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ゆっころんのブログ

私の「名古屋をフェアトレード・タウンにしようという運動」は、「手をあげることなら私にもできる」と思い手を挙げたことから始まった。

2015年9月19日、ちょうど1ヶ月前に名古屋はフェアトレード・タウンに認証された。日本では熊本についで2番目、世界では多分1727番目。

先日10月12日名古屋外国語大学で、社会人も参加できる授業「現代国際学特殊講義C-1,2 国際ビジネスマンが見た世界ー世界で働くことはどういうことか」というテーマのなかで80名くらいの人に、フェアトレードの話をする機会がありました。今回で3年目。

生産地を訪ねた旅など実体験の話を交えながらすすめ、その一つにフェアトレード・タウン運動にかかわったきっかけを話ました。それは2008年の秋、東京でフェアトレード団体の展示会に出席、全国から集まった小売店の人たちで、フェアトレード・タウンに興味のある人だけが集まり車座になり話あいました。その時熊本の明石さんが「みんなで手をあげたら注目されるかもしれないから、フェアトレード・タウンにしたい人手をあげましょう!」と呼びかけました。

私は2005年に大阪のワン・ワールド・フェスティバルでフェアトレード・タウンに出会っていましたが、名古屋ではとても無理と考えもしなかったのですが、「手を挙げることくらいなら私にもできる」と手を挙げました。

できない、できないと思い込んでいた(=固定観念)私の蓋が開きました。それから飛び込んでくる情報にそって東京へ1泊2日の研修に参加したのが2009年2月、3月にはFLJの中島佳織さんの講演「フェアトレード・タウンで町おこし」に日帰りで東京へ参加。その時世界には645もあるというフェアトレード・タウン、ロンドンも2008年にフェアトレード・タウンになったという。名古屋でも中島さんの話をみんなで聞きたいと名古屋へ11月来て頂き講演をすることになり、その勉強会として「名古屋をフェアトレード・タウンにしよう会(なふたうん)」が2009年6月スタートしたことは、なふたうんのはじまりにも書いています。

名古屋外国語大学の学生さんも「手を挙げること」ただそれだけのことから始まった

ことに興味を持ったようです。それは誰にでもあることかもしれない。だめと自分で思い込み蓋をしている。でも何かのきっかけで、とても簡単なことや、自分のできることをし始めることから、まったく違う自分が現れ、一歩一歩あゆみ始めることもある。

実は、フェアトレード・タウン運動を始める下地のもう一つのきっかけが別のところでありました。

それは、2008年5月からピースボート北周り世界一周の船旅にでたことです。個人的な理由で60歳になったら「降りて行く生き方」を考えたい、いままで出会った人に感謝したいとする船旅の目的が、現実的にはフェアトレード・ショップ風”sを3ヶ月以上あけることになり、午後もスタッフをお願いして旅立ちました。つまり私が不在でもまわっていく店に一歩ちかづけていたのです。

運動をするには、時間とエネルギーが必要で、店のスタッフのサポートがあればこそ、ここまできました。あるメンバーは私がタウン運動を成し遂げるまでは結婚も伸ばすというくらいの思いの人も応援していてくれました。ありがたいスタッフメンバーです。彼女は、今日ちょうど4ヶ月ほどのアジアをまわる無期限新婚旅行から帰国して名古屋に寄ってくれました。

9月19日のフェアトレード・タウン認証からはじまる、本当のフェアトレード・タウン運動は1ヶ月過ぎました。安保法案も成立して1ヶ月が過ぎました。武力で解決するものなどひとつもない。いろいろなことを学び、生活で実行してゆきたい。

「エントロピーの法則」を読み始めた。初版昭和57年11月10日 ジェレミー・リフキン

いままでの世界観・文明観とエネルギー危機を一緒に考えるもので、わかるようでわからない、私には難しいけれど惹かれる。訳者竹内均さんの前書き「この法則がわたしたちに突きつけるものは、人類の利用可能なエネルギーの総量は有限である、という冷厳な事実であり、それは同時に、進歩とか、スピードとか、効率とかを最優先しるニュートン以来の合理的世界観の限界を示すものにほかならない」

従来の固定観念を一掃する「新しい真理」とは?

 

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