する。

 

もちろん、先進国の中で、それは日本だけ。世界の餓死者の約3割はなんと日本(1)。米国の大学研究チームによるシミュレーションに過ぎないが、そこまで日本の食料事情は脆弱であると指摘されていることはしっかり受け止める必要がある。

 

核戦争がなくとも、輸入が止まれば、日本では畜産はほとんどストップ。野菜もタネがないので作れなくなる。化学肥料も使えないので、自家採種している有機農業・自然農法やっている人以外は生産の継続も難しくなる。

 

核戦争でなくとも輸入が止まることは非現実的な想定ではなくなってきた。気候危機による自然災害、紛争、感染症パンデミック。こんな事態になっているのに政府は食料自給率を上げることには消極的。要するに米国からの食料輸入を国是=前提にしてしまっている(食料政策における安保体制)ので、それを変えない限り、上げようがない。だから農業強化策も農産物輸出のみになってしまう。

 

しかし、このような事態では輸出を考えている場合じゃない。こんな脆弱な日本に一体誰がした。今は、地域の食を強化するために目の色変えて必死に動かなければならないのに、それでも政府に動きは見えない。生産をむしろ減らすことが政策の柱だったりする。

 

自民党はその一方で細胞農業推進議員連盟を立ち上げた。細胞農業とはまさに細胞を育てる農業。動物の幹細胞を取り出して、それを培養して、肉にする細胞培養肉のように細胞だけを育てる。細胞農業の工場作れば食が確保できると思うかもしれない。食料危機対策になる、と。でも、それはありえない。

 

細胞を培養するためには、細胞を育てるためのミネラルを供給しなければならず、それには大量の大豆などもやはり必要になる。大豆などの大量輸入も国内生産もできない状況では、細胞農業の工場作っても肉は作れない。食料危機の解決にはまったく役立たない。そんな役に立たないことにお金使っている場合じゃないのだ。

 

また、他国に食料を頼る脆弱な日本にとっては国際関係の安定は何より重要となる。国際的な紛争はそのまま日本で飢餓の最大の要因になりかねない。それなのに他国を必要もなく、挑発したり、歴史的事実を書き換えようとする政治勢力が増えている。身の程知らずとはこのことだろう。歴史に学び、世界の人びとと和解し、世界に貢献できるようになってこそ、本当の意味の誇りも回復できる。そうしなければこのままでは名実共に日本は本当に滅びてしまうだろう。

 

核兵器を全廃させ、国際間紛争を起こさせない努力はもちろん必須だが、気候危機や生物絶滅危機、感染症パンデミックも危険は高まるばかり。

だからこそ、地域の食のシステムを急いで立ち上げる必要がある。そしてそれを自然の循環を生かしたシステムにしていく必要がある。まったなし。

(1) 核戦争後の「核の冬」 食料不足で世界の50億人犠牲、日本では…

https://digital.asahi.com/articles/ASQ8N5J2HQ8MPLBJ002.html

元になった論文。地図はここから

https://www.nature.com/articles/s43016-022-00573-0

【未公開分】2019年10月18日~22日沖縄カカオプロジェクト の カカオフレンズツアー報告 その2

②資本主義とフェアトレード

【10月21日】

反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」

伊江島(本部からフェリーで30分) 命どぅ宝の家は以前訪問したことはありましたが、その時は「日本のガンジー」と呼ばれた人阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんの反戦平和資料館を阿波根さんが亡くなられた数年後に訪問。著「命こそ宝」「米軍と農民」を読んだのは最近のことでした。戦争で伊江島でおきたこと、戦争がくり広げるむごいことが繰り広げられていた。(実は、日本が朝鮮や中国でしていたことでもあるのだけれど)彼の行動は、なみの人ではないことを痛感。

『命こそ宝―沖縄反戦の心』(岩波書店、1992年)

『米軍と農民 沖縄県伊江島』(岩波書店、1973年)

 阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう、1901年3月3日 – 2002年3月21日)は、日本の平和運動家。日本のガンジーとも言われ、座って、肩より手を上げないという取り決めをして抗議交渉。戦後、アメリカ施政権下の沖縄の伊江島で米軍強制土地接収に反対する反基地運動を展開、沖縄本島では乞食行進をして伊江島での実情、農民にとって農地がなければ食べていけない、生きるために乞食(托鉢)を決意、乞食することは恥だが、そうさせるアメリカ軍はもっと恥と、アメリカ軍による土地強奪の不当性を訴える。

農民の苦悩に満ちた生き方と、知恵に富み高い道義に立った根気のいる長い必死の闘いがこの2冊に記録されている。自宅敷地内に反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」を自費で建設

命どぅ宝

阿波根昌鴻さん 「わびあいの里」

https://www.facebook.com/wabiainosato
http://wabiai.holy.jp/

謝花悦子さんと

はじめに、「何しているの?」という問いに「フェアトレードの店をしています」の答えに「フェアトレードって何?」と聞かれ、コーヒーやチョコのことを例にとり説明し、ネパリ・バザーロは28年、フェアトレード・ショップは24年と話をすると「いいことだね、出来ればいいね。だけではなく20年以上行動していることが素晴らしい。木だって大木になる。」

阿波垠さんも一人息子さんがみえたが、沖縄戦で戦死。謝花さんが養女となり50年寄り添うなかで今も阿波垠さんのメッセージを伝えている。

阿波垠さん『資本主義を替えることは無理、例え軍備が無くなっても闘いは終わらない。いかに平等に分配するかが重要。資本主義はお金さえあればだが、お金はいくらあっても無くなる。土は人間に還元してくれる。人間が生きるには土地が大事、何年使っても糧を与えてくれる。』と彼のメッセージを伝えながら

阿波垠さんに「生きている時に会わせたかった」と言ってくださった謝花さん。

これはフェアトレードの活動をしている人みんなへの言葉だと思いました。また20年以上続けてこられたのはそれを支えてくれる人々がみえてのことだけれど。

おもえば、体の不調で休むこともなく、生産者を訪ねる旅には10ヶ国でかけ、子どもらも成人してそれぞれの道を歩むことで安心して仕事を続けられたことに自分でもびっくりするくらい24年という月日の重さを実感した。夫や恵まれたスタッフなどすべて感謝しかない。

謝花さんに、フェアトレードに出会って心動かしたメッセーを頂いたのですが、実は今年と昨年と謝花さんに会い、カタログなど資料も送っていたネパリ・バザーロのいままでのつながりがあって、この日ガッチっと謝花さんの心に届いた日でもありました。

以下、ネパリ・バザーロの土屋春代さんのブログより転載

≪「命どぅ宝の家」@沖縄、伊江島 ≫

「基地を開放しても、闘いは終わらない。資本主義の中で、物が平等に分配されるまでは。」

「資本主義の根本を知り、その上で闘わなければならない」

2月の沖縄訪問の際、阿波根さんのずっと側にいらした謝花悦子さんからお話を伺い、衝撃的な言葉を聞くことができました。生前、常に阿波根さんが問い続けられていたことだそうです。

まさに、私たちの活動に重なるものだと思いました。戦略的、積極的非暴力であるフェアトレード。

日本のガンジーといわれる阿波根さんの魂受け継ぎ、そして無残に失われてしまった尊い命の声なき声を胸に刻んで、地道な活動を続けていこうと、改めて心に誓いました。

最後に、謝花さんからのメッセージです。
「これから生まれる子どもたちに、平和な社会を残すか、戦場を残すか。あなたたち、一人ひとりの肩にかかっています」

資料館では、暮らしと共にあった品々に手を触れて、先代の体温を感じ、言葉の一つひとつを心に刻みました。
(2018.2.11訪問)

まさに、フェアトレードは今の経済に抗う市民の運動それは以下のメッセージにもスイッチでき、私の心のなかでは今回の旅は、フェアトレード運動・実践を続けていくことを阿波垠さんや謝花さんにも後押しされた思いです。

高田・土井・土屋・謝花さん・高橋

以下は、今回一緒にカカオフレンズツアーに参加した高田洋子さんのメッセージです。

フェアトレードとイギリスの経済学者JSミル

2019年9月18日ユニオン学校にて たかだ洋子&土井ゆきこ

2019年10月18日~22日沖縄カカオプロジェクト の カカオフレンズツアー報告

③沖縄、福島を深く知ることで今の様々な問題がみえてくる

 

【10月21日】名護 ネクストステージ

森を守る取り組み「センブランド・ヴィダ」~自然の恵を分かち合っていくこと~ メキシコより &7月31日講座の感想

気候変動・自然破壊・移民の問題。多くの問題を抱えるのはメキシコに限ったことではなく、もはや地球全体の問題となっており、SDGs(持続可能な開発目標)では17項目の解決すべき目標を掲げている。

メキシコで、先住民と暮らしたことのある大統領が誕生! アンドレスマヌエル・ロペスオブラドールさん(64)3回目の挑戦。

愛称は、氏名のイニシャルから「AMLO(アムロ)」。大統領選は3度目の挑戦だった。2006年、12年とも2位で敗れた。小差だった06年には「選挙に不正があった」として独自に大統領就任の宣誓をした。

そんな政治家になるとは、想像できないおとなしい少年だったという。

転機は20代前半。先住民に農業を教える仕事に就いた。ともにハンモックで寝起きしながら、貧しい暮らしを間近に見た。

メキシコが抱える、大きな貧富の差を知ったことが政治家としての原点になった。今回の勝利宣言でも「すべての人の幸せのために働くが、まず貧しい人を優先する。特に先住民を」と語った。00~05年にメキシコ市長を務め、社会福祉の拡充やメキシコ市民を悩ます渋滞の緩和などに取り組み、支持を集めた。

南米、コロンビアでも「アンデス山脈が動いた」と形容できるほど歴史的な出来事、独立以来200年余の間に一度も革新政権がうまれなかったコロンビアに8月7日、左翼振甫主義者のグスターボ・ペトロ新大統領(62歳)が誕生。

先住民の主権をまもるためにたちあがる南米の姿、その一つメキシコの新大統領はマヤ先住民ナワット族の1977年設立のトセパン協同組合の森林農法(アグロフォレストリー)に見習う「センブランド・ヴィダ」政策を掲げた。

トセパンと九州のウィンドファームは、フェアトレードでつながり、名古屋にも2010年トセパンのアドバイザーであるレオナルド・ドゥラン氏を招いてシンポジウムを開催。

ゆっころんは、2007年にトセパン協同組合をツアーで参加。

その時の話と現在のトセパンとの報告を7月31日「タルシルCafe」講座で話します。

7月31日企画チラシ (1)←詳しくは

 

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トレードの会社 九州のウィンドファーム カタログ2019年6月発行より

コーヒー生産地とつながる旅より

2018年 12月1日に発足した、 ロペス・オブラードル大統領率いるメキシコの新政権が最も重視している政策が

「センブランド・ヴィダ(いのちの種をまく)」と名付けられた100万ヘクタールの植林プロジェクト。単一栽培ではなく、森林農法(アグロフォレストリー)による作物のの植林・栽培

目標・森林農法による森林再生と生態系の保全

  ・貧困対策として40万人の直接雇用を生み出す

  ・地域に昔からあったコミュニティのつながりも再生する

環境大臣のマリア・ルイサさんは、ウィンドファームと長年フェアトレードで提携してきたトセパン協同組合出身。

【センブランド・ヴィダの植林】は、森林農法(アグロフォレストリー)を基本に

・短期=伝統農法”ミルバ”で野菜類を植える。主にトウモロコシ・豆・かぼちゃ

・中期=3~4年で実をつける果樹の植林。カカオやコーヒー含む

・長期=生産、発育期間が長い樹木の植林。木材となる樹木。

サポート体制

・各地に苗床の設置

  ・一生産者あたり2.5ヘクタールの植林を、25名で1つのグループ編成で登録し、

   定期的に役所へ現状報告

  ・給与は月5000ペソ(約2万7000円)生産者に直接振込され、このうち500ペソ

   は貯蓄

  ・各グループには、技術指導者一人、ソーシャルワーカー一人配置

この30年間、新自由主義のもとで地方や農村の経済的、社会的危機はひどくなり、耕作放棄地が増えました。農村で暮らしていけないため、多くの若い人たちが都市部や米国を中心とした海外への出稼ぎに行ってしまう状況がありました。

センブランド・ヴィダでは、農村に暮らす人たち、特に若い人たちが畑での仕事に威厳を持ち、コミュニティを基本とするローカルでの取り組みを強化することで、まさにこれはトセパン協同組合が大切にしてきた理念そのもの

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フェアトレードの会社 九州のウィンドファーム カタログ2022年1月発行より

アメリカの気候変動問題担当大統領特使であるジョン・ケリーが2021年10月18日「センブランド・ヴィダ」訪問

2021年の予算は、289億ペソ(約1600憶円)

植林活動従事登録者 44万4790人(69%男性、31%女性)

植林の運営管理を担うコーディネーター、ファシリテーター、および技術者は4911人

”若者の未来プロジェクト”ろいう奨学金制度で学ぶ若者3万8514人

現在、8憶1700万本の植林と111万2000ヘクタールの森林再生が進行中。

【環境大臣マリア・ルイサの説明】

元トセパン協同組合顧問で、現在はメキシコの環境大臣であるマリア・ルイサは「センブランド・ヴィダ」が担う環境保護や農業生産の役割は、国内の先住民の農業スタイル、つまり森林農法(アグロフォレストリー)が手本となっていると、ジョン・ケリーに説明。

・アグロフォレストリーの二酸化炭素の吸収量

100万ヘクタールに植林すると、年間1780万トンのCO2を吸収

森林農法を展開する地域では、

10リットルの水のうち9リットルは森林農法の恩恵により生み出され、

その9リットルのうち、6リットルは生活・農業に使用、

残り3リットルが地下水脈へと流れる

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^以下は7月31日講座の感想

*環境にしても民族独自の文化にしても、どんどん消失していっているというような話ばかり聞く中で、このような場所がある事が知れた事は大変な驚きであり、またうれしい事でした。改めて太古から受け継がれて来た、自然と先人の知恵を守って行く事の大切さを感じました。(40代 男性)

 

*「トセパン」という語感が好きで、今気に入っているコーヒーだったけど、ゆっくりメキシコのお話がきけてよかったなぁ~。森を守ること。

紙芝居メキシコ行ったよ(紙芝居文化の会)(60代 女性)

 

  • 「地域の集団の働く・生活」=「自治(政治)」なんだなァ。日本はなんかすごーく遠くなっているなァ。
  • 「学び」生活や仕事からなんだなァ。
  • 環境大臣ってすごーく対峙なんだなァ。日本は情けない… (60代 女性)

 

*6時間かかってたどり着く場所が、むしろ最先端を行っているのではないかと思いました。トセパンを中心にメキシコ全土、周辺国にも良い活動が広まっていく様子が素晴らしくもあり、うらやましくもあり…。とにかく一度行ってみたい!!(30代 女性)

 

*先日、いなべ市の農園の自然に育てるやり方、自然と共に生きていると感じたことを、今回の話の中で共通するものを見ました。人々が忘れてしまっている、本当の豊かさが、そこにはあると感じました。日本にもトセパンのような組合が出来るといいなぁと思いました。(30代 女性)

 

*メキシコの奥地で組織的に森林農法、環境教育など行われているというのが、意外であり、全く知らなかったです。(メキシコは治安が悪く荒れているイメージしかなかった)私たちがトセパンのコーヒー等を購入することで、トセパンの方々の生活、そして環境保護につながる、重要性を知れ、今日のセミナーに参加し意識が変わりました。(40代 女性)

 

*トセパンの森林農法で、2,3つくらいの収入源があるという話が印象的でした。9月末に勤務先をやめるので、しばられない働き方を目指したいです。心の豊かさを大切にしていきたいと感じました。(30代 男性)

 

*種の保存や教育に力を入れているのが、驚き!先々の視点を持って、今を暮らしているのがすごいなぁと思いました。コーヒーやはちみつが美味しいのは、暮らしている人が幸せでいるからだなぁと改めて“ありがとう”(これを伝えてくれた、ゆっこさんやウィンドファームさんにも)と思いました。(30代 女性)

 

トセパン協同組合(メキシコ)2007年訪問記と「センブランド・ヴィダ」へ

2022年7月31日 タルシルCafe ゆっころんの訪ねた旅 その1

7月31日企画チラシ

メキシコのトセパン協同組合を報告するにあたって、以前の資料を取り出しまとめてみました。

トセパン協同組合の40年以上にわたる活動と実績が、2018年新しい大統領の誕生に伴い、森林農法(アグロフォレストリー)を軸にトセパンをお手本として「センブランド・ヴィダ」と呼ばれる植林プロジェクトがメキシコで展開されている。

■2007年10月 メキシコへ■

2007年10月に企画されたトセパンを訪れる旅、それはトセパンの30周年、ウィンドファーム20周年を記念してのツアーでした。

ちょうど15年前、日本から14名参加(大学の先生・80代の女性、ラブランドの明石さん=東京の飛行場で「あら? あなたも?」って感じでした。)

30周年記念ということで、記念にまぐカップを頂いたり、大きな気球を膨らませ、そになかに松明(たいまつ)をいれて空高く飛ばすイベントや、直径1m以上ある鳥の羽のような円形のものをつけての踊りをみせてもらったり

お祝いの集まりではコーヒーは泡たてたミルクで絵を描くデコレーションコーヒーが出されていた。団体訪問もあり、お祭りイベントもありで楽しい旅でした。

トセパンのパッケージ

トセパンのコーヒーなどにある花を抱えた白い民族衣装の女性は、男性が数人でも集まることを禁じられた時に女性たちが活躍したことに由来しているのでしょうか?素敵な絵です。

首都メキシコシティーから車で6時間かけて現地へ向かう。町の中は車が混んでいた。途中バスが曲がるところに車が止まっていて回れない。近くにいた人たちが車を持ち上げ通れるようにしてくれた。途中子どもたちのいる施設へ寄ってお昼を頂きました。

以下は、「エコロジーの風」13号 2008年6月発行掲載に加筆して紹介

「希望の種、森を育てるアグロフォレストリーの森を訪ねて」 土井ゆきこ

■参加するきっかけ■

2005年6月にトセパン協同組合のアルバロさんと、生物学者のパトリシアさんが来日の折、名古屋での講演会を受け入れました。そしてその話を聞く機会を得ました。トセパンの活動が、アグロフォレストリーという伝統的な方法でコーヒーの木育てながら森を育てること、子どもたちみ環境教育を独自にしていること、銀行をつくり地域でお金を回していること等を聞き、とても興味を持ったことが始まりでした。

是非、メキシコに行きたい、トセパンの活動を見たい、コーヒー農園を訪れてみたとその講演を聞いた時に思いました。2年後の2007年10月に企画されたこのツアーに参加できたこと本当に嬉しいです。

~今回のメキシコツアーは、期待以上の充実したものでした~

■トセパンに到着■

お出迎え

首都メキシコシティから約1日かけてトセパンに着いたの夜8時半過ぎ、予定より数時間遅れて誠に申し訳なかったと思います。待ちくたびれたことと思います。白い民族衣装の女性たちが歓迎のお香を焚いてレイもかけて頂きました

 

歓迎の食事のあとに出されたコーヒーは、クリームで絵を描いたおしゃれなものでした。商品の陳列された棚も竹でつくられていました。

 

 

レイをかけて Wellcomeメッセージ

 

トセパン・カリ(宿泊施設)

地域産出の竹と石でできた「トセパン・カリ」というエコツーリズムに基づく宿泊施設は山の中、それぞれのキャビンにたどり着くまでの道にともされたゆらぐ明かりがロマンチック、部屋も竹も素材がいかされ、また現地の画家の絵が飾ってあり、先住の人達の暮らしや祭りの様子をみることができます。

アトリエ訪問

 

画家故グレゴリオ・メンデス・ナヴァさん(2022他界)

 

素敵な施設でここちよい空間を頂き幸せでした。

 

一棟のキャビンには個室があり(2人部屋くらい)真ん中には人が集う場所もある。

 

ベッドにはWellcomeのメッセージが置かれてあり、シーツは希望があれば取り換えるという伝言もあり。今では日本のホテルでも常識になっているかもしれないけれど

15年前のトセパン・カリではすでにこのようであり、排水も植物をろ過し流すという環境配慮は進んでいました。

■トセパン滞在の1日目■

ケツアーランの町にあるい「トセパン・トミン(みんなの銀行という意)」という組合の銀行を訪問して活動の説明を受けました。

トセパン・トミン(みんなの銀行)

その間にも民族衣装を着た女性が子どもさんを連れて銀行の窓口を訪れていました。

 

利用する人のことを考えて、日曜日でも営業しているということです。銀行側が高い利息を払い(13%)市民が借りる利子は低いというまれな銀行です。

 

お金は資金と考え、持続可能な社会をつくるためのお金の有効利用は欠かせないという。

町でのローカルマーケットはとてもにぎわっていました。食用サボテンも売ってました。

町歩き

ラッキーなことに教会の広場で「ポラドーレス」というダンスの一種をみることができました。

高いところへ登る人

教会の高い塔のたかさぐらいの木のまわりで笛や小さな太鼓を鳴らしながらひととき踊り、

その木に7人が登っていきました。そのうちの4人は木のてっぺんに巻き付けてあるロープを取り、自分の体に巻きつけました。儀式のように笛太鼓がしばらく上から鳴り響き、そのうちに4人が四方に逆さになって飛び、遠心力で互いの力が作用して、遊園地の空中ブランコのように高い木を中心に回りながら降りて来る。

 

 

やがて二人のひとが回転を止めりうために、てっぺんから綱を降りてきた。高いところ見上げていたので首がだるくなるほど、ハラハラどきどき、すご~い技でした。

市場の教会前でみたボラドーレスは、深刻な旱魃(かんばつ)を終わらせるために神に懇願する儀式、ユネスコ無形文化財。

トセパン滞在中に、たにも鳥の羽根を思わせる美しい円形の飾りを頭につけ、笛太鼓で踊る伝統舞踊や

クロスした四方の木が地上に仕組まれ、その木に4人の人が捕まり互いの重力でぐるぐる回るこの芸もケツアールダンスの一種で、クロスした十字形は天体の動きを表現していることなどの説明がありました。

クロスの木に捕まる人

 

これら伝統の踊りは、天や地やそこに住む鳥たちにつながる思いの表現であろうことから、森を育て、守ることと同時に、人々が文化を継承しながら誇り高く生活していることを思い知りました。

■トセパン滞在の2日目■

組合員さんが会議したり、食堂があり、図書室やパソコンをするなどの施設が山の上にあります。そこをナワット語で「魂を解き放つ場所」といいます。

そこで(2007年現在で)トセパン30周年、ウィンドファーム20周年の式典があり、山の中を2時間歩いてコーヒー生産者の人も参加。美味しいカプチーノコーヒーを順番待ちして楽しんでいました。

松明を燃やして、その暖かい空気をいれることであげる大きな大きな気球も高く高く舞い上がっていきました。

気球

この気球をいくつも作るのに相当な時間が費やされたと思います。

 

手塚治虫の「火の鳥」のモデルとなった

ケツアールは、世界で一番美しい鳥、その鳥の名前に由来する地名ケツアーランに住む人々の空への憧れを感じました。

■トセパン滞在3日目 いよいよ森林農法の森へ■

手の届く果物はそこでほうばる楽しい森の散策は、30年前は馬を飼っている牧草地の説明を受けました。それが今では立派な森になっている。熱帯雨林伐採後の単一食物栽培のプランテーションと対極的な農園。

農園にて

研修施設のある建物近くの試験農場も、もとはサトウキビ畑。栽培のため森林を伐採してサトウキビが作られ、蜜を煮詰めるために更に木が切り倒されれる状況から、すこしづつ森林農法(アグロフォレストリー)の中でのコーヒー栽培へと移行していったそうです。

試験農場にて通訳の井上さんとレオナルドさん

 

シナモン採取

コーヒー工場も見学

 

 

記念のコーヒーの苗木植林

■4日目フィールドワークで洞窟体験■

先住民の信仰の場でもあった洞窟の見学をしましたが、そこで聞いた話は、よりトセパンの活動理念を知るものでした。

その洞窟は以前、ゴミ捨て場となっていて下の村へ流れる地下水を汚染していたのでその洞窟付近の土地を購入し、ゴミを運びだして、神秘的な洞窟があるのでした。

またその前日もコーヒーなどの苗床作りの現場と、蝶の保護飼育をしているところを案内され、蝶の保存と受粉をい促すために箱のなかでさなぎを蝶にかえらせ、ネットのなかで蝶を放ち、卵を採集した後、森にかえしているという活動も聞いたばかり

針を持たない地バチの種保存飼育を含め、

針なしミツバチの巣(素焼きの壺)

地球環境を見据え、自然生態系を守るこの行動力に「このような行動をする団体があるのいだ!」と私は大いに心をうごかされました。

■5日目最終日の意見交換■

アルバロさん

互いに振り返りをしました。2年前来日したアルバロさんは言いました。

「どのように世界が変わったらいいのか?

クレージーな人がいなければならない。

クレージー残党、一緒に夢を見よう! 将来像を描いて、組合が発展寄与できたらいい! 戯言、独り言の繰り返し、これを密につなげていく。先を見る一点、たわいもなく言い合って、交流の場を持ち、関係を深めていけたらいいと思う。コーヒーを通じてより深く知ることができよう」

ウィンドファームの中村隆市さんによれば、

中村隆市さん(真ん中)

アルバロさんは牧師さんになろうとした人でナワット族出身の人ではない。今回中心的に案内をしてくださった技術指導者のいレオナルドさんも外部の人と聞きましたが、トセパン協同組合を起こした、ドン・ルイスさんはじめ、このような人々の夢見る行動が、私にひたひたと、また力強くエネルギーを注入しました。

やっぱり夢を見続けよう! このような思いの人たちが現実に存在するのだから。

緑いっぱいの、人が自然生態系の一員として暮らしていける世界を夢みて私は私にできることを日々積み重ねていきたいと改めて思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下 中村隆市さんのブログより

トセパン協同組合に初の女性リーダー誕生!

トセパンコーヒーやハチドリコーヒー、カフェインレスコーヒーでお馴染みのトセパン協同組合が設立40周年を迎えた2017年、トセパンの歴史で初めて女性の代表が誕生しました。これまで自然と共存する先住民文化を大事にしながら、森林農法によって有機農業を広めてきたトセパン協同組合は、女性の自立も大きな目標の1つと考えて女性の社会進出を後押ししてきました。そのトセパンに女性のリーダーが誕生したのです。彼女の名はパウリーナ(パウリーナ・ガリード・ボニージャさん)。
中央がトセパン協同組合の代表に選ばれたパウリーナさんトセパンでは、6年に一度、組合の代表を決める投票が組合員によって行われます。
パウリーナさんは、子どもたちの教育支援を目指すトセパン基金を提案した人で、これが多くの人の評価を得ました。

トセパンでは、組合内に自らの学校を設け、言葉、文化・伝統、宇宙観など先住民としての教育と、国の教育カリキュラムを合わせた独自の教育プログラムを行っています。自然を大切にする農業も教えています。そして、これを充実されるために設立されたのがトセパン基金でした。これまで、トセパンの学校や教育活動の運営には、組合の主な活動であるコーヒーやオールスパイスなどの生産・販売によって得られた収入が使われていました。しかし、数年前に鉱山開発の問題がピークに達し、開発の危機が間近に迫りました。その時、「たとえ開発が強引に進められてコーヒー栽培が出来なくなったとしても、なんとかして子どもたちの教育は守りたい、学校だけは残したい」という強い思いから、学校の自立運営を目指すことを提案したのがパウリーナさんでした。今回の代表選での公約にも学校の自立運営を掲げ、これが多くの人から賛同を得ることとなったのです。
トセパンの小学校

トセパンと子どもたちの未来を考え、子どもたちの教育の重要性を改めて皆に示したパウリーナさんの提案は、女性ならではの視点ともいえる重要なものでした。
小学校での農作業の授業

トセパン基金は元々、教育を充実させるために設けられた非営利団体ですが、今年9月のメキシコ中部地震以降、被災地を支援するプロジェクトの窓口としても機能しています。ここを窓口に、トセパンではメキシコ政府の手が届かない貧しい被災地に仮設住宅を建設する支援プロジェクトを展開しているのです。

トセパン基金を通じ、自分たちの組合の未来を作る子どもたちだけでなく、トセパンと同じく先住民が多く暮らす地域の未来を作るための活動に取り組むトセパンの人たち。そこには、いつものように彼らの「助け合い」と「分かち合い」の温かい思いが強く感じられます。

これからパウリーナさんを中心に進む女性ならではの活動と、今後のトセパンの取り組みを私たちスタッフもとても楽しみにしています。

*現在ウインドファームでは、トセパンの地震被災地支援プロジェクトである「竹の仮設住宅建設」へのご支援を募っています。頂いたご寄付は「トセパン基金」へ送らせていただきます。ご支援のほどよろしくお願い致します。
詳しくはこちら→トセパン基金寄付