ゆっころんのブログ

119ピースボートクルーズ便り=2025年1月3日「アパルトヘイトから30年~南アフリカ、自由の」レインボー国家への道のり~

2025年1月3日
アパルトヘイトから30年~南アフリカ、自由のレインボー国家への意道のり~
デズモンド&リア・ツツ・レガシー財団CEO ジャネット・ジョブソンさん 講演

1948年法律で設定 植民地支配を発展させた
1913年87%隔離して土地収用
人種によって分離するシステム 仕事、どこへ行くか決められた
ベンチも白人子どもはOKだが他は座れない写真にあり
白人・黒人・カラード・インド系 黒人など安い労力で使われた
市民権剥奪 白人地区へ入るには身分証明書が必要
1950年から抵抗運動 身分証書を燃やした
1960年 ヨハネスブルグで3万人 身分証明書を燃やした
1969年 発砲有 虐殺事件 世界から注目 国連
世界で反対運動 国内でも転機
でも独裁政治再開 住む権利だけでなく 結婚 Bantu教育 では教育費は黒人の10倍予算は白人 学校20%白人専用
1976年 言語 子どもがデモ10歳くらい~ 200人の子どもが殺された
ボイコットキャンペーン始まる
1984年 ノーベル平和賞、、、いい影響あり 一方レーガン拒否権
1986年 大司教 黒人初 住まいは白人地域内 法律違反になる?が住むことにした3つの開拓宣言 教会のシステムを変える・女性の権利・アパルトヘイトの廃止
1980年代は暴力の時代」 拷問あり
白人は徴兵された
1985年  宣言 軍政が敷かれた
1989年 大規模デモ行進
冷戦がおわり 当時の大統領が脳卒中で退陣という流れ
アパルトヘイト経済的に成立しない
1990年 政治犯釈放 マンデラさんは27年間投獄の身だった
1990年~94年 かけ交渉
1920年 白人支配を終わらせたくない人 戦車 黒人活動家リーダー殺害
右翼だけでなく 2万人殺害
1994年 選挙 マンデラさんの政党 国民統一   政府アパルトヘイト時代の政治家も含む
最も進歩的な憲法 人権(性的志向含む)世界で最初の合法法律 11の言語公式に
赤・白・青 アパルトヘイト時代の色 黒・黄色・緑 マンデラ政党の色
30周年を迎えた 選挙投票率は50%を」下回った
パレスチナが平和になった時 世界中の平和が

=2024年12月21日講演「世界遺産ゴレ島に生まれて~奴隷貿易の拠点から届ける平和のメッセージ」・28日(土)ポートルイス (モーリシャス島)=119ピースボートクルーズ便り

2024年12月21日講演

「世界遺産ゴレ島に生まれて~奴隷貿易の拠点から届ける平和のメッセージ」

 

 ラ・ティールさん

右階段左側の穴が奴隷が押し込められた部屋の空気抗

右の人、設立に力を貸したこの施設の案内人

 

2024年12月21日講演「世界遺産ゴレ島に生まれて~奴隷貿易の拠点から届ける平和のメッセージ」

講師は、ジャンベ奏者のラ・ティールさん
彼出身のゴレ島は、世界遺産の奴隷貿易の拠点になったところ

各国の要人が訪れています。
港から送り出される前の奴隷が
その港で、立つことも出来ないの場所、空気穴も短冊くらいのが1つあるだけの所に入れられていた。

訪れた南アフリカの大統領マンデラさんは

そこに入り 5分たって出てきた時には涙していたとのこと。
奴隷制度は4世紀400年も続きました。

奴隷解放の映画も以前見た。絶対になくならないと思われていた奴隷制度だつたが一人の議員が困難を乗り越えて解放に導いた。

イギリスでの奴隷解放に努尽力した議員の話「アメージンググレイス」」は
実話

18世紀のイギリスを舞台に、奴隷貿易廃止に尽力した政治家ウィリアム・ウィルバーフォースの人生を、名曲『アメイジング・グレイス』の誕生秘話とともに描く伝記ドラマ。主演は「キング・アーサー」のヨアン・グリフィズ。監督は「歌え!ロレッタ愛のために」のマイケル・アプテッド。18世紀のイギリス。博愛精神にあふれた青年ウィリアム・ウィルバーフォースは、イギリスの収入の多くが奴隷貿易によるものであることに心を痛めていた。若くして国会議員となったウィルバーフォースだったが、聖職者の道を選ぶべきか思い悩んだとき、政治の世界にとどまるよう後押ししたのが恩師であり、『アメイジング・グレイス』を作詞した牧師ジョン・ニュートンだった。
画像、アメイジング・グレイス
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28日(土)ポートルイス (モーリシャス島)

 

  • モーリシャスの人びとと文化交流

環境や教育、女性の権利、フィットネス、地域コミュニティの活性化などさまざまな活動を展開するNGO「ACM」を訪ねました。

 

 

 

 

 

 

2024年12月28日(土)ポートルイス
(モーリシャス島)
モーリシャスの人びとと文化交流

119ピースボートクルーズ便り=2024年12月19日(木)シンガポール ★「昭南島」の歴史を学ぶ

119クルーズ

2024年12月19日(木)シンガポール
★「昭南島」の歴史を学ぶ

  • 「昭南島」の歴史を学ぶ
  • 19日の寄港地
  • シンガポールでは

ツアーの「昭南島の歴史を学ぶ」に参加

「昭南島」は、第二次世界大戦中

日本がシンガポールを占領していた時につけた名前

占領下で虐殺された人は数万人

チャンギ博物館は、日本占領期に戦争捕虜と民間人が収容されていた「チャンギ刑務所」の歴史を伝える施設で、収容者の遺品や生活の様子などが展示されています。

しかし、日本の教育でこのことが語られることはほとんどありません。

私自身、このツアーにさんかするまでは、シンガポールにあるある一つの島だと思っていたくらい。

,8時間行程のツアーでした。

ピースボート119クルーズ 乗船 2024年12月10日(火)横浜港~2025年3月15日(土)横浜港

119クルーズ
2024年12月10日(火)横浜港~2025年3月15日(土)横浜港

金婚式記念に乗船した。
2024年12月10日(火)横浜港出航
2024年12月15日香港
2024年12月19日(木)シンガポール
★「昭南島」の歴史を学ぶ
2024年12月28日(土)ポートルイス
(モーリシャス島)
モーリシャスの人びとと文化交流
★12/28 カンボジア地雷問題検証ツアー
2024年12月29日(日)レユニオン島
(仏領)
2024年12月31日~1月1日(水)
トアマシナ(マダガスカル)
バオバブ街道・ムルンダヴァ2日間
★1/3「アパルトヘイトから30年~南アフリカ、自由の」レインボー国家への道のり~M
2025年1月6日(月)ポートエリザベス
(南アフリカ)
アドゥ・エレファント国立公園サファリツアー
2025年1月7日(火)ポートエリザベス
(南アフリカ)
★1/8 サファリガイド 太田ゆか M
2025年1月9日(木)ケープタウン
(南アフリカ)
★タウンシップ
2025年1月12日(日)ウォルビスベイ
(ナミビア)
ナミビアの多民族文化体験
1/18
★「アマゾンの森と先住民 生存の権利と森を守る戦い」
1/20 Permanent Peace NOW
2025年1月21日(火)リオデジャネイロ
(ブラジル)
リオ日系協会の人たちと会う
2025年1月25日(土)ブエノスアイレス
(アルゼンチン)
世界遺産・イグアスの滝2日間~26日(日)
2025年1月26日(日)モンテビデオ
(ウルグアイ)
イグアスの滝より船に戻る
1/27 「世界を変えた一人の声」Yラインバーバラリー ルーマニアの市街戦下
2025年1月31日(金)ウシュアイア
(アルゼンチン)
★パタゴニア自然ドライブ ヤマナ族
2/3 南極遊覧
★2/6 「世界の平和と憲法9条、非戦の誓い」Y
2025年2月7日(金)プンタアレナス
(チリ)
プンタアレナス観光
★2/9 「軍政から民主主義を勝ち取ったチリ」
2025年2月12日(水)バルパライソ
(チリ)
ショート観光
2/16 「ラパヌイの歴史と考古学」
2025年2月18日~20日(木)イースター島
ラパヌイ(イースター)島観光
2025年27日(木)パペーテ(タヒチ)
先住民族「マオヒ」の文化体験
2025年3月4日(火)アピア(サモア)
自立をめざすサモアの女性たちと出会う

2024年12月10日昼12時 横浜港出航

 

 

見送りに来てくれた次男一家と元スタックさきちゃんにわかるようにPEACEの旗を掲げた。

この旗は、船上での企画、夫(アッキー)のビートルズの講座や

ゆっこりんの船中生活最後の方2月9日のフェアトレード講座でも利用。

=ピースボートとは=

2024年12月10日~2025年3月15日までピースボート119クルーズ乗船中

ブログなかなか繋がらなかったが2月下旬にやっとつながりました。

また報告してゆきます。

ピースボートとは

巨大な客船で地球を一周しながら世界の紛争地を訪ね、現地の人々と交流しながら地球の未来を考えるNGOがピースボートだ。

日本生まれだが、日本人離れしたスケールの大きな発送である。立ち上げたのは4人の学生だった。赤字覚悟で活動を始め、実際に膨大な赤字を個人で背負い100回以上も地球一周の航海をしてきた。日本の若者がゼロからここまで実現したことに感動を覚える。(伊藤千尋著より)

以下はウィキペディアより

当時、早稲田大学の学生であった辻元清美ら数名が、1983年昭和58年)に設立した。

ピースボートはアジアをはじめとする各地の人々と現地での交流を行うことで国際交流と理解を図るという趣旨により、青少年を運営主体として長期の船旅を企画していた。また、ジャパングレイス旅行業者としてこの船旅を企画・実施していた。

1983年にピースボートが企画される発端となったのは、1982年の歴史教科書検定にて、日本のアジア侵攻について「侵略」と記載されていたものが「進出」と書き換えられるとの新聞報道に対し、中国・韓国の人々が抗議し国際問題となった「第一次教科書問題」である(誤報に端を発するが、報じられた教科書とは別に「進出」との書き換え意見があったことも判明した)。

これに対して実際の状況を「現地に行って自分たちの目で確かめてみよう」と考えたことが設立のきっかけとなった[3]

世界中の市民と交流するに当たって、平和民主主義人権から地球環境問題など、具体的には、ユーゴスラビア紛争パレスチナ問題などの地域紛争や、核問題、アフリカなどの貧困問題、HIV問題、あるいはカンボジアのような国の地雷廃絶など、地球上が抱える重大な問題をテーマに扱い、世界の市民と交流を行いながら続けてきた船旅企画である。

ピースボートは国連との特殊諮問資格 (Special Consultative Status) をもつ国際NGOとして、活動の成果を踏まえて国連に報告、提言などを行うことができる。このことは国連広報センターのHPでも触れられている。

ピースボートは核兵器廃絶を目指す国際NGO・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の国際運営グループとして参加している。ピースボート共同代表の川崎哲はICAN国際運営委員に名を連ねており、ICANとして2017年度のノーベル平和賞を受賞した。