ゆっころんのブログ

お知らせ=2月29日(第5土曜日)第7回だらっと憲法カフェin  「八事のカフェ ⭐紅茶の時間⭐」

あけましておめでとうございます!

「知らなかった、知らされなかった、知ろうとしなかった。。。」「『わたし』は『わたし』になっていく・落合恵子」より

「私はいつも、なぜ誰もそのことについて何もしないのだろう、と不思議に思っていた。そしてあるとき、その”誰も”は自分である、と私は悟った。」リリー・トムリン「あきらめないUNSTOPPABLE」著ゼン・ハニーカットより

そんなメッセージに,今年はいままでとは違う行動の年にしようと思う。

「正義は複雑で、かつ多面的でもある。それでもわたしたちが敢えて『正義』という言葉を使うとしたら、正義がよって立つ源は、子どものたちの命と未来だ。」「『わたし』は『わたし』になっていく・落合恵子」より
第7回だらっと憲法カフェ20200229(第5土)
「八事のカフェ ⭐紅茶の時間⭐」

?私たちは「人権」って何か知らない?

『藤田早苗さんの話を聞いて、人権について考える』​

【場所】

「八事のカフェ ⭐紅茶の時間⭐」
 地下鉄八事駅2番出口から徒歩8分
 問い合わせ ☎︎ 070−1619−6435

【内容】 2019年12月23日藤田早苗さん講演
「世界から見た日本のヒューマンライツ」
~ヘイト,ジェンダー、貧困、表現の自由~」を聞きました。
当日の資料や「国際人権規準と秘密保護法」冊子より人権について一緒に学びませんか

【参加費】 500円(フェアトレード・コーヒー紅茶あり・マイカップ持参)
【定員】  15名     【主催】 だらっと憲法カフェ
【申込】 フェアトレードショップ風“s (土井) huzu@huzu.jp
090-8566-2638
――――――――いままでの「だらっと憲法カフェin オゾン」――――――――――
第1回3月31日「チャールズ・オーバービーさんを偲ぶ会」
第2回6月30日お話会「女性議員が増えると何かいいことあるの?」講師:たかだ洋子
第3回9月29日いつも顔を洗うようにいつも憲法のことを考えられたらいいねと「憲法カフェ」オープン講師:近藤真
第4回2月2日名張毒ぶどう酒事件の真実を求めて 〜取材現場より〜講師:門脇康郎
第5回6月29日住民の7割の意見は尊重されない?!~沖縄だけじゃない~講師:たかだ洋子
第6回11月30日 キラキラのワード…「 高校無償化 」 の真実は ~知ることからはじめよう~講師:裵明玉弁護士

マトマイニ ミニ通信2019年10月~12月号が届きました!

フェアトレード・ショップ風”s お知らせ

★年末年始お休みのお知らせリニューアルのため12月25日~2020年1月25日まで正文館店舗はお休みします。卸部門は営業していますのでhuzu■huzu.jp(■は@)土井までご連絡ください。

★2020年1月25日 沖縄カカオプロジェクト報告会 13時半~詳しくは→http://www.nagoya-fairtrade.net/?p=21571

★新装オープン2020年1月26日(日)11時半~18時半

今年の秋10月に、以前からお話を聞きたいと思っていた菊本照子さん/のお話会が京都堺町画廊でありました。そのご縁でXmasにミニ通信が届きました。

シマウマ・キリンなど風”sにて販売

マトマイニ ミニ通信2019年10月~12月号

11月から12中旬まで私(菊本照子)は日本に一時帰国し、東は山形県から西は岡山島根鳥取と回りました。講演会やバザーの会場確保から連絡、準備、物産の展示即売等々お世話下さった皆様に心よりお礼申し上げます。また、時間切れでご挨拶できなかった各方面には「次回はぜひ」と心に決めております。

 

日本に滞在中、日々体感した気候変動の影響は、ケニアでも顕著に現れています。

 

ケニアの気候も大きく変化しています

 

以下は12月2日付けの日本大使館からの注意喚起メールです。

「現在、ナイロビを含めケニア全域において、例年以上の降雨が続いており、ケニア各

地で洪水、地滑り、道路寸断等の被害が発生しています。

  • 当局は、豪雨は今後2~3週間は国内全域にわたって継続するとしています。
  • 豪雨の影響により、交通渋滞や交通事故が多発しています。
  • また、降雨時は家宅侵入等の犯罪の発生率が高まる傾向にあります。

在留邦人及び旅行者の皆様におかれましては、外出する際は、天気予報を把握された上で、洪水、鉄砲水、土砂崩れ等に十分注意してください。以下省略」

 

12月18日のケニアの新聞は雨の被害に関する小さな記事が随所にあります。´

例えば、

  • ナイロビ市が美化活動に努めたシティー球場付近の植え込みがドロ沼と化した。
  • ナイロビ市内のムクル・カヤバ地区の橋が崩れ落ちそうになって通行不可能。
  • ナクルの羊農家は多くの羊が水で流され溺れ死んだと嘆いている。
  • 大雨の犠牲者は130人以上にのぼっている。行方不明者も相当数。

ブログにも書きましたが「ナイロビ国立公園から抜け出したライオン数頭がこのオンガタ・ロンガイ町に出没し、男性一人が食べられた」ニュース。ライオンは人間を襲っても食べるのは稀なことです。雨が降って草木が生い茂り餌になる草食動物が多いのに何故かと訊いたら、水浸しになった公園内で草食動物とライオンの棲息地が分断されたため、狩りが出来ない飢えたライオンが人間の居住区に出たのだと説明されました。気候変動のせいです。

 

また、ケニアの隣のソマリアでは、今世紀最大規模のDesert Locust(砂漠トビバッタ)の大発生が報じられています。かつてケニアにも大量のバッタが飛来して新聞に「バッタを採って料理しよう」というジョーク記事が載っていたのを覚えています。ナイロビのウィルソン空港には「砂漠トビバッタ防除機構」の基地があり、バッタ発生の情報が入ると軽飛行機による空中噴霧で駆除するはずですが、抑えきれなかったらどれほどの被害を及ぼすか計り知れません。飢饉に繋がるこのバッタ大発生も気候変動のせいです。

 

台風もサイクロンもハリケーンもないケニアですが、天気は晴れ雨晴れ雨というシマウマ模様、集中豪雨と干ばつはキリン模様みたいに各地で発生し人々の生活を脅かしています。

クリスマスイブの今日も雨です。

 

「ソマリアのバッタがケニアに飛んで来ませんように!」「雨がソコソコにホドホドに降りますように!」そして、「2019年気候変動の影響を大きく受けたジャパンの方角に台風が行きませんように!」「大地震が起きませんように!」

 

皆様に支えられてマトマイニファミリーは2019年を無事に過ごすことが出来そうです。

本当に有難うございました。

 

Merry Christmas & Happy New Year!

2019年12月24日  菊本照子・修三

★マトマイニのプロジェクトへのご寄付等は

郵便振替:記号00900—1—41598

名義:SCC日本事務局

★プロジェクトやフェルト工芸品等に関するお問い合わせは、

Email: scckenya@gmail.com

★ホームページを新しく作成しました。少し前ですがお知らせしていませんでした。

➡ https://scckenya.xsrv.jp/

★マトマイニの暮しぶりや工房のものつくりの様子はブログに書き綴っていますので、以下を検索してみてください。➡ マトマイニ、菊本照子 http://ameblojp/scckenya/

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写真上。癌を患い長年病床に臥していた母親の介護で仕事に専念できなかった

ラハブさん。9月にそのお母さんが亡くなられ肩を落として泣いていましたが、さいきん、やっと笑顔が戻ってきました。

 

12月に長女のサロメちゃんが全国統一試験で非常に優秀な成績をとり、有名な国立女子校から合格通知が届いたのデス。

 

写真左。夜の警備員ジェームス君(左)は遠いサンブルという地域の出身です。深刻な家庭事情ありで10月に故郷から妻子を呼び寄せました。ンバラリ君5才とシャリーンちゃん2才の兄妹は、毎日元気に駆け回っています。

 

12月23日藤田早苗さん講演会「世界から見た日本のヒューマンライツ」~ヘイト、ジェンダー、貧困、表現の自由~

英国在住20年で国連にも日本について情報を続けてきた国際人権の専門家が、国連からの勧告や日本政府の対応などの最新情報も交えて、世界から見た日本の問題をBBCなどの動画や画像を用いて話されました。100名くらいの参加でした。

資料に「思いやり」(誰かが誰かに与えるもの)≠  「人権」(すべての人が生まれながらにして持って居る権利)

フェアトレードでは、環境や人権をまもります。ゆえにフェアトレードを「思いやり」という表現は、上から目線でそぐわない,対等な立場での貿易とは違うと以前から思っていたのですが、資料にあったこの説明で確信しました。今日の講演でも「フェアトレード」という言葉がでてきました。先日12月3日のゼン・ハニーカット*さんの講演でもでてきました。人権のこと、食のことフェアトレードはつながっています。必要です。

藤田さんは,高校の頃、松井やよりさん**の本を読んでこの道にはいったとのこと。本を読んで何も知らなかった自分を見で行動した人でした。

松井やよりさんは、ゆっころんの尊敬する女性、68歳で10年以上まえに亡くなられたジャーナリストです。私は彼女の3日間の夏期集中講座に長久手の淑徳大学に通いました。翌年もその3日間の講座を受けました。そしてファンになりました。いとちいさきもの、弱きものによりそった人、2000年12月に国際女性戦犯法廷を実施した人です。

ガンで余命短いとメールで流れた時は大泣きしました。告知されたのが秋で、お別れ会のようなものを東京でされて私も参加。全国から女性達が集まってきました。その年暮れには他界。亡くなられた時思ったことは、きっと彼女の燃える思いは、いくつもの灯火になって燃え続けるだろうと……。今日はその灯りに会えた思いです。

■ジェンダー

伊藤詩織さんのBBC映像は、なにが真実か語るものがあります。男達の挙動が恥ずかしい。

日本の警察は女性が8%であること、男性の行う調査には寝かせられ、ぬいぐるみを抱かされレイプされた状態を再現させられたと語ります。セカンドレイプです。でも彼女は自分の妹(どの女性にも)こんな思いをさせたくないと公表したのでした。応援しなくっては!!

海外メディアは、山口敬之と阿部との関係を記事にしているが、日本ではそれが見られない。メディアは萎縮している。独立していない。

■ヘイトとハグ

最後の映像でヘイトのデモのすぐ近くで「私は朝鮮人です」と書いてチマチョゴリを着た若い女性が両手を広げ、ハグを求めます。初め遠巻きでみていた人に変化が現れ若い人達が次ぎ次ぎとハグをしてゆきます。涙がでてきました。こんな涙始めてです。人はみんな抱き合えばいい。どうして差別なんてするのかわからない。朝鮮のことだって日本が朝鮮を侵略した歴史から在日朝鮮の人がいる。

過去を学ばせない、慰安婦という言葉を教科書から消していく日本の教育がある。

■貧困

資料より:2018年10月から生活保護費引き下げについて、これを懸念し見直しを求める4人の国連特別報告者の共同声明

「誰でも病気になるし、精神病を患ったり、障がい者になりうる。そういう人生を大きく変える出来事は誰にでも起こりうる。人権を重んじる確立したコミュニティの役割とはたとえ人びとがどんな災難や不幸に見舞われても、どんな人生のつまずきも、補償され、彼らが状況をやり直し、戻れるように助けること、その権限を確保すること」

後退禁止原則(Non retrogression) 「権利」を認め、その実現に向けて「措置を取る」義務を負った以上は、権利の実現を後退させる措置をとることは、義務に逆行し、規約の趣旨に反することになる。

以上資料より

日本における3・11の被災者、今年の台風19号の被災者は人生を大きく変える出来事でした。一方東京オリンピック開催には過去の5つくらいのオリンピック開催地の費用を全部足した費用が算出されている。この現実を見るべき,知るべきです。

 

日時

2019年12月23日(月) 18:15-20:30(開場17:45)

場所

イーブルなごや 2階視聴覚室

講演者

藤田早苗さんのプロフィール

英国エセックス大学ヒューマンライツセンターフェロー。名古屋大学大学院修了後、エセックス大学にて国際人権法学修士号、法学博士号取得。エセックス大学で研究・教育に従事する傍ら、19年間にわたり国連人権機関の活動にも関わってきた。秘密保護法案や共謀罪法案を英訳して国連に情報提供し、デビッド・ケイ国連特別報告者による日本の表現の自由に関する調査の実現に尽力。世界の「癒しの風景」を切り撮る写真家としての顔ももつ。

共催

藤田早苗さん講演会実行委員会、アムネスティ・インターナショナル日本 わやグループ

**松井やより(ウィキペディアより)

1961年東京外国語大学英米科を卒業して朝日新聞社に入社。社会部記者として福祉、公害、消費者問題、女性問題などを取材し、立川支局長、編集委員から1981年11月~85年3月シンガポール・アジア総局員。1994年朝日新聞社定年退職。

朝日新聞社在職中の1977年に「アジア女たちの会」を設立し、退職後の1995年アジア女性資料センターを、1998年「戦争と女性への暴力」日本ネットワークを設立して代表となる。朝日時代から上智大学千葉大学日本福祉大学日本女子大学琉球大学の非常勤講師、横浜国立大学大学院の客員教授を務めた。

朝日新聞在職中の社会部のトップ時代に「強制」従軍慰安婦を取り上げた。2000年12月に「戦争と女性への暴力」日本ネットワークなどが自主開催した「模擬裁判」女性国際戦犯法廷で国際実行委員会共同代表の1人となり、日本側主催者の代表となった。

ゼン・ハニーカット*
Zen Honeycutt

マムズ・アクロス・アメリカ創立者・事務局長。3人の子どものアレルギーや行動障がいのような症状の原因を調べるなかで、遺伝子組換え食品やグリホサート(農薬ラウンドアップの主成分)の問題に取り組む人々と出会う。それを機に非遺伝子組換え食品やオーガニック食品に変えると、子どもたちの健康が改善。同じように苦しむお母さんたちとネットワークを立ち上げ、マムズ・アクロス・アメリカを設立する。

まだまだ話の内容はいっぱいだったけれど、今日はここまで。ゆっころん

永訣の朝「無限の正義」の行方 中村 哲 ~ペシャワールの会より~

ペシャワール会の八木さんから名古屋NGOセンターのMLに送られてきたメッセージです。

シャワール会の中村哲医師が何者かに襲撃されなくなりました。同僚5人もなくなったということです。

(中略)・・アメリカのアフガニスタン報復攻撃の時です。あれほど派手な行動を嫌っていた中村さんがテレビに出てアフガニスタンの窮状を必死に訴えてい

ました。自衛隊の派遣は百害あって一利なし、と国会でも発言していました。あのいつもニコニコしてトツトツと話す中村さんの印象とはまるで違いました。

中村さんは米の攻撃が近づき、アフガニスタン・パキスタンから一時退去を決めました。別れの時、(近々ミサイル攻撃がなされるであろう)アフガニスタンのジャララバードで職員を集めて朝礼を行いました。そのときのようすです。

永訣の朝「無限の正義」の行方 中村 哲

 2001年9月13日、私は米国の報復近しと聞き、予定を急遽変更、再び
アフガンのジャララバードに入った。邦人退去勧告がパキスタンの日本大使館
から出され、戦時下のプロジェクト継続を図るためである。この三日前、巨大
な難民キャンプと化した首都カブールの五診療所を強化すると共に、新たに五
ヶ所を開設、更に東部一帯で進められていた水源確保の作業地も、現在の66
0ヶ所から年内に1000ヶ所に増やし、餓死者数百万と云われる未曾有の旱
魃に対して、対策を早急に拡大する準備をして帰国しようとしていた矢先であ
る。ニューヨークのテロ事件は、寝耳に水であった。

 大規模な空爆を予想して、車両・機材・薬品などを安全地帯と思える場所に
移動させ、数ヶ月の篭城に耐えうるように指示した。「水対策事務所」の職員
七四名は、金曜日の休みであったにもかかわらず、同日午前7時に異例の招集
をかけられて集結していた。

 町は平静であった。その静けさが異様でさえあった。黙々と日々の営みが行
われていたが、それは事情を知らないからではない。相変わらずBBCはパシ
ュトー語放送で米国の実情を伝え続けていたし、職員の誰もが日本人大衆より
は驚くほど正確に事態を判断していた。実際、ジャララバードには三年前も米
国の巡航ミサイル攻撃が集中した。

憎しみと戦意をたぎらすわけでもなく、ただひたすらその日を生き、後は神に
全てを委ねる。
そこに騒々しい主張や狼狽はいささかも感じられなかった。

 私は集まった職員たちに手短に事情を説明した。「諸君、この一年、君たち
の協力で、二十数万名の人々が村を捨てずに、命をつなぎえたことを感謝しま
す。今私たちはやむをえず一時退避します。しかし、私たちは帰ってきます。
PMSが諸君を見捨てることはないでしょう。生き延びたあかつきには、また
共に汗を流して働きましょう。」

 臨終の吾が子を送る思いであった。長老らしき者が立ち上がり、私たちへ感
謝を述べた。「私たちはあなたたち日本人と日本を永久に忘れません。」これ
は既に決別の辞である。

 家族をアフガン内に抱える者は、誰一人ペシャワールに逃れようとしなかっ
た。その粛然たる落ち着きと笑顔に、内心何か恥じ入るものを感ぜずにはおれ
なかった。もう再会できぬと知りつつ、旅立つ職員を「神のご加護を」と抱擁
して見送った。

 帰国してから、日本中を沸かせる「米国対タリバン」という対決の構図が、
何だか作為的な気がした。テレビが未知の国「アフガニスタン」を騒々しく報
道する。ブッシュ大統領が「強いアメリカ」を叫んで報復の雄叫びをあげ、米
国人が喝采する。湧き出した評論家がアフガン情勢を語る。これが芝居でなけ
れば、みなが何かに憑かれたように思えた。私たちの文明は大地から足が離れ
てしまったのだ。

 全ては砂漠の彼方にゆらめく蜃気楼のようである。アフガニスタン!茶褐色
の動かぬ大地、労苦を共にして水を得て喜び合った村人、井戸掘りを手伝うタ
リバン兵士たちの人懐っこい顔・・・回顧は尽きない。「自由と民主主義」は
今、テロ報復で大規模な殺戮戦を展開しようとしている。おそらく、累々たる
罪なき人々の屍の山を見たとき、悪夢にさいなまれるのは、報復者その人であ
ろう。瀕死の小国に世界中の大国が束になり、果たして何を守ろうとするのか
、私の素朴な疑問である。

以上、ペシャワールの会八木さんからの中村哲さんのありし日の紹介でした。
みなさんに、真実を知って欲しいですね。
今の政治の空虚さも。
そして改めて中村哲さんの偉大さを。
ご冥福お祈り申し上げます。

稲武 大井平公園紅葉まつり フェアトレード出店振り返り

民家カフェ「風の庭」は冬期休業に(12月1日~3月末)はいりました。

ここ野入は、稲武より寒く冬は道が凍りやすいので冬の間は休んで、ペレットストーブのある部屋で過ごしています。天気さえよければ裏山から竹を切り出したり、枝葉を落としたりしていると体は熱くなります。

渓流沿いの散歩道もいいです

今年の紅葉、大井平公園も名倉川沿いも、グリーンロードの枝下インター降りて下川口から33号線にはいりそこから153線に出る道はこころが和む秋の紅葉の景色でした。日本の四季の美しさを楽しむ今年の秋でした。

大井平公園今年も素晴らしい!

大井平公園のフェアトレード・コーヒー出店は今年で3回目、11月3日・10日・16日出店。穏やかな日に恵まれ、コーヒー片手に青空のもと、暖かく降り注ぐ太陽のひかりを浴びながら見上げる紅葉の景色を多くの人に楽しんで頂けたと思います。

11月17日は豊田市長さんも店に!

稲武の地でフェアトレード・コーヒー出店は、地元の人、そして浜松・岡崎・豊橋・豊田市などから訪れる人びとに「フェアトレード」って?ということを知って頂く場になっています。

昨年訪れた人が「コーヒーが美味しかった」とまた寄って下さったということもあり、理念だけでなく美味しも伝えることができました。

11月30日 だらっと憲法カフェ フェアトレード・ショップオゾンにて 13名

第6回は、11月30日、キラキラのワード…「高等教育無償化」の真実は? と題して北区のフェアトレード・ショップ オゾンの2Fで開催・第6回だらっと憲法カフェ20191130

 

だらっと憲法カフェ2019年11月30日 講師 ぺ・ミョンオク弁護士 参加者の感想

・高校無償化を切り口に、歴史、政治、朝鮮の民族のこと、差別のこと、子供達の教育、裁判、 アイデンティティと、話題が多岐にわたり初めて知ることも多く、自分の勉強不足を痛感しまし た。

住んでいる地域にアジア・南米などからの外国人が多く住んでいるところがありボランディア で子供達の勉強や居場所づくりの活動をしていますが、歴史のある朝鮮半島の出身者の方達の事 はよく知らなくて、5世、4世の方達もいろいろな葛藤を抱えてみえるのだなあと思いました。 これからは外国人も増えて、否応無しに多文化共生に向かって社会全体が進んでいかざるを得ない と思いますが、朝鮮学校のこともフィルターを通さず、もっとみんなが知る(こんな)機会が増え るといいと思います。朝鮮学校の映像、みんな生き生きとしていて、気持ちがいい。素敵なもので した!!ありがとうございました。

 

・高校無償化については、ニュースで見ることはありましたが、朝鮮学校のみ排除された経済や、 朝鮮学校の歴史について今まで知ることがなかったので、とてもわかりやすく貴重な話でした。

海外にルーツを持つ方や外国籍の方が日本で暮らすこと、子供達においては教育を受けること は、私たち日本人以上に、倍以上の努力をしているのに、日本国がその努力を認めないことが、 悲しくて仕方がありません。日本でくらす子供たちはこれからの未来を作っていく大切な存在で あるので、全ての人が自分らしく生きていける社会を私自身もつくっていきたいと想います。

教育 と国の政治はきり離して考えていかないとと切に想いました。これから、多文化共生のまちづく りの仕事に関わっていくので仕事としてもライフワークとしても勉強していきたいです。

 

・無償化問題は日本が正すべきこと全てに繋がっていると思いました。*過去の戦争責任問題の 未解決、不実行→ 植民地化による人権侵害、天皇制存続による各問題、日本の歴史教育の中での 近現代史で、植民地のことを教えていない(若者の偏見の元の一つ) *三権不分立 *各種国 内法・国際法違反 *人権とは?民主主義とは?を日本人がしっかり理解していないこと、自分 の頭で考えることの大切さを改めて感じました。

多くの日本人が思考停止させられている劣化し た社会をどう再生していくのか。流されるままなら、またいつかきた道を行くことの恐さも思い 出しました。常に人が自分という個を持って生きていけるようになるには?を意識していかなく てはいけないと思いました。

 

・深いところまで、わかりやすく話していただいてとても良かったです。いままでも折ある毎に勉 強会など参加して来ましたが、深く考えさせられる内容でした。憲法、法律まで踏み込んでの 話、興味深かったです。

国籍欄が「朝鮮」である意味を最近ずっと考えているのですが・・日本は 未だ「戦争」を終えることができないでいるんだなと感じます。

 

・私は戦後生まれで、戦中のことはあまり知りません。今日の講義を聞いて朝鮮学校が存在する 意味がよくわかってとても良かった。私立高校に通っていましたが、クラスに在日の方が数名、 その時に、今日のお話の内容を少しでも知っていたら、彼女たちに接する仕方がもっと違ってい たのではと、残念でなりません。

もっと暖かく接することができたのでは・・という意味です。

 

・学校の法制度の点から、深く勉強できてとても良かったです。アイデンティティや日本社会で受 けている在日などの方々の差別(就職差別、結婚差別など)のお話も聞け、さらに(ますます) 身近な問題という気持ちになりました。思っていたとおり、今の社会がとても差別的で危ないの で、早く政権を変え、一般の人の意識ももっと変えていくために行動しなくてはと、さらに危機 感を覚えました。

ぺ・ミョンオクさんには、気さくに受け答えしてくださり、とてもファンにな りました。ありがとうございました。

 

・本日初めて参加しました。在日コリアン2世の一人として、今日のテーマはぜひ学びたいと、強 い気持ちで、実現かないました。ぺ・ミョンオク弁護士の話はとてもわかりやすく、知らなかっ たことが多く、気づかされることもありました。自分は何ができるのか、力不足ですが、日本で 永住する民の一人で、日本の人やいろんな外国人の人たちともっと交流し、差別や偏見を持たな いでお互いがお互いを尊重し、譲り合い、助け合い、豊かな心を持って生きていきたい、そんな 社会づくりを目指して、日々意識して行動していこうとあらたに思うことができました。

このカ フェ、この場を知ることができ、この有意義な時間を与えてくださり、ともに共有することがで きたと、感謝します。お疲れ様でした!ありがとうございます。これからもよろしくお願いしま す。

 

・お話わかりやすく、とても勉強になりました。一人一人、自分のルーツに誇りを持てる教育を 受けることが、いかに大切か、わかりました。私(60代)の小学校時代、在日の人もいました が、日本の名前を名乗っていました。

妹が在日の人と付き合っていた時、両親が反対していて、私 はなぜ反対するのかわからなくて、なんとなくこの社会には、朝鮮人差別というものがあるのだ と思いました。今日聞いたお話、在日の方だけの問題なのではなく、私たち日本人の問題とし て、とらえて、周りの人にも伝えたいともいます。

 

・先生には朝鮮との歴史をとても具体的に話していただけたので、とてもよく納得できました。 朝鮮学校の生徒たちが、日本の学校ではむしろ押しつぶされがちな個人としての自立に支えられ た人生を生きる力を身につける方向で教育を受けているようで、少しうらやましく思いました。

日本における差別はとても激烈で、全ての大手マスコミは真実を教えないどころが嘘を流し続け て、人々の負の心、他人を差別することで自分を慰める卑しい心を焚きつけて、ファシズムへと 流そうとしています。毎日毎日流されるそのような情報に、心を操作された人々が増えていく時代 ですが、それと闘う人々に学びながら、自分もどう生きようか考えたいと思います。

 

・世間に起きている問題は、結局、自分に関係してくるんだなあ~ 貴重な機会になりました。 特に興味を持った話題ではなかったけれど、とても大切な警告を発信しているということがわ かった。

生きて行く中で大切な憲法とは思うけれど、なかなか身近には感じられない中、いろん な角度から知ることができるこの憲法カフェは、貴重な学びの時間と思う。”坑道のカナリヤ”

 

素晴らしかったです。特にエピソードで祖父母のことを話していただき、時代のことをより理解 しやすくなりました。結婚のエピソードは生々しく人間が引き裂かれるようで辛い話です。

憲法 13条をしっかり学ぶべき教育が隅々に必要ですね。政党に偏らない見識で朝鮮学校を日本社会が 支え合うようになってほしいです。こちらはみんなが自覚して行く、わたしが自覚して行くことで す。朝鮮高校の映像に仲良しさ、感じました!〈次回〉希望は、障害を持っている人、生活保障 を受けている人など、社会福祉と憲法との現状を学びたい。

2019年の夏、日本一周の旅 ふりかえり その2

2019年8月13日(火)

8月4日に乗船して、10日たち、目的の広島・鹿児島・長崎も終わりICANの川崎さんの話も聞けて良かった。

あとの目標の地は、釜石の大川小学校のみ。なので暇である。

2日前からのどがいがらっぽく風邪をひき、遠慮して咳をすることになった。でも漢方頂いたりよくしてもらっている。太極拳24では、咳する私を振り向いた女性がいる。すなわち風邪をひいているから来るなって感じ。ま~くしゃみや鼻水がとまったら行くけれど、それまでは休み。ということはすべて止めるということなのでかなり暇。

でも基本、寄港は1日おきだからそれほどもてあますことはないと思う。

さて

やっぱり野入が恋しいね~。野入がいいね~。蓮の花も3つめ4つめ5つ目と咲いているようです。

今回は、4人部屋ということで特別仕事ももって来ていない。本も8Fにあるからいいと思ったけれど、部屋には持ち帰れないので今のところ読んでいない。

 

8月14日(水)

ウラジオストックに7時着で、8時半歓迎のダンスや歌があった。女性6人、男性3人の踊り子の踊りや、歌があった。「カチューシャ」りんごの花ほころび、川面にかすみたつ、きみな~き郷にも春はしのびよりる。歌はいい~万国共通。

 デッキから歓迎の踊りを見る

まさにピースボートは国際交流と感じた。始まる前に流れていた「エリーゼのために」となぜか「コンドルは飛んで行く」私はやはり南米がいいな~と思う。今日も思いがけないじ~んと感じる旅の感動。

 

今朝、川崎哲(あきら)さんと同じテーブルだった。近くでみるとやはり50歳か、「あなたの講演のお陰で旅が充実した」と伝えた。私は今回初めて彼の話を聞いたのだが、聞く所によると、彼の話も順次上手になってきたようだ。とても分かりやすい話の運びで私にも「核兵器はなくせる」と思った。皆が知ることから始まって、行動する。果てしない道のようだが一歩は踏み出せる。

 

鼻水もでるし~~~、なにせ4人部屋だし、風邪ひくと肩身がせまい。今、百田(ひゃくた)尚樹の「永遠の0」読みはじめた。0が零戦の意味の本とは知らなかった。

 

百田尚樹って安部派の人だけれど、ほんとうに上手にしたてた物語。やはり、男とか国とかが強い、感じかたが女性とは違う。でも特攻隊のことを知る手がかりにはなった。偶然に手にとった1冊が、今回の旅の一つのテーマの資料になった。また男性達が考える世界も垣間見た。この世は、女性と男性のバランスを取らなければならない。それには市川房枝さんも言っているように、女性が政治に関心をもたないと平和はこない。

 

《お知らせ》11月30日(第5土)10時~「だらっと憲法カフェ」キラキラのワード…「高等教育無償化」の真実は? ~知ることからはじめよう~ フェアトレード・ショップ オゾンにてhttp://www.nagoya-fairtrade.net/?p=21393

★オゾンhttp://aift.jp/さんは12月21日までの営業をもって北区に移転します。
 是非,今のオゾンさんに会いにきてください。

 

8月15日(木)

講演「8月15日に考える これからの戦争と平和」川崎哲&畠山澄子

戦後74年 ロボット兵器も出現。漫画で伝えるロボット兵器の書籍購入。

 

8月16日(金)

小樽着 オプショナルツアー参加

「先住民アイヌの文化を学ぶ」札幌のアイヌ文化交流センター

(サッポロピリカコタン)小樽と札幌が1時間くらいとは知らなかった。行き道の原生林が稲武にあるやせやせの杉林とは違い、素敵な森だった。

ユウキコウジさん案内

ピリカとはGood かわいい よいという意味

アムール川さかのぼって交流

アイヌは人(人間)という意味

人に役立つものに育ててくれるものすべてカムイ

神々に囲まれて生きている

人は旅する生きもの オホーツク・シルクロード・アイヌ

アイヌの人口は ミックスされている かたまった集落があるわけではない

今1万2000人くらいといわれているが実際はその3倍かも

 

 

明治23年旧土人法 一般の日本人になる為の法律

土地は神様のもの 移動していたが→定住するようになった。

 

食べ物がやってきて、礼節が発生し祈りをする 他の生物に生かされている

70年まえから鮭がこなくなった ダムを造ったから

 

イランカラッペ

イは、尊敬する ランは心 カラッペはさわる

あなたのこころにさわらせてください。

シシャモ

ラッコ

トナカイ(サハリのアイヌ) はアイヌ語から

 

ソ~ラン節の

ソは、波の面のこと

ランは、降りること

私とアイヌとの出会いは、小学校の頃だと思うけれど、ラジオで「みどりのコタン」という番組があり、アイヌゆえの差別もあった話なんだと思う。テーマ曲を今でも思いだすほどで印象的だった。差別に関して思うことのある始めての出会いだった。

さて大型台風がきているとのことで小樽で停泊

17日15時出発、 18日は函館 予定の釧路寄港はなくなった。知床遊覧もなくなった。

 

8月17日(土)

2014年11月~の第86回の南周りクルーズ乗船から5年たっている。先回一緒だった女性一人は杖をついて、一人はちょっとぼけが入っているようだ。

旅も後半。14日2週間が過ぎた。あと18日~6日間。野入が恋しい。蓮の花がみたい。私が植えた里芋や生姜はどうなっているかな~~~?

今回の旅行勿論参加してよかった。いままで核の問題は原発関係では気持が向いていたけれど、核問題まではあまり考え無かった。でもやはり考えなければならない事だと思う。その機会をもらった。

8月18日(日)室蘭11時ごろ着

フェアトレード(FT)の店とJAZZの店の情報をもらったけれど、営業していなかったり、休みだったり、でもバップは行けた。49年やっているJAZZ喫茶。すごいよね。

バップにて(室蘭)

はこだて工芸、以前ネパリ・バザーロ(フェアトレード団体)の旅行で来たと思うけれど。FTは食品はほんのわずか、マスコバド糖とチョコ2枚、FTといっているハーブ,衣類はまったく無し。

 

8月19日(月)

日の出は4時46分、飛び起きちょうど雲から出始めたところだった。

安曇野のSのりこさんとデッキで会って1時間ぐらい話をした。八丈島でスキューバーダイビングの店や、宿や、ショップもしていたということ。今日は室蘭。始めての町。

11時頃電話しても「ほしのおくりもの」は電話にでない。あきらめて1000円の巡回バスにのり地球岬へ、曇なのですぐ次のバスに乗る。隣の人が室蘭駅で下車すると言われ、そうだ! 駅にも降りてみようと思って降りてた。

 

珈琲店があったので行こうと思ったらお茶のみと張り紙があったので次ぎのCAFÉ CAFÉへ葉言った。一度は通りすぎたけれど、ドアがあまりにふるびていたので年数がたった店だと思い入った。

 

室蘭民報:ウポポイ(白老・象徴空間)北日本初の国立博物館、国立アイヌ民族博物館を核とするアイヌ文化復興のナショナルセンター「民族共生象徴空間」通称ウポポイが8ヶ月後オープに迫っている記事

小さな店。よかった。トーストを頼んだ。珈琲とで750円。船ではパンが美味しくないのでほとんど食べない。だから昨日もバップでトースト頼み美味しかった。

ここでもトースト頼み大満足。そのあと室蘭駅でダメと思いつつ12時ごろ店に電話する。「ほしのおくりもの」は営業していた。で東室蘭まで220円10分くらいで行く所を30分以上待って乗った。

駅からすぐ近くだった。たしかにFTのものはあった。ピープルツリーなどの懐かし品もあるので10年以上はやっていると思った。15年だそうだ。癒やしのCDや本もあり、木製のおもちゃもあり。

フフェアトレード・ショップ「ほしのおくりもの」(東室蘭)

「ほしのおくりもの」でアイヌに言葉が載っているトランプと、孫への手紙用にピリカメノコの可愛い女の子の絵はがきを購入。切手を〒局で購入し、思ったより早めの電車があり室蘭へもどり、バスに乗る。」

その間パンフレットにたまたまみつけた、JAZZの店。見晴らしもいいという。出かけたら道は行き止まり。立ち入り禁止と道がなっていた。あきらめ一旦もどり、振り返ったら岬の看板。

こっちかな~と思い全く人はいない交差点で、車止めて聞こうかなと思っていたら、向こうから一人の男の人、聞いてみたらPB(ピーズボート)の人で同じ店を目指していた。向こうもビックリしていた。PBらしい人がいるけれど、どうしてこんなところにぽつんといるのかと?

彼は、たばこやとかで聞いてやってきたので情報はパンフレットの地図より詳しかった。岬の方へ歩いていって信号を右に入って、それからがまたわからなかった。

たまたまいた人に聞いて、それでもわかりにくく、でもなんとかたどりついた。

宮越屋珈琲MUTEKIROUムテキロウ室蘭市絵鞆(トモ)町2丁目11番1号0143(27)0001 やきとり一平チェーン8店もある。経営者の趣味の店かしら?

テーブルは5~6あったがすべてお客さん。全部車での来客と思う。辺鄙なところだもの。三方が海、全部ガラス張り。カモメもすぐ近くを飛ぶ。

天気ならもっとすごいと思うけれど、景色だけではない、店内の雰囲気もいい。彼はもう一度来たいと言っていた。

長野県のKさんというけれど、3人のお子、孫は6人だそうだ。定年退職後上田市武石ともしび博物館の館長していて、今も週2日行っているそうだ。

ほんとに彼にばったり出会わなかったら、私が声をかけなかったら、あの素敵なある意味、理想的な店にはたどりつかなかった。多分店主はやきとりやで資金があり贅沢な店を構えたのだと思う。CDも一杯あった。Kさんの言うことにゃ、スピーカーは一対で2500万円、アンプも2500万円ホントかな??彼はオーディオマニアだそうです。

今日はこんな1日でした。

 

8月20日(火)

4時半にはデッキ、でも立ち入り禁止で出られず。でも海を見ながら、海の上を歩く感じはいい。寄港地に寄らない、つまりでかけない日は6時くらいまで2000歩目標であるく。出かけると15000歩くらいまではゆく。夜は9時前にも寝てしまう。

 

8月21日(水)

石巻、震災の被災地に一度は足を運ばなければと思っていたので「語り部とめぐる震災遺構」に参加。バスでもずっと同行の語り部さんは、3・11のその日出たスーツが全財産になった。家族は無事だったがすべて流された人。

 

旧大川小学校での語り部は、中学校で教師をしていた人で次女6年生を亡くした人。あと一週間で卒業という3月11日のその日、制服が届くはずだった。全校生徒108名のうち74名が命を落とした。50kmの速度の津波が来るまでに50分はあったという。

 

 

野外劇場にあった絵        すぐ裏の山に登りました。すぐです。

裏山があり、日頃椎茸栽培で登っていた。生徒の中には山に登る子もいたが戻された。運動場で並んでそのあと人一人通れるほどの出入り口を通じて出終わったあとくらいに津波にのまれた。語り部は教師なので教師は誰でも子どものことを思っているとは言う。

いろいろ調べたようで日頃体制の問題があるような含みの語りもあった。実際そのあとの旧門脇小学校は高台に避難して無事だった。

 

防災について、そのなかには我が家んも含まれるという想像、家族が含まれるという想像がたいせつで、想像したくないから止める。防災は脅すことではない、恐怖をあおることでもない。どう判断して行動するかが大事。

 

旧大川小学校は残すか撤去するか誰もなにもいわなかったが、奇跡的に助かったてつや君が決めた。「残して欲しい」いろいろ言われたりもしたがひらきなおって中学に行っても同じように発言。2016年3月残すことに決まった。

 

実際、8年の月日が流れると当時のことはほとんど分からない。現在川には防波堤が建設されている。旧北上側から4mのたかさの防波堤は、幅が広く屋台なども出せるようになっている。しかしその下は家があった。商店があったとは信じられない。

 

「防災街歩き」では「石巻津波伝承AR」で、津波による被害状況(高い所で7.5mの津波の高さなど)やポイント、ポイントで「現在・過去・ミライ」を画像で伝える。現在の場所で、震災当時の画像が見られる。

 

街をバスで走ると緑色の正方形のマークがビルなどにある。それは津波避難ビルに指定されているビルで、外に階段があり普段は鍵がかけられていても、一定の揺れがあると鍵ははずされ、屋上では食べ物などの防災グッズが備蓄されているという。

 

復興はたしかにめざましいものだが、人の心の痛手は深く続くものだと思う。それをも乗り越え女性の語り部は「涙ぐんだらすみません」と断りをいれながらも自らの経験を語る。

避難所を親を探して渡り歩いた、避難所で2ヶ月過ごして仮設住宅に入った。と言葉では終わるけれどどんなに大変だったろうと思う。

 

その大変な人々をPBV*は600人ものボランティアをコーディネイトしていた。若者たちが一週間の予定が伸びたりする。

*一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター(PBV)http://pbv.or.jp/は2011年4月東日本大震災を受けて設立。1995年の阪神・淡路大震災以来、世界各地で災害救援を行ってきた国際NGOピースボートでの想いと経験を受け継いで活動。

最後の出港地となった石巻で、波頭では地元の人のはねこ踊りと花笠音頭を船上から見せてもらって、船上では「最後の出港式」をデッキで開催。

「花は咲く」の合唱が歌われ石巻ならではの体験の想い出とともに汽笛を鳴らし、船は岸壁を離れる。灯りを手に振る見送りしてくださる人々、やはり人が人と会って顔をみて交流することが大切だと思った。

 

船という一つの舞台のなせる技か、若者たちが運営するこのピースボートが、日本の各地を結び、世界をも結ぶ大きな、密かな力が私には快く応援したくなる。

勉強させてもらう船であり、ドラマティックな人と人との出会いもある。今回、旅に出て本当によかった。ただ体力的にはもうこれでいいかな~3ヶ月の旅への旅立ちの意欲は薄れたという思い。ちょっと自分自身意外だった。

4人部屋だったからか? でも楽しい4人部屋でいやなことなんか何もない。折り紙教えてもらったらい、ラインダンスも一緒にできたり、一人ならできないこともしできた。

2019年の夏、日本一周の旅 ふりかえり その1

2019年8月4日大阪港発~23日神戸港着 ピース・ボートの日本一周に出かけました。

8月6日(火) 16時ごろ広島着。本当は5日夕方着だったが台風の影響で遅れた。

でも平和資料館には行くことができた。

市民が描いた原爆の絵「記憶と向き合う」企画展示

の1枚が心にのかった。

3歳の女の子を自分で焼いた母の絵と言葉。

『長女直子(3歳)を自分で焼く。泣けて泣けて涙が止まらない。「私も行く。先に行って居て呉れ」と手を合わす。まだ次男克巳(9才)も不明だ。あの子はどこか逃げて居てくれとい願う。

だんだん焼けて体の油が流れ出る大変な量だ。元気な子を焼くのだ可愛想だ見て居られない気が狂いそうだこれが現世とは思えない地獄』

 

 

外国人が結構いた。念願通り。原爆ドームも見た。川では灯籠流しをしていた。路面電車180円で海岸通りまでもどったら船着は20時すぎていた。

8月7日(水)基本的に5時にデッキにでて、朝焼け朝日を見てデッキ歩いて、6時から太極拳(24式とは違う)、6時半からラジオ体操、7時朝食バイキング豪華です。ほんのすこしずつ取ってもお盆一杯になる。

ヨガ・社交ダンス・サルサなど体を動かし、ランチ、今回はあまり勉強や講座がない。

約1日おきに寄港地があるのであまり余裕がない気もするが、基本日本なので気が楽。

8月8日(木)この旅行始めてのオプショナルツアー参加。

知覧特攻平和会館 知覧に特攻隊の記念館があるのは、この地が中心的だったから。若人たちは沖縄に向かった。きれい事が多い展示だった。上原という人はちゃんと分かっていた。人間が一つの機械とみなされていたことを。

「空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事は確かです。操縦桿を採る器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。理性をもって考えたなら実に考えられぬ事でも強いて考えうれば、彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。一器械である吾人は何も云う権利もありませんが、ただ、願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです。こんな精神状態で征ったならもちろん、死んでも何にもならないかも知れません。故に最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です」

ここ知覧にくるまでは、母や肉親を思う、そして日本を思う気高き精神の若者たちというイメージはあったが、それらが一つに機械として散ってゆくことを強制し、またそれを幸せに思わせる軍国教育の恐ろしさを思いました。4000以上の命を思う。

またこの特攻隊がうまれてくる背景などいろいろ知らなければならないと思う。

バスで同乗してお話をしてくださった鹿児島大学の木村朗さんが、明日9日長崎へいくのでしたら、是非「岡みつはる記念長崎戦争平和資料館」に行って下さいと言われました。

8月9日(金)

11時2分という爆弾が下ろされた時間は知らなかった。10時45分から式がはじまり、平和公園に着いたころには、始まっていて満席だった。その後資料館へ歩いて移動。その会館のなかで実況中継がされていたので参加。そのあとも資料館をみて回ったがしっかり見ることはしなかった。ざっくり。広島より写真がきつかったような気がした。現実を見せていたのだけれど。

「はだしのゲン」の絵本をみつけ孫たちのために買う。

 

 

そのあと鹿児島大学の木村朗さんが推奨していた「岡まさはる記念長崎戦争平和資料館」を探してでかけた。案内地図には掲載されていない。

12の観音山のちかくということで長崎駅から歩いてなんとか見つけた。私的な資料館だからできる内容。日本の侵略の始まりから、強制労働。慰安婦の問題。南京事件など日本がアジアにしてきたことが、写真や当時の新聞など展示されていた。写真は語る。

 

 「日本はアジアで何をしたか」

少しは聞いているけれど、日本はひどいことをしてきたのだ。原爆の被害もあるが、侵略してきた加害者であることを忘れてはならないし、その被害に合った人に補償などすべきと思う。たとえ謝罪して補償したところで、その大事な人生が戻ってくるわけではない。

貴重な個人の思いから出来上がった資料館を多くの人が訪ねることを願う。歴史を学ばなければならない。長野県の阿智村の満蒙開拓平和記念館も行くべき。広島・鹿児島知覧・長崎も。

 

8月11日(日)

ICANの川崎哲(あきら)50歳のお話を聞くことができ、ピース・ボートに乗船してほんとうに良かったと思う。

これは期待していなかったしらなかった企画でした。勿論彼の行動やメッセージなど新聞記事では見る機会はあったけれど、ナマの声を聞くことは心に届く。

はじめに「核兵器はなくす事ができると思いますか?」とのことで彼は「できる」という。そして「いつか?」については私たち次第という。話のなかで核兵器が安全保障の抑止力ではないということなど、一つ一つ反証してゆき、とても分かりやすい内容だった。

 

ただ広島へ長崎へゆき、式典にも臨み、被爆者の証言に唖然とする=日本は過去のことを忘れないように今に、後生に伝える=

世界は、広島・長崎は他国事ではあるが、今日核兵器の脅威を感じ取っている。今核が使われてしまったらどうなるかを考えて煎る。それが今の核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の行動だ。

 

だから過去を知り、今成すべきことはなにか、戦争は勿論反対だが、戦争にならないための抑止力としての核保有が意味を成さないことを彼は語る。

 

【ICANの始まり】

2007年オーストラリアいのメルボルンの医者が、核が人間・命・環境に対する影響を考えるNGO立ち上げた。

2011年スイスのジュネーブに事務局を移した。軍縮代表が集まる地。103ヶ国54の団体

内10団体が執行部団体でピース・ボートもその1つ

2017年12月ノーベル平和賞受賞。核禁止条約に貢献したということで。

授賞した、カナダ在住のサハロフさんは13歳で広島で被爆。

核禁止条約に、アメリカ・ロシア・イギリス・中国・日本及び核をもっている9ヶ国も棄権。120:40

2010年赤十字が国際委員会で核は人法に違反と見知

義援・救援すらできない(放射能があり)

2015年より法的に禁止すべきと考え始める

2008年より2050回以上核実験

 

【ピースボートの折り鶴プロジェクト】

2008年から10回以上 180人以上の被爆者の方達が乗船して各国で伝える

タヒチ(フランス)200回以上実験 作業員は何の知識もなく従事

オーストラリア(イギリス) 黒い霧発生も。 1950年代ウランの採掘 先住民

日本のウランもオーストラリアから輸入

2019年核爆弾は約1万4000発 ほとんどアメリカ青・ロシア赤 そして 英・仏・中国

1956年レーガンとゴルバチョフはレイキャビックで会談 中距離ミサイルは全廃をきめる

 

【禁止から廃絶できるか?】

2019年8月2日 IMF離脱(アメリカ?)

核兵器製造会社に融資をしない金融機関 30以上 金の流を止める

国際法で決められたから SDGs(「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標)今はトレンド 日本でも「りそな」が実施。

私たちに何ができるか?

宗教界の役割 ICANとともに声を上げる

2019年ローマ法王(カトリックの信者全世界10億人以)広島・長崎訪問

【理想→理性】

現実主義

偶発的におきないか?

40年目に作られたもので大丈夫か?

テロ?  SNS!

以前は戦争までの時間はあったが、今は「戦争だ!」と言ったとたんに身構える

終末時計は2分前

 

核兵器は自殺機器

地球規模での気候変動も起き10~20億の人が影響を受ける

 

①核のない世界 検証大変

②核だらけの バランスの維持 大変

①と②どちらの大変さを選ぶか? どちらが安全か?

 

キューバ危機は、人が躊躇したあいだに止まった。人間の気持ちでとめた。

 

代理戦争(ベトナム・朝鮮)後ろに核兵器、抑止になった???

 

核抑止から戦争の防止へ

 

戦争したらお互いの国は。。。

 

【社会は変えられる】

奴隷制・女性の参政権・たばこ・セクハラ

歴史は変化している。

 

【終わりの終わり】

「核兵器はなくせる」

・人は自由に空を飛べる 今は飛行機で自由に飛べる。でも飛行機がない時代に人は自由に空を飛べるといったら「おかしなヤツ」と冷笑されたかもしれませんが、今は誰も笑わないでしょ。

川崎 哲さん

ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞(同年10月)

川崎さんは言います。「核兵器はなくせる」

 

中高生に是非読んでほしい~ゆっころん。「川崎さんのなぜ、今あるかの彼の人生も知って、若い人達のこれからの道を考えるきっかけになる本と思う。私にも分かりやすい本でした。」

国連での核兵器禁止条約の成立(2017年7月)や、その功績を評価されてICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞(同年10月)しました。それを受けて、日本でも核兵器の問題をわかりやすくまとめてほしいという声が高まっていました。

そこで今回の書籍では、核兵器を取り巻く現状や、核兵器禁止条約が背率した国際交渉の背景、さらにこれからの世界の動きについて、中高生にもわかるようにわかりやすくまとめています。また、国際社会への関わり方や、一般のひとりひとりが声を上げることの大切さといったテーマについても、川崎哲が自身の若い頃の経験を踏まえて熱く語っています。詳しくは、以下のリンクから、岩波書店のサイトでご覧ください。

★内容紹介
プ ロローグ 世界を動かしたのは普通の人たち
第 1章 被爆者との旅から始まった
第 2章 「核兵器」問題って何だ?
第 3章 そして世界が動いた― ICANが起こした風
第 4章 いま日本が立っている場所
第 5章 一人ひとりが声を上げる意味
エ ピローグ 小さな前進と,小さな危険信号

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20191123野入日記、ストーブの灯り

ストーブの灯りが、こころ穏やかにします。冬の楽しみの一つです。ペレットストーブは間伐材を使ったペレットを使用します。

今日はまた満天のような星空。次男夫婦が小一の男の子を連れ1日すごして行きました。庭でお好み焼きを食べ、芋掘りのあとは焼き芋、ぜんざいに入れる白玉団子を星形にしたりして楽しんでいました。裏山にのぼり、竹も1本切り出し、ちょっと高いところになっている渋柿を父親と一緒に竹で落とし、干し柿にチャレンジするようです。

夜は、「風の庭」の和室にある炉に炭をおこし鍋をつつきました。炭の火はまた味わいのある空間にしてくれました。

11月そんな季節になったここ豊田市稲武からすぐの野入町。この秋の紅葉も終わりに近づきましたが、それでも名古屋市北区から瀬戸を経由して行く道の夕暮れに輝くグラデーションの紅葉は自然の姿の醍醐味をみせてくれます。

野入の裏山の紅葉は、太陽が照ればまだ美しい姿がみられます。竹林をさらに整備して15年前の航空写真にあるような段々畑くらいにしたいと思っています。

裏山からみる野入の里も美しいので、宿泊のお客様にもちょっと裏山に登ってその景色を楽しんでもらえるようにします。農泊の許可書が得られたので来年春から宿泊できます。

随分久しぶりの野入日記です。いままでも見て頂きたい季節季節の写真があったのですがついUP出来ずでした。朝露に光る葉っぱや、蜘蛛の巣、朝霜の葉っぱに輝く太陽、そして裏山の紅葉。

大井平公園の紅葉祭りは11月2日~17日まで開催しました。

4日間「風の庭」は出店して、とてもいい天気に恵まれ、野外でのフェアトレード・コーヒーをたくさんの人に楽しんで頂けたと思います。

「風の庭」のブースの前で、敷物を広げてくつろぐ親子姿。仰向けになり、ころがったり手足をばたばたして太陽を楽しんでいる5~6歳の幼児をみていると嬉しくなりました。

 

野入にきて3度目の冬を迎えます。今年は蓮の鉢が増えて5鉢と1箱(風呂の不用バスを利用)の冬支度、他にもいちじくの木など冬対策が必要です。来年芽がでる楽しみを想像しながら…….。

・夏の20日間ピースボートの日本一周 http://huzu.jp/blog/4118/

2019年の夏、日本一周の旅 ふりかえり その2

・10月18日~23日の沖縄カカオプロジェクトのカカオフレンズツアー

・10月30日、京都でのマトマイニの菊本さんの講演 http://huzu.jp/blog/4109/

などを終えて、あとは

・11月30日 だらっと憲法カフェ:フェアトレード・ショップ オゾンにて

・12月15日のなごや国際オーガニック映画祭開催にむけての準備、

そしてフェアトレード・ショップ風”sの2020年に25周年を迎えるにあたり「おかげさまセール」開催中!! 10% 20%割引 あります。

 

 

11月13日KENYA マトマイニのフェルトアニマル展+菊本照子さんのお話 :京都 堺町画廊にて

KENYA マトマイニのフェルトアニマル展+菊本照子さんのお話を伺いに菊本さんに会うために、久しぶりに京都まで出かけました。
フェルトアニマルとの出会いは、2年ほど前に串原の山のハム工房「ゴーバル」さんにフェアトレードの話をしにでかけ、その時に頂いたのがかわいいホロホロ鳥のフェルトアニマルでした。南アフリカで見たこともありなおのこと可愛かった。
それから風”sでも取り扱っています。
   
お話の始めは
アフリカの地図が写され、ドンパチしている赤い印されているところのアフリカ事情の話。そのなかにベビー・ファクトリーの話もありました。今尚多くの地で紛争が起きている。
そんなアフリカ、ケニアの地で30年以上くらしている菊本さんは、自然と人々の多様性が魅力と言われます。ケニアの首途ナイロビの平均年齢は67歳障がい者3%。
フェルトアニマルは10数年かけて誕生。はじめからカラフルではなかった。動物の色からしてモノトーンのようになって作られていたのだが、ある時誰かのアイディアで誕生したようです。それからは人気商品として輸出しています。
1977年貧しい女性たちと「グリーンベルト運動」という植林活動を開始したワンガリ・マータイさんとの交流もあり、今後の夢としてはこのグリーンベルト運動の活動をしたいという気持があるということです。
マサイ族の話など、一人一人の人生と菊本さんが関わってきたことの話を聞くことができました。
来年の秋には、菊本さんに是非、名古屋でのお話会をしたいとお伝えしたところ、名古屋には開催されたことがなく、行きたいと思っていました! ということでした。一人の女性の生き方を見せて頂いた日でした。
 以下は、堺町画廊の案内から
お話:「ケニアのマトマイニ(希望)を育てる」
11月13日 14時~15時半
参加費:1000円 ケニアのチャイ+お菓子付き
1987年から30年以上続くマトマイニチルドレンズホーム。
多くの孤児たちを育て、その卒園生と共に、貧しさ故に子どもを困窮状態に追いやるスラムのシングルマザーの自立支援に力を注いでいる菊本照子さん。菊本さんの帰国に合わせて、フェルトアニマルの展示とお話を聴く会を開きます。
今のケニアの事情からフェルト工房のことなど、様々なお話を聴きます。
フェルトアニマルはスラムのママたちがケニアの羊の毛で作り、世界中で愛されるヒット商品となりました。
「ケニア山麓の羊農家から原毛を購入し、洗って干し、染色し梳いて、最終的に象やキリンなど動物やアクセサリーに仕上げる作業には忍耐と努力が必要です。「私は学校に行けなかったけど、この手で物を作り売ったお金で子どもを学校に行かせられるわ」とドゥンガドゥンガ(フェルト針でチクチク刺す動作)の手を休める間もなく、みな懸命に取り組んでいます。
1日1ドル以下で生活する貧困層が60%を越える貧困国ケニアで、5ドル以上の日当を手にして颯爽と家路につくママはたくましい一家の大黒柱です」