ゆっころんのブログ

 <<『 週 刊 金 曜 日 』 メ ー ル ニ ュ ー ス >>  2022.9.2 より 違憲の国葬問題  ~国葬による負の影響や「囚われの聴衆」

<<『 週 刊 金 曜 日 』 メ ー ル ニ ュ ー ス >>        2022.9.2

_________________________________________________________『週刊金曜日』より一部紹介

■シリーズ国葬への疑義・第4回
憲法学者が点検する岸田政権による違憲儀式の政治利用

「誰の死をも政治利用してはならない」──シリーズ「国葬への疑義」第4回にあたる今週号では、気鋭の憲法学者2人に、憲法上の疑義から考えうることを考察してもらった。そもそも「弔意の強制」が憲法19条の「思想・良心の自由の保障」に反することや、国葬の強行が何ら法的根拠をもたないことは、憲法研究者ならずとも多くの市民が共有する「常識」になりつつあり、国葬問題は新たな段階に突入している。

それは戦後、私たちの社会が曲がりなりにも築いてきた法治主義や「個人の尊重」といった憲法的価値の対極にある「人の死の政治利用」への告発の動きだ。

これは今まさに焦点の統一教会と政治家の問題とも直結し、さまざまな虚偽と不法・違法を重ねてきた故・安倍晋三元首相の政治手法やその内実への評価とあいまって、安倍氏の国葬が統一教会問題の徹底解明を妨げる疑惑隠しにもつながるのではないか──との懸念となって表出し、岸田政権の支持率も急落している。

学者や市民による提訴を含めたさまざまな批判が噴出する中で、今週、新たな動きが加わった。戦後の司法反動の激動期に最高裁の人事権濫用と闘い、民主化を求めた司法修習生代表の資格剥奪を撤回させた弁護士や元裁判官のグループ(「23期・弁護士ネットワーク」)が、新たな視点から声明を発表したのだ(きんようアンテナ欄参照)。「国葬」の名で国費を支出するならば、「国会の議決に基づくことを必要とする」などの憲法上の財政民主主義に反することも訴えている。(本田雅和・編集部)”

●法整備や国民的合意を省略
法の支配を無視 既成事実化しても違憲
小林節

岸田文雄政権が強行しようとする安倍晋三元首相の国葬は、憲法に照らしてどこに問題があるのか。憲法学者の小林節氏が六つのポイントを挙げ、解説する。

●必要なのは真相究明で、それを塞ぐ《まつりごと》ではない
憲法とも民主主義とも相いれないシンボルの政治
志田陽子

「各種の真相究明が先で、実績を一方的に称賛する儀式を行なうことは、民主主義の理路とは相いれない」と指摘する憲法学者の志田陽子氏。国葬による負の影響や「囚われの聴衆」にされることを懸念する。

日本の食料保障の現実はアフリカ諸国よりも脆弱だったとは。。。

以下 星川淳さんのFBより
食料自給率の低さは安全保障上の特大リスク――米国の言いなりで莫大な国費による琉球弧の軍事要塞化などを進め(それも米軍の時間稼ぎのための捨て駒にすぎないと知りながら…)、米国製兵器を爆買いし続けるだけの安保政策は自滅の道ですね!
地図、テキストの画像のようです
 8月24日
衝撃的な数値だ。日本の餓死者が世界の餓死者の3割を占める。日本の食料保障の現実はアフリカ諸国よりも脆弱だったとは。
 核戦争が起きると直接放射線被ばくで死ぬ人の十数倍の人が食料難で餓死すると想定されている。核爆弾による粉塵による被害と食料輸入が止まって2年で食料供給が尽きる。比較的少ない核兵器が使われた核戦争でも日本は6割が餓死。そのレベルの核戦争ではアフリカの多くの国は影響をうけないのに、日本は大半が餓死する。
もちろん、先進国の中で、それは日本だけ。世界の餓死者の約3割はなんと日本(1)。米国の大学研究チームによるシミュレーションに過ぎないが、そこまで日本の食料事情は脆弱であると指摘されていることはしっかり受け止める必要がある。
 核戦争がなくとも、輸入が止まれば、日本では畜産はほとんどストップ。野菜もタネがないので作れなくなる。化学肥料も使えないので、自家採種している有機農業・自然農法やっている人以外は生産の継続も難しくなる。

衝撃的な数値だ。日本の餓死者が世界の餓死者の3割を占める。日本の食料保障の現実はアフリカ諸国よりも脆弱だったとは。

 

核戦争が起きると直接放射線被ばくで死ぬ人の十数倍の人が食料難で餓死すると想定されている。核爆弾による粉塵による被害と食料輸入が止まって2年で食料供給が尽きる。比較的少ない核兵器が使われた核戦争でも日本は6割が餓死。そのレベルの核戦争ではアフリカの多くの国は影響をうけないのに、日本は大半が餓死する。

 

もちろん、先進国の中で、それは日本だけ。世界の餓死者の約3割はなんと日本(1)。米国の大学研究チームによるシミュレーションに過ぎないが、そこまで日本の食料事情は脆弱であると指摘されていることはしっかり受け止める必要がある。

 

核戦争がなくとも、輸入が止まれば、日本では畜産はほとんどストップ。野菜もタネがないので作れなくなる。化学肥料も使えないので、自家採種している有機農業・自然農法やっている人以外は生産の継続も難しくなる。

 

核戦争でなくとも輸入が止まることは非現実的な想定ではなくなってきた。気候危機による自然災害、紛争、感染症パンデミック。こんな事態になっているのに政府は食料自給率を上げることには消極的。要するに米国からの食料輸入を国是=前提にしてしまっている(食料政策における安保体制)ので、それを変えない限り、上げようがない。だから農業強化策も農産物輸出のみになってしまう。

 

しかし、このような事態では輸出を考えている場合じゃない。こんな脆弱な日本に一体誰がした。今は、地域の食を強化するために目の色変えて必死に動かなければならないのに、それでも政府に動きは見えない。生産をむしろ減らすことが政策の柱だったりする。

 

自民党はその一方で細胞農業推進議員連盟を立ち上げた。細胞農業とはまさに細胞を育てる農業。動物の幹細胞を取り出して、それを培養して、肉にする細胞培養肉のように細胞だけを育てる。細胞農業の工場作れば食が確保できると思うかもしれない。食料危機対策になる、と。でも、それはありえない。

 

細胞を培養するためには、細胞を育てるためのミネラルを供給しなければならず、それには大量の大豆などもやはり必要になる。大豆などの大量輸入も国内生産もできない状況では、細胞農業の工場作っても肉は作れない。食料危機の解決にはまったく役立たない。そんな役に立たないことにお金使っている場合じゃないのだ。

 

また、他国に食料を頼る脆弱な日本にとっては国際関係の安定は何より重要となる。国際的な紛争はそのまま日本で飢餓の最大の要因になりかねない。それなのに他国を必要もなく、挑発したり、歴史的事実を書き換えようとする政治勢力が増えている。身の程知らずとはこのことだろう。歴史に学び、世界の人びとと和解し、世界に貢献できるようになってこそ、本当の意味の誇りも回復できる。そうしなければこのままでは名実共に日本は本当に滅びてしまうだろう。

 

核兵器を全廃させ、国際間紛争を起こさせない努力はもちろん必須だが、気候危機や生物絶滅危機、感染症パンデミックも危険は高まるばかり。

だからこそ、地域の食のシステムを急いで立ち上げる必要がある。そしてそれを自然の循環を生かしたシステムにしていく必要がある。まったなし。

(1) 核戦争後の「核の冬」 食料不足で世界の50億人犠牲、日本では…

https://digital.asahi.com/articles/ASQ8N5J2HQ8MPLBJ002.html

元になった論文。地図はここから

https://www.nature.com/articles/s43016-022-00573-0

【未公開分】2019年10月18日~22日沖縄カカオプロジェクト の カカオフレンズツアー報告 その2

②資本主義とフェアトレード

【10月21日】

反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」

伊江島(本部からフェリーで30分) 命どぅ宝の家は以前訪問したことはありましたが、その時は「日本のガンジー」と呼ばれた人阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんの反戦平和資料館を阿波根さんが亡くなられた数年後に訪問。著「命こそ宝」「米軍と農民」を読んだのは最近のことでした。戦争で伊江島でおきたこと、戦争がくり広げるむごいことが繰り広げられていた。(実は、日本が朝鮮や中国でしていたことでもあるのだけれど)彼の行動は、なみの人ではないことを痛感。

『命こそ宝―沖縄反戦の心』(岩波書店、1992年)

『米軍と農民 沖縄県伊江島』(岩波書店、1973年)

 阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう、1901年3月3日 – 2002年3月21日)は、日本の平和運動家。日本のガンジーとも言われ、座って、肩より手を上げないという取り決めをして抗議交渉。戦後、アメリカ施政権下の沖縄の伊江島で米軍強制土地接収に反対する反基地運動を展開、沖縄本島では乞食行進をして伊江島での実情、農民にとって農地がなければ食べていけない、生きるために乞食(托鉢)を決意、乞食することは恥だが、そうさせるアメリカ軍はもっと恥と、アメリカ軍による土地強奪の不当性を訴える。

農民の苦悩に満ちた生き方と、知恵に富み高い道義に立った根気のいる長い必死の闘いがこの2冊に記録されている。自宅敷地内に反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」を自費で建設

命どぅ宝

阿波根昌鴻さん 「わびあいの里」

https://www.facebook.com/wabiainosato
http://wabiai.holy.jp/

謝花悦子さんと

はじめに、「何しているの?」という問いに「フェアトレードの店をしています」の答えに「フェアトレードって何?」と聞かれ、コーヒーやチョコのことを例にとり説明し、ネパリ・バザーロは28年、フェアトレード・ショップは24年と話をすると「いいことだね、出来ればいいね。だけではなく20年以上行動していることが素晴らしい。木だって大木になる。」

阿波垠さんも一人息子さんがみえたが、沖縄戦で戦死。謝花さんが養女となり50年寄り添うなかで今も阿波垠さんのメッセージを伝えている。

阿波垠さん『資本主義を替えることは無理、例え軍備が無くなっても闘いは終わらない。いかに平等に分配するかが重要。資本主義はお金さえあればだが、お金はいくらあっても無くなる。土は人間に還元してくれる。人間が生きるには土地が大事、何年使っても糧を与えてくれる。』と彼のメッセージを伝えながら

阿波垠さんに「生きている時に会わせたかった」と言ってくださった謝花さん。

これはフェアトレードの活動をしている人みんなへの言葉だと思いました。また20年以上続けてこられたのはそれを支えてくれる人々がみえてのことだけれど。

おもえば、体の不調で休むこともなく、生産者を訪ねる旅には10ヶ国でかけ、子どもらも成人してそれぞれの道を歩むことで安心して仕事を続けられたことに自分でもびっくりするくらい24年という月日の重さを実感した。夫や恵まれたスタッフなどすべて感謝しかない。

謝花さんに、フェアトレードに出会って心動かしたメッセーを頂いたのですが、実は今年と昨年と謝花さんに会い、カタログなど資料も送っていたネパリ・バザーロのいままでのつながりがあって、この日ガッチっと謝花さんの心に届いた日でもありました。

以下、ネパリ・バザーロの土屋春代さんのブログより転載

≪「命どぅ宝の家」@沖縄、伊江島 ≫

「基地を開放しても、闘いは終わらない。資本主義の中で、物が平等に分配されるまでは。」

「資本主義の根本を知り、その上で闘わなければならない」

2月の沖縄訪問の際、阿波根さんのずっと側にいらした謝花悦子さんからお話を伺い、衝撃的な言葉を聞くことができました。生前、常に阿波根さんが問い続けられていたことだそうです。

まさに、私たちの活動に重なるものだと思いました。戦略的、積極的非暴力であるフェアトレード。

日本のガンジーといわれる阿波根さんの魂受け継ぎ、そして無残に失われてしまった尊い命の声なき声を胸に刻んで、地道な活動を続けていこうと、改めて心に誓いました。

最後に、謝花さんからのメッセージです。
「これから生まれる子どもたちに、平和な社会を残すか、戦場を残すか。あなたたち、一人ひとりの肩にかかっています」

資料館では、暮らしと共にあった品々に手を触れて、先代の体温を感じ、言葉の一つひとつを心に刻みました。
(2018.2.11訪問)

まさに、フェアトレードは今の経済に抗う市民の運動それは以下のメッセージにもスイッチでき、私の心のなかでは今回の旅は、フェアトレード運動・実践を続けていくことを阿波垠さんや謝花さんにも後押しされた思いです。

高田・土井・土屋・謝花さん・高橋

以下は、今回一緒にカカオフレンズツアーに参加した高田洋子さんのメッセージです。

フェアトレードとイギリスの経済学者JSミル

2019年9月18日ユニオン学校にて たかだ洋子&土井ゆきこ

2019年10月18日~22日沖縄カカオプロジェクト の カカオフレンズツアー報告

③沖縄、福島を深く知ることで今の様々な問題がみえてくる

 

【10月21日】名護 ネクストステージ

森を守る取り組み「センブランド・ヴィダ」~自然の恵を分かち合っていくこと~ メキシコより &7月31日講座の感想

気候変動・自然破壊・移民の問題。多くの問題を抱えるのはメキシコに限ったことではなく、もはや地球全体の問題となっており、SDGs(持続可能な開発目標)では17項目の解決すべき目標を掲げている。

メキシコで、先住民と暮らしたことのある大統領が誕生! アンドレスマヌエル・ロペスオブラドールさん(64)3回目の挑戦。

愛称は、氏名のイニシャルから「AMLO(アムロ)」。大統領選は3度目の挑戦だった。2006年、12年とも2位で敗れた。小差だった06年には「選挙に不正があった」として独自に大統領就任の宣誓をした。

そんな政治家になるとは、想像できないおとなしい少年だったという。

転機は20代前半。先住民に農業を教える仕事に就いた。ともにハンモックで寝起きしながら、貧しい暮らしを間近に見た。

メキシコが抱える、大きな貧富の差を知ったことが政治家としての原点になった。今回の勝利宣言でも「すべての人の幸せのために働くが、まず貧しい人を優先する。特に先住民を」と語った。00~05年にメキシコ市長を務め、社会福祉の拡充やメキシコ市民を悩ます渋滞の緩和などに取り組み、支持を集めた。

南米、コロンビアでも「アンデス山脈が動いた」と形容できるほど歴史的な出来事、独立以来200年余の間に一度も革新政権がうまれなかったコロンビアに8月7日、左翼振甫主義者のグスターボ・ペトロ新大統領(62歳)が誕生。

先住民の主権をまもるためにたちあがる南米の姿、その一つメキシコの新大統領はマヤ先住民ナワット族の1977年設立のトセパン協同組合の森林農法(アグロフォレストリー)に見習う「センブランド・ヴィダ」政策を掲げた。

トセパンと九州のウィンドファームは、フェアトレードでつながり、名古屋にも2010年トセパンのアドバイザーであるレオナルド・ドゥラン氏を招いてシンポジウムを開催。

ゆっころんは、2007年にトセパン協同組合をツアーで参加。

その時の話と現在のトセパンとの報告を7月31日「タルシルCafe」講座で話します。

7月31日企画チラシ (1)←詳しくは

 

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トレードの会社 九州のウィンドファーム カタログ2019年6月発行より

コーヒー生産地とつながる旅より

2018年 12月1日に発足した、 ロペス・オブラードル大統領率いるメキシコの新政権が最も重視している政策が

「センブランド・ヴィダ(いのちの種をまく)」と名付けられた100万ヘクタールの植林プロジェクト。単一栽培ではなく、森林農法(アグロフォレストリー)による作物のの植林・栽培

目標・森林農法による森林再生と生態系の保全

  ・貧困対策として40万人の直接雇用を生み出す

  ・地域に昔からあったコミュニティのつながりも再生する

環境大臣のマリア・ルイサさんは、ウィンドファームと長年フェアトレードで提携してきたトセパン協同組合出身。

【センブランド・ヴィダの植林】は、森林農法(アグロフォレストリー)を基本に

・短期=伝統農法”ミルバ”で野菜類を植える。主にトウモロコシ・豆・かぼちゃ

・中期=3~4年で実をつける果樹の植林。カカオやコーヒー含む

・長期=生産、発育期間が長い樹木の植林。木材となる樹木。

サポート体制

・各地に苗床の設置

  ・一生産者あたり2.5ヘクタールの植林を、25名で1つのグループ編成で登録し、

   定期的に役所へ現状報告

  ・給与は月5000ペソ(約2万7000円)生産者に直接振込され、このうち500ペソ

   は貯蓄

  ・各グループには、技術指導者一人、ソーシャルワーカー一人配置

この30年間、新自由主義のもとで地方や農村の経済的、社会的危機はひどくなり、耕作放棄地が増えました。農村で暮らしていけないため、多くの若い人たちが都市部や米国を中心とした海外への出稼ぎに行ってしまう状況がありました。

センブランド・ヴィダでは、農村に暮らす人たち、特に若い人たちが畑での仕事に威厳を持ち、コミュニティを基本とするローカルでの取り組みを強化することで、まさにこれはトセパン協同組合が大切にしてきた理念そのもの

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フェアトレードの会社 九州のウィンドファーム カタログ2022年1月発行より

アメリカの気候変動問題担当大統領特使であるジョン・ケリーが2021年10月18日「センブランド・ヴィダ」訪問

2021年の予算は、289億ペソ(約1600憶円)

植林活動従事登録者 44万4790人(69%男性、31%女性)

植林の運営管理を担うコーディネーター、ファシリテーター、および技術者は4911人

”若者の未来プロジェクト”ろいう奨学金制度で学ぶ若者3万8514人

現在、8憶1700万本の植林と111万2000ヘクタールの森林再生が進行中。

【環境大臣マリア・ルイサの説明】

元トセパン協同組合顧問で、現在はメキシコの環境大臣であるマリア・ルイサは「センブランド・ヴィダ」が担う環境保護や農業生産の役割は、国内の先住民の農業スタイル、つまり森林農法(アグロフォレストリー)が手本となっていると、ジョン・ケリーに説明。

・アグロフォレストリーの二酸化炭素の吸収量

100万ヘクタールに植林すると、年間1780万トンのCO2を吸収

森林農法を展開する地域では、

10リットルの水のうち9リットルは森林農法の恩恵により生み出され、

その9リットルのうち、6リットルは生活・農業に使用、

残り3リットルが地下水脈へと流れる

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^以下は7月31日講座の感想

*環境にしても民族独自の文化にしても、どんどん消失していっているというような話ばかり聞く中で、このような場所がある事が知れた事は大変な驚きであり、またうれしい事でした。改めて太古から受け継がれて来た、自然と先人の知恵を守って行く事の大切さを感じました。(40代 男性)

 

*「トセパン」という語感が好きで、今気に入っているコーヒーだったけど、ゆっくりメキシコのお話がきけてよかったなぁ~。森を守ること。

紙芝居メキシコ行ったよ(紙芝居文化の会)(60代 女性)

 

  • 「地域の集団の働く・生活」=「自治(政治)」なんだなァ。日本はなんかすごーく遠くなっているなァ。
  • 「学び」生活や仕事からなんだなァ。
  • 環境大臣ってすごーく対峙なんだなァ。日本は情けない… (60代 女性)

 

*6時間かかってたどり着く場所が、むしろ最先端を行っているのではないかと思いました。トセパンを中心にメキシコ全土、周辺国にも良い活動が広まっていく様子が素晴らしくもあり、うらやましくもあり…。とにかく一度行ってみたい!!(30代 女性)

 

*先日、いなべ市の農園の自然に育てるやり方、自然と共に生きていると感じたことを、今回の話の中で共通するものを見ました。人々が忘れてしまっている、本当の豊かさが、そこにはあると感じました。日本にもトセパンのような組合が出来るといいなぁと思いました。(30代 女性)

 

*メキシコの奥地で組織的に森林農法、環境教育など行われているというのが、意外であり、全く知らなかったです。(メキシコは治安が悪く荒れているイメージしかなかった)私たちがトセパンのコーヒー等を購入することで、トセパンの方々の生活、そして環境保護につながる、重要性を知れ、今日のセミナーに参加し意識が変わりました。(40代 女性)

 

*トセパンの森林農法で、2,3つくらいの収入源があるという話が印象的でした。9月末に勤務先をやめるので、しばられない働き方を目指したいです。心の豊かさを大切にしていきたいと感じました。(30代 男性)

 

*種の保存や教育に力を入れているのが、驚き!先々の視点を持って、今を暮らしているのがすごいなぁと思いました。コーヒーやはちみつが美味しいのは、暮らしている人が幸せでいるからだなぁと改めて“ありがとう”(これを伝えてくれた、ゆっこさんやウィンドファームさんにも)と思いました。(30代 女性)

 

トセパン協同組合(メキシコ)2007年訪問記と「センブランド・ヴィダ」へ

2022年7月31日 タルシルCafe ゆっころんの訪ねた旅 その1

7月31日企画チラシ

メキシコのトセパン協同組合を報告するにあたって、以前の資料を取り出しまとめてみました。

トセパン協同組合の40年以上にわたる活動と実績が、2018年新しい大統領の誕生に伴い、森林農法(アグロフォレストリー)を軸にトセパンをお手本として「センブランド・ヴィダ」と呼ばれる植林プロジェクトがメキシコで展開されている。

■2007年10月 メキシコへ■

2007年10月に企画されたトセパンを訪れる旅、それはトセパンの30周年、ウィンドファーム20周年を記念してのツアーでした。

ちょうど15年前、日本から14名参加(大学の先生・80代の女性、ラブランドの明石さん=東京の飛行場で「あら? あなたも?」って感じでした。)

30周年記念ということで、記念にまぐカップを頂いたり、大きな気球を膨らませ、そになかに松明(たいまつ)をいれて空高く飛ばすイベントや、直径1m以上ある鳥の羽のような円形のものをつけての踊りをみせてもらったり

お祝いの集まりではコーヒーは泡たてたミルクで絵を描くデコレーションコーヒーが出されていた。団体訪問もあり、お祭りイベントもありで楽しい旅でした。

トセパンのパッケージ

トセパンのコーヒーなどにある花を抱えた白い民族衣装の女性は、男性が数人でも集まることを禁じられた時に女性たちが活躍したことに由来しているのでしょうか?素敵な絵です。

首都メキシコシティーから車で6時間かけて現地へ向かう。町の中は車が混んでいた。途中バスが曲がるところに車が止まっていて回れない。近くにいた人たちが車を持ち上げ通れるようにしてくれた。途中子どもたちのいる施設へ寄ってお昼を頂きました。

以下は、「エコロジーの風」13号 2008年6月発行掲載に加筆して紹介

「希望の種、森を育てるアグロフォレストリーの森を訪ねて」 土井ゆきこ

■参加するきっかけ■

2005年6月にトセパン協同組合のアルバロさんと、生物学者のパトリシアさんが来日の折、名古屋での講演会を受け入れました。そしてその話を聞く機会を得ました。トセパンの活動が、アグロフォレストリーという伝統的な方法でコーヒーの木育てながら森を育てること、子どもたちみ環境教育を独自にしていること、銀行をつくり地域でお金を回していること等を聞き、とても興味を持ったことが始まりでした。

是非、メキシコに行きたい、トセパンの活動を見たい、コーヒー農園を訪れてみたとその講演を聞いた時に思いました。2年後の2007年10月に企画されたこのツアーに参加できたこと本当に嬉しいです。

~今回のメキシコツアーは、期待以上の充実したものでした~

■トセパンに到着■

お出迎え

首都メキシコシティから約1日かけてトセパンに着いたの夜8時半過ぎ、予定より数時間遅れて誠に申し訳なかったと思います。待ちくたびれたことと思います。白い民族衣装の女性たちが歓迎のお香を焚いてレイもかけて頂きました

 

歓迎の食事のあとに出されたコーヒーは、クリームで絵を描いたおしゃれなものでした。商品の陳列された棚も竹でつくられていました。

 

 

レイをかけて Wellcomeメッセージ

 

トセパン・カリ(宿泊施設)

地域産出の竹と石でできた「トセパン・カリ」というエコツーリズムに基づく宿泊施設は山の中、それぞれのキャビンにたどり着くまでの道にともされたゆらぐ明かりがロマンチック、部屋も竹も素材がいかされ、また現地の画家の絵が飾ってあり、先住の人達の暮らしや祭りの様子をみることができます。

アトリエ訪問

 

画家故グレゴリオ・メンデス・ナヴァさん(2022他界)

 

素敵な施設でここちよい空間を頂き幸せでした。

 

一棟のキャビンには個室があり(2人部屋くらい)真ん中には人が集う場所もある。

 

ベッドにはWellcomeのメッセージが置かれてあり、シーツは希望があれば取り換えるという伝言もあり。今では日本のホテルでも常識になっているかもしれないけれど

15年前のトセパン・カリではすでにこのようであり、排水も植物をろ過し流すという環境配慮は進んでいました。

■トセパン滞在の1日目■

ケツアーランの町にあるい「トセパン・トミン(みんなの銀行という意)」という組合の銀行を訪問して活動の説明を受けました。

トセパン・トミン(みんなの銀行)

その間にも民族衣装を着た女性が子どもさんを連れて銀行の窓口を訪れていました。

 

利用する人のことを考えて、日曜日でも営業しているということです。銀行側が高い利息を払い(13%)市民が借りる利子は低いというまれな銀行です。

 

お金は資金と考え、持続可能な社会をつくるためのお金の有効利用は欠かせないという。

町でのローカルマーケットはとてもにぎわっていました。食用サボテンも売ってました。

町歩き

ラッキーなことに教会の広場で「ポラドーレス」というダンスの一種をみることができました。

高いところへ登る人

教会の高い塔のたかさぐらいの木のまわりで笛や小さな太鼓を鳴らしながらひととき踊り、

その木に7人が登っていきました。そのうちの4人は木のてっぺんに巻き付けてあるロープを取り、自分の体に巻きつけました。儀式のように笛太鼓がしばらく上から鳴り響き、そのうちに4人が四方に逆さになって飛び、遠心力で互いの力が作用して、遊園地の空中ブランコのように高い木を中心に回りながら降りて来る。

 

 

やがて二人のひとが回転を止めりうために、てっぺんから綱を降りてきた。高いところ見上げていたので首がだるくなるほど、ハラハラどきどき、すご~い技でした。

市場の教会前でみたボラドーレスは、深刻な旱魃(かんばつ)を終わらせるために神に懇願する儀式、ユネスコ無形文化財。

トセパン滞在中に、たにも鳥の羽根を思わせる美しい円形の飾りを頭につけ、笛太鼓で踊る伝統舞踊や

クロスした四方の木が地上に仕組まれ、その木に4人の人が捕まり互いの重力でぐるぐる回るこの芸もケツアールダンスの一種で、クロスした十字形は天体の動きを表現していることなどの説明がありました。

クロスの木に捕まる人

 

これら伝統の踊りは、天や地やそこに住む鳥たちにつながる思いの表現であろうことから、森を育て、守ることと同時に、人々が文化を継承しながら誇り高く生活していることを思い知りました。

■トセパン滞在の2日目■

組合員さんが会議したり、食堂があり、図書室やパソコンをするなどの施設が山の上にあります。そこをナワット語で「魂を解き放つ場所」といいます。

そこで(2007年現在で)トセパン30周年、ウィンドファーム20周年の式典があり、山の中を2時間歩いてコーヒー生産者の人も参加。美味しいカプチーノコーヒーを順番待ちして楽しんでいました。

松明を燃やして、その暖かい空気をいれることであげる大きな大きな気球も高く高く舞い上がっていきました。

気球

この気球をいくつも作るのに相当な時間が費やされたと思います。

 

手塚治虫の「火の鳥」のモデルとなった

ケツアールは、世界で一番美しい鳥、その鳥の名前に由来する地名ケツアーランに住む人々の空への憧れを感じました。

■トセパン滞在3日目 いよいよ森林農法の森へ■

手の届く果物はそこでほうばる楽しい森の散策は、30年前は馬を飼っている牧草地の説明を受けました。それが今では立派な森になっている。熱帯雨林伐採後の単一食物栽培のプランテーションと対極的な農園。

農園にて

研修施設のある建物近くの試験農場も、もとはサトウキビ畑。栽培のため森林を伐採してサトウキビが作られ、蜜を煮詰めるために更に木が切り倒されれる状況から、すこしづつ森林農法(アグロフォレストリー)の中でのコーヒー栽培へと移行していったそうです。

試験農場にて通訳の井上さんとレオナルドさん

 

シナモン採取

コーヒー工場も見学

 

 

記念のコーヒーの苗木植林

■4日目フィールドワークで洞窟体験■

先住民の信仰の場でもあった洞窟の見学をしましたが、そこで聞いた話は、よりトセパンの活動理念を知るものでした。

その洞窟は以前、ゴミ捨て場となっていて下の村へ流れる地下水を汚染していたのでその洞窟付近の土地を購入し、ゴミを運びだして、神秘的な洞窟があるのでした。

またその前日もコーヒーなどの苗床作りの現場と、蝶の保護飼育をしているところを案内され、蝶の保存と受粉をい促すために箱のなかでさなぎを蝶にかえらせ、ネットのなかで蝶を放ち、卵を採集した後、森にかえしているという活動も聞いたばかり

針を持たない地バチの種保存飼育を含め、

針なしミツバチの巣(素焼きの壺)

地球環境を見据え、自然生態系を守るこの行動力に「このような行動をする団体があるのいだ!」と私は大いに心をうごかされました。

■5日目最終日の意見交換■

アルバロさん

互いに振り返りをしました。2年前来日したアルバロさんは言いました。

「どのように世界が変わったらいいのか?

クレージーな人がいなければならない。

クレージー残党、一緒に夢を見よう! 将来像を描いて、組合が発展寄与できたらいい! 戯言、独り言の繰り返し、これを密につなげていく。先を見る一点、たわいもなく言い合って、交流の場を持ち、関係を深めていけたらいいと思う。コーヒーを通じてより深く知ることができよう」

ウィンドファームの中村隆市さんによれば、

中村隆市さん(真ん中)

アルバロさんは牧師さんになろうとした人でナワット族出身の人ではない。今回中心的に案内をしてくださった技術指導者のいレオナルドさんも外部の人と聞きましたが、トセパン協同組合を起こした、ドン・ルイスさんはじめ、このような人々の夢見る行動が、私にひたひたと、また力強くエネルギーを注入しました。

やっぱり夢を見続けよう! このような思いの人たちが現実に存在するのだから。

緑いっぱいの、人が自然生態系の一員として暮らしていける世界を夢みて私は私にできることを日々積み重ねていきたいと改めて思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下 中村隆市さんのブログより

トセパン協同組合に初の女性リーダー誕生!

トセパンコーヒーやハチドリコーヒー、カフェインレスコーヒーでお馴染みのトセパン協同組合が設立40周年を迎えた2017年、トセパンの歴史で初めて女性の代表が誕生しました。これまで自然と共存する先住民文化を大事にしながら、森林農法によって有機農業を広めてきたトセパン協同組合は、女性の自立も大きな目標の1つと考えて女性の社会進出を後押ししてきました。そのトセパンに女性のリーダーが誕生したのです。彼女の名はパウリーナ(パウリーナ・ガリード・ボニージャさん)。
中央がトセパン協同組合の代表に選ばれたパウリーナさんトセパンでは、6年に一度、組合の代表を決める投票が組合員によって行われます。
パウリーナさんは、子どもたちの教育支援を目指すトセパン基金を提案した人で、これが多くの人の評価を得ました。

トセパンでは、組合内に自らの学校を設け、言葉、文化・伝統、宇宙観など先住民としての教育と、国の教育カリキュラムを合わせた独自の教育プログラムを行っています。自然を大切にする農業も教えています。そして、これを充実されるために設立されたのがトセパン基金でした。これまで、トセパンの学校や教育活動の運営には、組合の主な活動であるコーヒーやオールスパイスなどの生産・販売によって得られた収入が使われていました。しかし、数年前に鉱山開発の問題がピークに達し、開発の危機が間近に迫りました。その時、「たとえ開発が強引に進められてコーヒー栽培が出来なくなったとしても、なんとかして子どもたちの教育は守りたい、学校だけは残したい」という強い思いから、学校の自立運営を目指すことを提案したのがパウリーナさんでした。今回の代表選での公約にも学校の自立運営を掲げ、これが多くの人から賛同を得ることとなったのです。
トセパンの小学校

トセパンと子どもたちの未来を考え、子どもたちの教育の重要性を改めて皆に示したパウリーナさんの提案は、女性ならではの視点ともいえる重要なものでした。
小学校での農作業の授業

トセパン基金は元々、教育を充実させるために設けられた非営利団体ですが、今年9月のメキシコ中部地震以降、被災地を支援するプロジェクトの窓口としても機能しています。ここを窓口に、トセパンではメキシコ政府の手が届かない貧しい被災地に仮設住宅を建設する支援プロジェクトを展開しているのです。

トセパン基金を通じ、自分たちの組合の未来を作る子どもたちだけでなく、トセパンと同じく先住民が多く暮らす地域の未来を作るための活動に取り組むトセパンの人たち。そこには、いつものように彼らの「助け合い」と「分かち合い」の温かい思いが強く感じられます。

これからパウリーナさんを中心に進む女性ならではの活動と、今後のトセパンの取り組みを私たちスタッフもとても楽しみにしています。

*現在ウインドファームでは、トセパンの地震被災地支援プロジェクトである「竹の仮設住宅建設」へのご支援を募っています。頂いたご寄付は「トセパン基金」へ送らせていただきます。ご支援のほどよろしくお願い致します。
詳しくはこちら→トセパン基金寄付

7月30日のだらっと憲法カフェは中止・「ウィシュマさんを知ってますか?」著者:眞野明美 構成:関口威人 風媒社

7月30日第18回だらっと憲法カフェは、コロナ事情があり、今回は残念ですが中止とします。

皆様に見て頂く予定でした動画3本は以下の通りです。

①ヒューマン・フロー大地漂流の予告編

https://www.youtube.com/watch?v=H7Bnf-erm6I  2分35

② 3分UNCHR難民とは アニメ

https://www.youtube.com/watch?v=ZW_NnDi06y8

https://www.youtube.com/watch?v=XFw2R6qpTzc     BBC 3分11くらい

いずれも短いので一度時間をみて、見てみてください。

先日「ウィシュマさんを知っていますか?」を読みました。

名古屋入管収容所で亡くなったスリランカの女性ウィシュマ・サンダマリさん。

今までは活字でしか知らなかったのですが、

受け入れ先となる眞野明美さんとの手紙のやり取りを

この本で読み、ウィシュマさんの人となりが伝わってきました。

本当に悔しいです。今の日本の入管のやり方! 許せない思いです。

特高(戦前の)の体質をうけついでいるということなので

そ~か~という思い。今も多くの人がその入管収容所で人間としての扱いを受けていない。

遺骨は、明通寺の北條至子さんが供養されるということ、この方もウィルあいちの店でお会いして話をしたことがあり

この本の構成は中日新聞の折込み紙 環境情報紙『Risa(リサ)』の編集長だった関口威人さん、今はフリーのライターで活躍。

著者 眞野明美さんは、私の子が小さい時、出前コンサートでギターを持ってうたった人。

歌の合間に、東南アジアの人々の暮らしを犠牲にして私たちがバナナやエビを食べているという話をしてくださった人。

私がフェアトレードの道へ歩みだす一歩を作った人でした。

「ヒューマン・フロー大地漂流」も

映画「牛久」入国管理センターの実態に迫るドキュメンタリー

https://www.youtube.com/watch?v=44pIWpZq-AQ

も見たいと思っている。DVD販売を待っている状態。

 

外国人を人間扱いしない戦前の体制が続く日本

戦前、外国人の出入国を担ったのは特高(特別高等警察)でした。戦後、公職追放を免れた人びとによって体制が引き継がれたため、政府には外国人を人権や生活の主体として見る視点がありません。(赤旗日曜版1月2・9合併号より)

「ナニカアル」著 桐野夏生 から知る”ペン部隊”

桐野夏生さんの本、3冊目 読み終えた。「ナニカアル」

林芙美子の『北部部隊』の冒頭の詩からの題名

「ナニカアル」不思議な構成の本だった。

戦争の時代に生きるって本当に怖いと思った。初めにも、あとがきもない本。図書館でみつけ2冊借りてきたうち1冊。内容を全く知らずして読み始めた。

手紙形式のプロローグではじまり、林芙美子の回顧録とも小説ともわからないという設定で林芙美子の語りで物語がはじまり、最後はまた手紙形式でこの回顧録とも小説ともわからないものは焼却するという結末。

著者の参考文献は66冊。実在の女流作家が名を連ねている。私は本は読まなかったので知らない作家も多い。今回「放浪記」を読んでみようと思った。

他にも文中にあった気になる「麦と兵隊」火野葦平

「生きてゐる兵隊」著者 石川達三は兵隊の残虐行為を描いたために有罪になった。

「良人の貞操」吉屋信子

なにが始まるかわからないままに、プロローグの次の始まりのページに、『「戦争は反吐がでるほど怖ろしい」というのが実感である。』で始まっている。

林芙美子は、昭和17年に陸軍の嘱託となり、インドネシアに長く居た。軍に駆り出された作家は、一切の日記や記録をつけることを禁じられた。

“ペン部隊”なるものがあったのだ。陸海軍とも小説の力を戦争に利用したという。

作家も映画監督も絵描きも、誰もが徴用されて南方や満州へと派遣された。そして軍の都合のいい情報を国民にもたらしたその手先とならざるを得なかったということを初めて知った。

先回読んだ「日没」もそうだけれど、自由を奪われ他の人の言うなりにされる恐怖が物語ゆえに疑似体験的に伝わってくる。

 「日没」あなたの書いたものは、良い小説ですか、悪い小説ですか。小説家・マッツ夢井のも         とに届いた一通の手紙。それは「文化文芸倫理向上委員会」と名乗る政府組織からの召喚状だった。出頭先に向かった彼女は、断崖に建つ海辺の療養所へと収容される。「社会に適応した小説」を書けと命ずる所長。終わりの見えない軟禁の悪夢。

権力者は醜聞や犯罪、人の弱みを掴んで利用する。現在でも映画「スノーデン」にあったように、今はコンピューターで一人の人の情報を万という単位で集め弱みを掴み利用することを知った。

 「スノーデン」アメリカ政府による恐るべき情報収集を告発したエドワード・スノ  ーデン。軍への入隊から情報機関の活動に不信を募らせて命がけの告発を行うまでを描く実話物語。「スノーデン」の映画は実話ゆえに情報を持ち出す場面にすごいスリルを感じた。自らの人生を信念によって投げ出すスノーデンの実行力に敬服。「スノーデン監視大国日本を語る」という本もある。マイナンバーでさらに拍車か?

文中より「要は 睨まれたらおしまい」

「国家に一度疑われた人間はもう二度と浮上できない。」そんななかで生きていた林芙美子

今を生きる私たち

世界の憲法学者の憧れという 日本国憲法 を守りたい!

秘密保護法も、共謀罪も、経済安保法(特許の秘密)も、土地規制法も、戦争になれば必要な法律たちで、全て、名前は違っても戦前にはあったものです。日本国憲法は平和主義の憲法で戦争をできない組立だったから、これらは全て戦後に廃止された法律群でした。(だらっと憲法カフェ たかだ洋子)

 

音楽の贈り物~ウォン・ウィン・ツァン ギャラリー・コンサート

ガイアシンフォニー上映会を開催した1997年

その縁で、スーザン・オズボーンのコンサートに参加

そのバックで演奏していたウォンさんを初めて聞きました。JAZZっぽかったのがいい!

それから追っかけをして、2004年11月20日(土)ウィルあいちのホール(800人収容)で

Yes Peace! ~ウォン・ウィン・ツァンと平和を祈る~ピアノ・コンサートを開催

このコンサートを開催するまでに1年間に8回 Yes Peace!シリーズを企画してこの日にお誘いを繰り返してきて招待の人含めて多分500名くらい参加くださった。

第1回 2003年12月26日 「松井やよりさんを忍ぶ会」ビデオ上映と丹羽雅代さんの話

第2回 2004年1月30日  池住義憲「憲法9条ってなあに?」ワークショップ

第3回 2004年2月14日  リアルバレンタインコンサート フォルクローレのクラカ演奏

第4回 2004年20日~21日 大谷ゆみこさん講演「ピースアース・フード」

第5回 2004年4月17日 「チベットチベット」上映会

第6回 2004年5月8日  「キャラバン」上映会

第7回 2004年6月6日  鬼丸昌也さん講演「銃を手にしたこどもたち」

第8回 2004年8月29日 高嶋紀子さん講演「戦争を止めた女性たち~グルジアの場合」

 

売上金の一部は、松井やよりさん遺志の「女たちの戦争と平和資料館」に寄付をしました。

■松井やより

もと朝日新聞記者。アジアの女性問題に取り組み、アジア女性性資料センターを立ち上げた。

2000年12月 女性戦犯法廷開催

2002年12月27日 「女たちの戦争と平和資料館」建設を託して他界。

富山妙子~戦争の記憶を刻み、社会や芸術を問い続けた画家

京都精華大学ギャラリーリニューアル記念展「越境ー収蔵作品とゲストアーティストがひらく視座」 2022.06.17 – 2022.07.23

会場 京都精華大学ギャラリーTerra-S

2022年7月19日雨の京都へ

週間金金曜日 7/1 1383号 の記事を読み

表紙の絵=富山妙子最後の大作≪始まりの風景≫

戦争の記憶を刻み、社会や芸術を問い続けた画家

富山妙子と「越境」展を見に出かけた。

~昨年99歳で7亡くなった富山妙子は、戦争と植民地支配の記憶を刻みながら、美とは何か、芸術とはどうあるべきか、画家の使命とは、という根源的な問いを生涯発し、格闘しし続けた。…………… (1383号記事より)

今回初めて、富山妙子さんの絵画と出会った。今回は4枚の出展。

・皇民化教育・忠の絵文字(「20世紀へのレクイエム・ハルピン駅」から)

・祝 出征 (「20世紀へのレクイエム・ハルピン駅」から)

・”昔はよかった”(「20世紀へのレクイエム・ハルピン駅」から)

・『桜花幻影Ⅱ』 故松井やよりさんの遺志を継いで設立された、アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館(wam 東京・早稲田)に寄託された作品。生前の朋友の一人だったそうです。私も松井やよりさん大好きでした

『富山さんは、旧満州(中国。・東北部)の大連・ハルピンで少女時代を過ごした。「帝国の植民者の娘」として。朝鮮人の人たちに自分は加害者であったとの認識が、富山の戦後の出発点であり、今後も加害者であり続けるのかという問いかけが、画家人生の原点ともなった』という。

韓国の軍事独裁政権に抗う民主化闘争に強い共感を抱いていた富山は71年秋、「写生」を装った韓国旅行でソウル刑務所に収監されていた背負い時半の徐勝(ソ スン)と面会する。拷問に耐えかねて自殺を図り、顔面に大火傷をしていた徐の姿に衝撃を受けたとの記事もあり、

私が少し前に読んだ『子どもの涙』徐兄弟事件で知られる元韓国政治犯徐勝・俊植兄弟の末弟がふりかえる、本を唯一の友にした幼きころから青春時代にかけての「読書遍歴」著者の徐 京植は二人の兄を持つ末の弟。そんなことでもつながっていき、彼女の著書 https://tomiyamataeko.org/publication も読んでみたい。

若きころは会いたい人に会うために出かけた京都、JAZZ喫茶「しあんくれ~る」や「ビッグ・ビート」は当然閉店で今はないけれど、百万遍の「進々堂」は3年くらい前に境町画廊 https://sakaimachi-garow.com/blog/へ菊本照子さんのお話会で行った時に寄ったので健在。 15年前三男の下宿探しに雪の降る3月に出かけ、彼が無事6年間過ごし終えた京都がまた次への出会いを招いた。

週間金曜日のお陰かなあ~、以前半年契約でとっていたけれど、ピースボートに3か月乗船のため一旦断っていてそのままだったが、昨年稲武の人に勧められ、また女性の選挙権について気になる記事があり定期購読再開。

新聞・TVはここ数年ないけれど、「週間金曜日」は、大事な情報源です。

新城市福津農園を訪ねて 2022年6月19日 企画:なごや国際オーガニック映画祭実行委員会

なごや国際オーガニック映画祭実行委員会企画

新城市 福津農園を訪ねて

日時:6月19日日曜日

場所:新城市中宇利福津38

福津農園の見学、松澤さんのお話、懇親会

福津地区は「福の滴る津(みなと)という意味の土地

草を刈り取ることで肥沃になった山郷(山里) には 微生物 みみず もぐら など多様な生物が調和して生きています。 緑の葉っぱは機密なソーラーパネルとして心地よさを提供してくれています。不耕起 減農薬 農業を通じて地区で支え合う活動から、有機食材のこと、ゆたかで持続可能なオーガニックなお話しを伺いました。

新城市福津農園にてウコンの花

田植えあとの田んぼにオタマジャクシがいっぱい。9種類のカエルも生息
モリアオガエルの卵も何カ所もあり
フェアトレード・ピープルツリーのオーガニックTシャツ、お揃いを松澤参議夫婦にお祝いプレゼント(中日新聞より中日農業賞を受けられたお祝いになごや国際オーガニック映画祭実行委員会より)
農園見学の前に、松澤さんのお話
6月14日の朝日新聞
「新型コロナさらなる変異の先は」と題した記事の
コピーを頂きました。
それには

ワクチンがウィルスの進化を促すとも考えられる。とあり

「理論的には、ワクチンで免疫を獲得したヒトが増えれば

免疫を逃れるウィルスの変化が早くなる」免疫から逃れて

進化するウィルスは病原性が強くなる傾向がある。という

 

 

松澤さん曰く

コロナウィルスを、排除するのではなく、自然調和的に共生をめざす。

 

毎日有機農産物を食べ、多くの時間を太陽光の下で体を動かし

多くの健康で幸せな人や動物植物と共に生きる百姓は健康でコロナウィルスに感染しても発症し難い。

 

病原ウィルスも少しづつ自然調和的に共存する環境では、人体も必要に応じて抗体をつくり免疫システムを調える。ウィルスが自然に進化しても人体の免疫システムで対応できる。

それは、実際に法廷伝染病のニューカッスル病に対するワクチン不要の養鶏体験があり、彼自身も学生時代や勤め先でもウィルスの研究をしてみえたから言えること。

お年寄りや持病のある人のにはワクチンも必要だが、

人工異物を体内に入れて体調を狂わせたり、自然の免疫システムを混乱させたくない。

 

寄主を死に絶えさせては自分達(病原ウィルス)も生存できないし

寄主が病原ウィルスを保持したまま代をつなぐのが理想。 とお話あり。

 

 

また

以前読んだ本間真二郎さんの本で、子どもに打たせるワクチンも

ほんの数種類でいい。

常にワクチンで早めに早めに対処してくのと違って

自然に得た免疫力は徐々にUPしていくとも書いてありました。