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2025年5月17日(土)国際ジャーナリスト伊藤千尋さん講演会開催

フェアトレード風”s30周年記念とだらっと憲法カフェ30回記念講演会開催

国際ジャーナリスト伊藤千尋さん講演会を名古屋市北区のソーネホールで開催

運営スタッフ11人入れて午前53人午後66人の参加

泣きも笑いもあり、大事な話が分かりやすく引き込まれあっという間の時間でした。

講演のテーマは

第1部 10~12時 「憲法九条=核のない世界、非戦の誓い」

第2部 13~15時15分 「南極条約とコスタリカから語る世界の平和」

以下、参加者の感想と当日の講演の資料から

・知らなかった事実を知る

スリランカのジャヤワルダナさん

日本への賠償権の放棄を提案。「憎しみは憎しみではなく、愛によってのみ断ち切られる」それによって戦後復興が早かった。

人類初の平和憲法を考えだした戦後の

首相 幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)さん!

<9条を発案した幣原喜重郎首相の考えをたどる~政府憲法調査会文書から>

①天命を授かった

「原子爆弾が出来た以上、世界の事情は根本的に変わってしまった。戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。軍縮を可能にする方法は一つ。世界がいっせいに一切の軍備を廃止することである。ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮かんだ。今こそ平和のために起つときではないか。僕は天命をさずかったような気がした」

②日本が世界史の扉を開く

「非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが正気の沙汰とは何か。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だ。世界は今、一人の狂人を必要としている。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ」

③「押し付け」とは

「憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら出来ることではなかった。僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うように決心した。一歩誤れば国賊の汚名を覚悟しなければならぬ。僕は元帥と二人切りで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった」

④マッカーサーも感激

「第九条の永久的な規定ということには彼も驚いていた。僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったが、賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。」

⑤マッカーサーを脅した幣原

「好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。軍縮を可能にする突破口は、自発的戦争放棄国の出現を期待する以外ない。日本は今、その役割を果たし得る位置にある。歴史の偶然はたまたま日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えた。貴下さえ賛成するなら、日本の戦争放棄は承認される可能性がある。歴史のこの偶然を今こそ利用するときである。日本を自主的に行動させることが世界を救い、アメリカをも救う唯一つの道ではないか」

⑥アメリカ議会上院議事録、マッカーサーの証言(1951年5月5日)
「日本国民は世界中のいかなる国民にもまして原子戦争がどんなものであるかを理解している。彼らは彼ら自身の発意で戦争を禁止する旨の規定を憲法に書き込んだ」

「日本の幣原首相が私のところにやってきて『この問題を解決する道はただ一つ、戦争をなくすことだ。私は、現在起草している憲法の中にこのような規定を入れたい』と言った。私は彼と握手しながら、これこそ最大の建設的な歩みだと言わないではいられなかった」

9条のアイディアを出した幣原喜重郎は、同意したマッカーサーに対して「世界は私たちを夢想家と笑うでしょう。でも100年後には預言者と呼ばれますよ」と語りました。1946年のこと。(ジョンレノンのイマジンみたい)

・戦後80年、いろいろあるけど、戦争をしないでこれたのは、本当に9条のおかげ。今のように、こんなきな臭い政治になるとは思わなかったけどあきらめてはいけない

・15%で社会は変わる。

まずは、自分のまわりから伝えて、伝えて、生きたい。

・なんと!憲法九条の碑がアフリカに近いカナリア諸島スペインのテルデ市にあること

・コスタリカでは、軍隊も核も勿論、原発も持たないで、福祉も教育もほぼ無料…その事実を具体的に伝えてくださいました。

民主主義的な考え方を幼稚園から教育している国の官僚たちの素晴らしさ!

その4割は女性たち!教育がいかに大切かと思いました。日本でも同じですよね。特に平和を守るには先ずは自分自身の平和を実現させることそれを幼稚園から教えていくということに共感。

日本は「教える」はあっても「育てる」がないのでは?

コスタリカすごい! 軍ではなく医療と農と教育を! 子どもも権利を主張できてるし、自然エネルギーだし、日本は知らないだけですね…

午前のイスラエルやパレスチナの子ども達の話と午後からのコスタリカの子ども達の話が今の同じ時代のことという事実にとても考えさせられました。

午後の部は、「ぞう5000合唱団」の「ぞう列車」「Pura Vi da 」合唱でスタート

 

Pura Vi da は ピュアラブが元の意味
純粋な人生、そこから素敵な生き方、ごきげんようの挨拶
顔を合わせたらプラビーダというそうです。
 
コスタリカのこと

https://huzu.jp/blog/8785/ ではコスタリカの本(伊藤千尋著)から

抜粋してます。

講演の最後は「なだそうそう」の歌が出来た背景、歌う森山良子の思いなど講師の話のあと、藤村記一郎さんの指揮と歌詞リードで会場の皆んなで歌うことができました

名古屋で講師と歌のコラボがピースボートという3か月で世界一周の船旅が縁で実現。参加者も船旅の縁で、熊本や東京からも名古屋まで来てくださって参加。

我がスタッフだったメンバーも6人集合して、参加してくださった皆様と一緒にフェアトレード初めて30年目に入ったいい記念の日になりました。ありがとうございました。

 

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