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2025年2月17日 講演「ポリネシアの一部のラパヌイ(イースター)島」

2025年2月17日
講演「ポリネシアの一部のラパヌイ」
セバスチャン・バカライ
考古学者、ラパヌイの現地ガイド
ラパヌイ島が衰退して行ったのは
17世紀以降
人口が増え 資源枯渇を巡る闘争
旱魃が続くなど自然発生的な要因もあり
モアイは倒された
30体復興 220体は未復興
人口急減 漁が出来なくなりタンパク源は鶏 盗難防止の鶏小屋は石で作られていた
モアイの時代に文字
初代の王様の時に発展
1200〜1300の木材にロンゴロンゴの文字が書かれていた
ポリネシアで唯一の文字ロンゴロンゴの
遺品は27あるが世界にあり、島は無

唯一の文字研究者が奴隷として1862年にラパヌイ島から連れ出され、解読の望みは断たれた。
1722年 オランダ
1714年 スペイン
    イギリス
    フランスと島に、その時はモアイは破壊されていたと記録あり
それらの国々には、遠方にあり統治の魅力なく、支配から免れた。
病気を持ちこまれ
文化もほとんど消滅
1888年チリの一部になった。ペルーと戦争していたので戦略的な意味で占領
ペルーは南の島々を占領していた。
1887年ラパヌイ人は111人しか残っていなかった。内女性70人
チリに、内戦がおきラパヌイ島への関心なくなっていく
1893年チリはイギリスの羊毛会社に50年間島を貸した。
1つの村バンガロアにしか住むことが許されず。
イギリスの牧場に働いている人だけ
その人たちも奴隷だった。チリは関知せず
500人タヒチに移動
ラパヌイ島よりタヒチにラパヌイ人多く存在
2つの反乱
1914年 アンサタ(女性預言者)
150頭の羊、70頭の牛を盗み(?)
翌日たまたまチリの海軍が来て
企業より人々を選んだので殺されなかった
これを機に労働者の扱いが変わりお金を受け取れるようになった。
1953年 イギリス企業撤退
チリ海軍による統治
1964年反乱 チリ本土と同じ権利を要求
それまで市民権が無かった
若者が大統領に手紙
ラパヌイ人の血を研究していたカナダの研究者に手紙を渡し、大統領まで渡す事が出来た
1966年大統領に渡され、チリの国籍を得警察、消防所など行政機関が設置される
これは、1955年ノルウェーの考古学者がモアイ像の価値を発見 発掘した本を出した事による
本の発行により島への関心が高まり考古学価値が見出された。
1955年  初めての修復作業はじまる
1960年 外国のお金で修復7体
1967年 観光年となる
1990年 観光急増 コロナまで続く
強いアイデンティティを持っている文化には誇りを持っている
島で伝統的な祭りもあり
モアイの豊かな文化伝承には、歴史を忘れないことが大事

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