2019年8月4日大阪港発~23日神戸港着 ピース・ボートの日本一周に出かけました。
8月6日(火) 16時ごろ広島着。本当は5日夕方着だったが台風の影響で遅れた。
でも平和資料館には行くことができた。
市民が描いた原爆の絵「記憶と向き合う」企画展示
の1枚が心にのかった。
3歳の女の子を自分で焼いた母の絵と言葉。
『長女直子(3歳)を自分で焼く。泣けて泣けて涙が止まらない。「私も行く。先に行って居て呉れ」と手を合わす。まだ次男克巳(9才)も不明だ。あの子はどこか逃げて居てくれとい願う。
だんだん焼けて体の油が流れ出る大変な量だ。元気な子を焼くのだ可愛想だ見て居られない気が狂いそうだこれが現世とは思えない地獄』
外国人が結構いた。念願通り。原爆ドームも見た。川では灯籠流しをしていた。路面電車180円で海岸通りまでもどったら船着は20時すぎていた。
8月7日(水)基本的に5時にデッキにでて、朝焼け朝日を見てデッキ歩いて、6時から太極拳(24式とは違う)、6時半からラジオ体操、7時朝食バイキング豪華です。ほんのすこしずつ取ってもお盆一杯になる。
ヨガ・社交ダンス・サルサなど体を動かし、ランチ、今回はあまり勉強や講座がない。
約1日おきに寄港地があるのであまり余裕がない気もするが、基本日本なので気が楽。
8月8日(木)この旅行始めてのオプショナルツアー参加。
知覧特攻平和会館 知覧に特攻隊の記念館があるのは、この地が中心的だったから。若人たちは沖縄に向かった。きれい事が多い展示だった。上原という人はちゃんと分かっていた。人間が一つの機械とみなされていたことを。
「空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事は確かです。操縦桿を採る器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。理性をもって考えたなら実に考えられぬ事でも強いて考えうれば、彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。一器械である吾人は何も云う権利もありませんが、ただ、願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです。こんな精神状態で征ったならもちろん、死んでも何にもならないかも知れません。故に最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です」
ここ知覧にくるまでは、母や肉親を思う、そして日本を思う気高き精神の若者たちというイメージはあったが、それらが一つに機械として散ってゆくことを強制し、またそれを幸せに思わせる軍国教育の恐ろしさを思いました。4000以上の命を思う。
またこの特攻隊がうまれてくる背景などいろいろ知らなければならないと思う。
バスで同乗してお話をしてくださった鹿児島大学の木村朗さんが、明日9日長崎へいくのでしたら、是非「岡みつはる記念長崎戦争平和資料館」に行って下さいと言われました。
8月9日(金)
11時2分という爆弾が下ろされた時間は知らなかった。10時45分から式がはじまり、平和公園に着いたころには、始まっていて満席だった。その後資料館へ歩いて移動。その会館のなかで実況中継がされていたので参加。そのあとも資料館をみて回ったがしっかり見ることはしなかった。ざっくり。広島より写真がきつかったような気がした。現実を見せていたのだけれど。
「はだしのゲン」の絵本をみつけ孫たちのために買う。
そのあと鹿児島大学の木村朗さんが推奨していた「岡まさはる記念長崎戦争平和資料館」を探してでかけた。案内地図には掲載されていない。
12の観音山のちかくということで長崎駅から歩いてなんとか見つけた。私的な資料館だからできる内容。日本の侵略の始まりから、強制労働。慰安婦の問題。南京事件など日本がアジアにしてきたことが、写真や当時の新聞など展示されていた。写真は語る。
少しは聞いているけれど、日本はひどいことをしてきたのだ。原爆の被害もあるが、侵略してきた加害者であることを忘れてはならないし、その被害に合った人に補償などすべきと思う。たとえ謝罪して補償したところで、その大事な人生が戻ってくるわけではない。
貴重な個人の思いから出来上がった資料館を多くの人が訪ねることを願う。歴史を学ばなければならない。長野県の阿智村の満蒙開拓平和記念館も行くべき。広島・鹿児島知覧・長崎も。
8月11日(日)
ICANの川崎哲(あきら)50歳のお話を聞くことができ、ピース・ボートに乗船してほんとうに良かったと思う。
これは期待していなかったしらなかった企画でした。勿論彼の行動やメッセージなど新聞記事では見る機会はあったけれど、ナマの声を聞くことは心に届く。
はじめに「核兵器はなくす事ができると思いますか?」とのことで彼は「できる」という。そして「いつか?」については私たち次第という。話のなかで核兵器が安全保障の抑止力ではないということなど、一つ一つ反証してゆき、とても分かりやすい内容だった。
ただ広島へ長崎へゆき、式典にも臨み、被爆者の証言に唖然とする=日本は過去のことを忘れないように今に、後生に伝える=
世界は、広島・長崎は他国事ではあるが、今日核兵器の脅威を感じ取っている。今核が使われてしまったらどうなるかを考えて煎る。それが今の核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の行動だ。
だから過去を知り、今成すべきことはなにか、戦争は勿論反対だが、戦争にならないための抑止力としての核保有が意味を成さないことを彼は語る。
【ICANの始まり】
2007年オーストラリアいのメルボルンの医者が、核が人間・命・環境に対する影響を考えるNGO立ち上げた。
2011年スイスのジュネーブに事務局を移した。軍縮代表が集まる地。103ヶ国54の団体
内10団体が執行部団体でピース・ボートもその1つ
2017年12月ノーベル平和賞受賞。核禁止条約に貢献したということで。
授賞した、カナダ在住のサハロフさんは13歳で広島で被爆。
核禁止条約に、アメリカ・ロシア・イギリス・中国・日本及び核をもっている9ヶ国も棄権。120:40
2010年赤十字が国際委員会で核は人法に違反と見知
義援・救援すらできない(放射能があり)
2015年より法的に禁止すべきと考え始める
2008年より2050回以上核実験
【ピースボートの折り鶴プロジェクト】
2008年から10回以上 180人以上の被爆者の方達が乗船して各国で伝える
タヒチ(フランス)200回以上実験 作業員は何の知識もなく従事
オーストラリア(イギリス) 黒い霧発生も。 1950年代ウランの採掘 先住民
日本のウランもオーストラリアから輸入
2019年核爆弾は約1万4000発 ほとんどアメリカ青・ロシア赤 そして 英・仏・中国
1956年レーガンとゴルバチョフはレイキャビックで会談 中距離ミサイルは全廃をきめる
【禁止から廃絶できるか?】
2019年8月2日 IMF離脱(アメリカ?)
核兵器製造会社に融資をしない金融機関 30以上 金の流を止める
国際法で決められたから SDGs(「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標)今はトレンド 日本でも「りそな」が実施。
私たちに何ができるか?
宗教界の役割 ICANとともに声を上げる
2019年ローマ法王(カトリックの信者全世界10億人以)広島・長崎訪問
【理想→理性】
現実主義
偶発的におきないか?
40年目に作られたもので大丈夫か?
テロ? SNS!
以前は戦争までの時間はあったが、今は「戦争だ!」と言ったとたんに身構える
終末時計は2分前
核兵器は自殺機器
地球規模での気候変動も起き10~20億の人が影響を受ける
①核のない世界 検証大変
②核だらけの バランスの維持 大変
①と②どちらの大変さを選ぶか? どちらが安全か?
キューバ危機は、人が躊躇したあいだに止まった。人間の気持ちでとめた。
代理戦争(ベトナム・朝鮮)後ろに核兵器、抑止になった???
核抑止から戦争の防止へ
戦争したらお互いの国は。。。
【社会は変えられる】
奴隷制・女性の参政権・たばこ・セクハラ
歴史は変化している。
【終わりの終わり】
「核兵器はなくせる」
・人は自由に空を飛べる 今は飛行機で自由に飛べる。でも飛行機がない時代に人は自由に空を飛べるといったら「おかしなヤツ」と冷笑されたかもしれませんが、今は誰も笑わないでしょ。
ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞(同年10月)
川崎さんは言います。「核兵器はなくせる」
中高生に是非読んでほしい~ゆっころん。「川崎さんのなぜ、今あるかの彼の人生も知って、若い人達のこれからの道を考えるきっかけになる本と思う。私にも分かりやすい本でした。」
国連での核兵器禁止条約の成立(2017年7月)や、その功績を評価されてICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞(同年10月)しました。それを受けて、日本でも核兵器の問題をわかりやすくまとめてほしいという声が高まっていました。
そこで今回の書籍では、核兵器を取り巻く現状や、核兵器禁止条約が背率した国際交渉の背景、さらにこれからの世界の動きについて、中高生にもわかるようにわかりやすくまとめています。また、国際社会への関わり方や、一般のひとりひとりが声を上げることの大切さといったテーマについても、川崎哲が自身の若い頃の経験を踏まえて熱く語っています。詳しくは、以下のリンクから、岩波書店のサイトでご覧ください。
★内容紹介
プ ロローグ 世界を動かしたのは普通の人たち
第 1章 被爆者との旅から始まった
第 2章 「核兵器」問題って何だ?
第 3章 そして世界が動いた― ICANが起こした風
第 4章 いま日本が立っている場所
第 5章 一人ひとりが声を上げる意味
エ ピローグ 小さな前進と,小さな危険信号