トセパン協同組合(メキシコ)2007年訪問記と「センブランド・ヴィダ」へ

2022年7月31日 タルシルCafe ゆっころんの訪ねた旅 その1

7月31日企画チラシ

メキシコのトセパン協同組合を報告するにあたって、以前の資料を取り出しまとめてみました。

トセパン協同組合の40年以上にわたる活動と実績が、2018年新しい大統領の誕生に伴い、森林農法(アグロフォレストリー)を軸にトセパンをお手本として「センブランド・ヴィダ」と呼ばれる植林プロジェクトがメキシコで展開されている。

■2007年10月 メキシコへ■

2007年10月に企画されたトセパンを訪れる旅、それはトセパンの30周年、ウィンドファーム20周年を記念してのツアーでした。

ちょうど15年前、日本から14名参加(大学の先生・80代の女性、ラブランドの明石さん=東京の飛行場で「あら? あなたも?」って感じでした。)

30周年記念ということで、記念にまぐカップを頂いたり、大きな気球を膨らませ、そになかに松明(たいまつ)をいれて空高く飛ばすイベントや、直径1m以上ある鳥の羽のような円形のものをつけての踊りをみせてもらったり

お祝いの集まりではコーヒーは泡たてたミルクで絵を描くデコレーションコーヒーが出されていた。団体訪問もあり、お祭りイベントもありで楽しい旅でした。

トセパンのパッケージ

トセパンのコーヒーなどにある花を抱えた白い民族衣装の女性は、男性が数人でも集まることを禁じられた時に女性たちが活躍したことに由来しているのでしょうか?素敵な絵です。

首都メキシコシティーから車で6時間かけて現地へ向かう。町の中は車が混んでいた。途中バスが曲がるところに車が止まっていて回れない。近くにいた人たちが車を持ち上げ通れるようにしてくれた。途中子どもたちのいる施設へ寄ってお昼を頂きました。

以下は、「エコロジーの風」13号 2008年6月発行掲載に加筆して紹介

「希望の種、森を育てるアグロフォレストリーの森を訪ねて」 土井ゆきこ

■参加するきっかけ■

2005年6月にトセパン協同組合のアルバロさんと、生物学者のパトリシアさんが来日の折、名古屋での講演会を受け入れました。そしてその話を聞く機会を得ました。トセパンの活動が、アグロフォレストリーという伝統的な方法でコーヒーの木育てながら森を育てること、子どもたちみ環境教育を独自にしていること、銀行をつくり地域でお金を回していること等を聞き、とても興味を持ったことが始まりでした。

是非、メキシコに行きたい、トセパンの活動を見たい、コーヒー農園を訪れてみたとその講演を聞いた時に思いました。2年後の2007年10月に企画されたこのツアーに参加できたこと本当に嬉しいです。

~今回のメキシコツアーは、期待以上の充実したものでした~

■トセパンに到着■

お出迎え

首都メキシコシティから約1日かけてトセパンに着いたの夜8時半過ぎ、予定より数時間遅れて誠に申し訳なかったと思います。待ちくたびれたことと思います。白い民族衣装の女性たちが歓迎のお香を焚いてレイもかけて頂きました

 

歓迎の食事のあとに出されたコーヒーは、クリームで絵を描いたおしゃれなものでした。商品の陳列された棚も竹でつくられていました。

 

 

レイをかけて Wellcomeメッセージ

 

トセパン・カリ(宿泊施設)

地域産出の竹と石でできた「トセパン・カリ」というエコツーリズムに基づく宿泊施設は山の中、それぞれのキャビンにたどり着くまでの道にともされたゆらぐ明かりがロマンチック、部屋も竹も素材がいかされ、また現地の画家の絵が飾ってあり、先住の人達の暮らしや祭りの様子をみることができます。

アトリエ訪問

 

画家故グレゴリオ・メンデス・ナヴァさん(2022他界)

 

素敵な施設でここちよい空間を頂き幸せでした。

 

一棟のキャビンには個室があり(2人部屋くらい)真ん中には人が集う場所もある。

 

ベッドにはWellcomeのメッセージが置かれてあり、シーツは希望があれば取り換えるという伝言もあり。今では日本のホテルでも常識になっているかもしれないけれど

15年前のトセパン・カリではすでにこのようであり、排水も植物をろ過し流すという環境配慮は進んでいました。

■トセパン滞在の1日目■

ケツアーランの町にあるい「トセパン・トミン(みんなの銀行という意)」という組合の銀行を訪問して活動の説明を受けました。

トセパン・トミン(みんなの銀行)

その間にも民族衣装を着た女性が子どもさんを連れて銀行の窓口を訪れていました。

 

利用する人のことを考えて、日曜日でも営業しているということです。銀行側が高い利息を払い(13%)市民が借りる利子は低いというまれな銀行です。

 

お金は資金と考え、持続可能な社会をつくるためのお金の有効利用は欠かせないという。

町でのローカルマーケットはとてもにぎわっていました。食用サボテンも売ってました。

町歩き

ラッキーなことに教会の広場で「ポラドーレス」というダンスの一種をみることができました。

高いところへ登る人

教会の高い塔のたかさぐらいの木のまわりで笛や小さな太鼓を鳴らしながらひととき踊り、

その木に7人が登っていきました。そのうちの4人は木のてっぺんに巻き付けてあるロープを取り、自分の体に巻きつけました。儀式のように笛太鼓がしばらく上から鳴り響き、そのうちに4人が四方に逆さになって飛び、遠心力で互いの力が作用して、遊園地の空中ブランコのように高い木を中心に回りながら降りて来る。

 

 

やがて二人のひとが回転を止めりうために、てっぺんから綱を降りてきた。高いところ見上げていたので首がだるくなるほど、ハラハラどきどき、すご~い技でした。

市場の教会前でみたボラドーレスは、深刻な旱魃(かんばつ)を終わらせるために神に懇願する儀式、ユネスコ無形文化財。

トセパン滞在中に、たにも鳥の羽根を思わせる美しい円形の飾りを頭につけ、笛太鼓で踊る伝統舞踊や

クロスした四方の木が地上に仕組まれ、その木に4人の人が捕まり互いの重力でぐるぐる回るこの芸もケツアールダンスの一種で、クロスした十字形は天体の動きを表現していることなどの説明がありました。

クロスの木に捕まる人

 

これら伝統の踊りは、天や地やそこに住む鳥たちにつながる思いの表現であろうことから、森を育て、守ることと同時に、人々が文化を継承しながら誇り高く生活していることを思い知りました。

■トセパン滞在の2日目■

組合員さんが会議したり、食堂があり、図書室やパソコンをするなどの施設が山の上にあります。そこをナワット語で「魂を解き放つ場所」といいます。

そこで(2007年現在で)トセパン30周年、ウィンドファーム20周年の式典があり、山の中を2時間歩いてコーヒー生産者の人も参加。美味しいカプチーノコーヒーを順番待ちして楽しんでいました。

松明を燃やして、その暖かい空気をいれることであげる大きな大きな気球も高く高く舞い上がっていきました。

気球

この気球をいくつも作るのに相当な時間が費やされたと思います。

 

手塚治虫の「火の鳥」のモデルとなった

ケツアールは、世界で一番美しい鳥、その鳥の名前に由来する地名ケツアーランに住む人々の空への憧れを感じました。

■トセパン滞在3日目 いよいよ森林農法の森へ■

手の届く果物はそこでほうばる楽しい森の散策は、30年前は馬を飼っている牧草地の説明を受けました。それが今では立派な森になっている。熱帯雨林伐採後の単一食物栽培のプランテーションと対極的な農園。

農園にて

研修施設のある建物近くの試験農場も、もとはサトウキビ畑。栽培のため森林を伐採してサトウキビが作られ、蜜を煮詰めるために更に木が切り倒されれる状況から、すこしづつ森林農法(アグロフォレストリー)の中でのコーヒー栽培へと移行していったそうです。

試験農場にて通訳の井上さんとレオナルドさん

 

シナモン採取

コーヒー工場も見学

 

 

記念のコーヒーの苗木植林

■4日目フィールドワークで洞窟体験■

先住民の信仰の場でもあった洞窟の見学をしましたが、そこで聞いた話は、よりトセパンの活動理念を知るものでした。

その洞窟は以前、ゴミ捨て場となっていて下の村へ流れる地下水を汚染していたのでその洞窟付近の土地を購入し、ゴミを運びだして、神秘的な洞窟があるのでした。

またその前日もコーヒーなどの苗床作りの現場と、蝶の保護飼育をしているところを案内され、蝶の保存と受粉をい促すために箱のなかでさなぎを蝶にかえらせ、ネットのなかで蝶を放ち、卵を採集した後、森にかえしているという活動も聞いたばかり

針を持たない地バチの種保存飼育を含め、

針なしミツバチの巣(素焼きの壺)

地球環境を見据え、自然生態系を守るこの行動力に「このような行動をする団体があるのいだ!」と私は大いに心をうごかされました。

■5日目最終日の意見交換■

アルバロさん

互いに振り返りをしました。2年前来日したアルバロさんは言いました。

「どのように世界が変わったらいいのか?

クレージーな人がいなければならない。

クレージー残党、一緒に夢を見よう! 将来像を描いて、組合が発展寄与できたらいい! 戯言、独り言の繰り返し、これを密につなげていく。先を見る一点、たわいもなく言い合って、交流の場を持ち、関係を深めていけたらいいと思う。コーヒーを通じてより深く知ることができよう」

ウィンドファームの中村隆市さんによれば、

中村隆市さん(真ん中)

アルバロさんは牧師さんになろうとした人でナワット族出身の人ではない。今回中心的に案内をしてくださった技術指導者のいレオナルドさんも外部の人と聞きましたが、トセパン協同組合を起こした、ドン・ルイスさんはじめ、このような人々の夢見る行動が、私にひたひたと、また力強くエネルギーを注入しました。

やっぱり夢を見続けよう! このような思いの人たちが現実に存在するのだから。

緑いっぱいの、人が自然生態系の一員として暮らしていける世界を夢みて私は私にできることを日々積み重ねていきたいと改めて思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下 中村隆市さんのブログより

トセパン協同組合に初の女性リーダー誕生!

トセパンコーヒーやハチドリコーヒー、カフェインレスコーヒーでお馴染みのトセパン協同組合が設立40周年を迎えた2017年、トセパンの歴史で初めて女性の代表が誕生しました。これまで自然と共存する先住民文化を大事にしながら、森林農法によって有機農業を広めてきたトセパン協同組合は、女性の自立も大きな目標の1つと考えて女性の社会進出を後押ししてきました。そのトセパンに女性のリーダーが誕生したのです。彼女の名はパウリーナ(パウリーナ・ガリード・ボニージャさん)。
中央がトセパン協同組合の代表に選ばれたパウリーナさんトセパンでは、6年に一度、組合の代表を決める投票が組合員によって行われます。
パウリーナさんは、子どもたちの教育支援を目指すトセパン基金を提案した人で、これが多くの人の評価を得ました。

トセパンでは、組合内に自らの学校を設け、言葉、文化・伝統、宇宙観など先住民としての教育と、国の教育カリキュラムを合わせた独自の教育プログラムを行っています。自然を大切にする農業も教えています。そして、これを充実されるために設立されたのがトセパン基金でした。これまで、トセパンの学校や教育活動の運営には、組合の主な活動であるコーヒーやオールスパイスなどの生産・販売によって得られた収入が使われていました。しかし、数年前に鉱山開発の問題がピークに達し、開発の危機が間近に迫りました。その時、「たとえ開発が強引に進められてコーヒー栽培が出来なくなったとしても、なんとかして子どもたちの教育は守りたい、学校だけは残したい」という強い思いから、学校の自立運営を目指すことを提案したのがパウリーナさんでした。今回の代表選での公約にも学校の自立運営を掲げ、これが多くの人から賛同を得ることとなったのです。
トセパンの小学校

トセパンと子どもたちの未来を考え、子どもたちの教育の重要性を改めて皆に示したパウリーナさんの提案は、女性ならではの視点ともいえる重要なものでした。
小学校での農作業の授業

トセパン基金は元々、教育を充実させるために設けられた非営利団体ですが、今年9月のメキシコ中部地震以降、被災地を支援するプロジェクトの窓口としても機能しています。ここを窓口に、トセパンではメキシコ政府の手が届かない貧しい被災地に仮設住宅を建設する支援プロジェクトを展開しているのです。

トセパン基金を通じ、自分たちの組合の未来を作る子どもたちだけでなく、トセパンと同じく先住民が多く暮らす地域の未来を作るための活動に取り組むトセパンの人たち。そこには、いつものように彼らの「助け合い」と「分かち合い」の温かい思いが強く感じられます。

これからパウリーナさんを中心に進む女性ならではの活動と、今後のトセパンの取り組みを私たちスタッフもとても楽しみにしています。

*現在ウインドファームでは、トセパンの地震被災地支援プロジェクトである「竹の仮設住宅建設」へのご支援を募っています。頂いたご寄付は「トセパン基金」へ送らせていただきます。ご支援のほどよろしくお願い致します。
詳しくはこちら→トセパン基金寄付

7月30日のだらっと憲法カフェは中止・「ウィシュマさんを知ってますか?」著者:眞野明美 構成:関口威人 風媒社

7月30日第18回だらっと憲法カフェは、コロナ事情があり、今回は残念ですが中止とします。

皆様に見て頂く予定でした動画3本は以下の通りです。

①ヒューマン・フロー大地漂流の予告編

https://www.youtube.com/watch?v=H7Bnf-erm6I  2分35

② 3分UNCHR難民とは アニメ

https://www.youtube.com/watch?v=ZW_NnDi06y8

https://www.youtube.com/watch?v=XFw2R6qpTzc     BBC 3分11くらい

いずれも短いので一度時間をみて、見てみてください。

先日「ウィシュマさんを知っていますか?」を読みました。

名古屋入管収容所で亡くなったスリランカの女性ウィシュマ・サンダマリさん。

今までは活字でしか知らなかったのですが、

受け入れ先となる眞野明美さんとの手紙のやり取りを

この本で読み、ウィシュマさんの人となりが伝わってきました。

本当に悔しいです。今の日本の入管のやり方! 許せない思いです。

特高(戦前の)の体質をうけついでいるということなので

そ~か~という思い。今も多くの人がその入管収容所で人間としての扱いを受けていない。

遺骨は、明通寺の北條至子さんが供養されるということ、この方もウィルあいちの店でお会いして話をしたことがあり

この本の構成は中日新聞の折込み紙 環境情報紙『Risa(リサ)』の編集長だった関口威人さん、今はフリーのライターで活躍。

著者 眞野明美さんは、私の子が小さい時、出前コンサートでギターを持ってうたった人。

歌の合間に、東南アジアの人々の暮らしを犠牲にして私たちがバナナやエビを食べているという話をしてくださった人。

私がフェアトレードの道へ歩みだす一歩を作った人でした。

「ヒューマン・フロー大地漂流」も

映画「牛久」入国管理センターの実態に迫るドキュメンタリー

https://www.youtube.com/watch?v=44pIWpZq-AQ

も見たいと思っている。DVD販売を待っている状態。

 

外国人を人間扱いしない戦前の体制が続く日本

戦前、外国人の出入国を担ったのは特高(特別高等警察)でした。戦後、公職追放を免れた人びとによって体制が引き継がれたため、政府には外国人を人権や生活の主体として見る視点がありません。(赤旗日曜版1月2・9合併号より)

2022年7月26日野入日記

今朝、少し太陽がでてきたけれど、なんと10日間も雨模様が続くようです。早い梅雨明けのあと、そんな天気予報が続いています。

ここ3日間くらいは晴れだったので、昨日は宿泊用客布団5セット全部しっかり太陽にあてました。梅干しもなんとか干しおわり、ついでに桑の葉もお茶用に干しました。

 

ジューンベリーのあとの桑の実もそろそろ終わりになり、黄色の食べるほうずきの身がなるのが待ち遠しい。こぼれ種から今年も芽がでているけれどまだまだ身は小さい。インカベリーともいうらしい。

そういえば、ペルーのマチュピチュ列車で出てこちらでもあるんだと思ったら、ジャガイモの仲間だそうです。

 

気候危機ですね。本当にへんな天気。梅雨のような雨模様が続けば野菜が育ちにくい。ただでさえ値上がりしているようなので心配。やはりこの際、自家菜園の人が増えるといいと思う。

7月31日の名古屋での講座、8月3日稲沢市の高校での講座の準備にとりかかっている。

今年は

①2月5日の「空飛ぶ羊」(豊田市)フェアトレード入門講座

②2月9日 椙山高校の ”国際協力と平和”をテーマにフェアトレードの話

③3月24日 四日市公害と環境未来館主催の初めてのZOOMでの講座

④3月24日 木曽川流域産宅配の「くらしを耕す会」のズーニーカフェにて

⑤4月2日 タルシルCafe  誕生きっかけになった講座「顔の見える店 Fare Trade風”s」主催

⑥5月18日 チョコレートカフェ 「クオレ」主催の フェアトレード入門講座

⑦5月28日 碧南国際交流協会 フェアトレード・コーヒーの講座

とありあと10月下旬までに、高校2つ、高年大学、中学PTAなどの講座がある。

私にとっても勉強の機会となるのでしっかり準備をして臨みたい。

 

「ナニカアル」著 桐野夏生 から知る”ペン部隊”

桐野夏生さんの本、3冊目 読み終えた。「ナニカアル」

林芙美子の『北部部隊』の冒頭の詩からの題名

「ナニカアル」不思議な構成の本だった。

戦争の時代に生きるって本当に怖いと思った。初めにも、あとがきもない本。図書館でみつけ2冊借りてきたうち1冊。内容を全く知らずして読み始めた。

手紙形式のプロローグではじまり、林芙美子の回顧録とも小説ともわからないという設定で林芙美子の語りで物語がはじまり、最後はまた手紙形式でこの回顧録とも小説ともわからないものは焼却するという結末。

著者の参考文献は66冊。実在の女流作家が名を連ねている。私は本は読まなかったので知らない作家も多い。今回「放浪記」を読んでみようと思った。

他にも文中にあった気になる「麦と兵隊」火野葦平

「生きてゐる兵隊」著者 石川達三は兵隊の残虐行為を描いたために有罪になった。

「良人の貞操」吉屋信子

なにが始まるかわからないままに、プロローグの次の始まりのページに、『「戦争は反吐がでるほど怖ろしい」というのが実感である。』で始まっている。

林芙美子は、昭和17年に陸軍の嘱託となり、インドネシアに長く居た。軍に駆り出された作家は、一切の日記や記録をつけることを禁じられた。

“ペン部隊”なるものがあったのだ。陸海軍とも小説の力を戦争に利用したという。

作家も映画監督も絵描きも、誰もが徴用されて南方や満州へと派遣された。そして軍の都合のいい情報を国民にもたらしたその手先とならざるを得なかったということを初めて知った。

先回読んだ「日没」もそうだけれど、自由を奪われ他の人の言うなりにされる恐怖が物語ゆえに疑似体験的に伝わってくる。

 「日没」あなたの書いたものは、良い小説ですか、悪い小説ですか。小説家・マッツ夢井のも         とに届いた一通の手紙。それは「文化文芸倫理向上委員会」と名乗る政府組織からの召喚状だった。出頭先に向かった彼女は、断崖に建つ海辺の療養所へと収容される。「社会に適応した小説」を書けと命ずる所長。終わりの見えない軟禁の悪夢。

権力者は醜聞や犯罪、人の弱みを掴んで利用する。現在でも映画「スノーデン」にあったように、今はコンピューターで一人の人の情報を万という単位で集め弱みを掴み利用することを知った。

 「スノーデン」アメリカ政府による恐るべき情報収集を告発したエドワード・スノ  ーデン。軍への入隊から情報機関の活動に不信を募らせて命がけの告発を行うまでを描く実話物語。「スノーデン」の映画は実話ゆえに情報を持ち出す場面にすごいスリルを感じた。自らの人生を信念によって投げ出すスノーデンの実行力に敬服。「スノーデン監視大国日本を語る」という本もある。マイナンバーでさらに拍車か?

文中より「要は 睨まれたらおしまい」

「国家に一度疑われた人間はもう二度と浮上できない。」そんななかで生きていた林芙美子

今を生きる私たち

世界の憲法学者の憧れという 日本国憲法 を守りたい!

秘密保護法も、共謀罪も、経済安保法(特許の秘密)も、土地規制法も、戦争になれば必要な法律たちで、全て、名前は違っても戦前にはあったものです。日本国憲法は平和主義の憲法で戦争をできない組立だったから、これらは全て戦後に廃止された法律群でした。(だらっと憲法カフェ たかだ洋子)

 

音楽の贈り物~ウォン・ウィン・ツァン ギャラリー・コンサート

ガイアシンフォニー上映会を開催した1997年

その縁で、スーザン・オズボーンのコンサートに参加

そのバックで演奏していたウォンさんを初めて聞きました。JAZZっぽかったのがいい!

それから追っかけをして、2004年11月20日(土)ウィルあいちのホール(800人収容)で

Yes Peace! ~ウォン・ウィン・ツァンと平和を祈る~ピアノ・コンサートを開催

このコンサートを開催するまでに1年間に8回 Yes Peace!シリーズを企画してこの日にお誘いを繰り返してきて招待の人含めて多分500名くらい参加くださった。

第1回 2003年12月26日 「松井やよりさんを忍ぶ会」ビデオ上映と丹羽雅代さんの話

第2回 2004年1月30日  池住義憲「憲法9条ってなあに?」ワークショップ

第3回 2004年2月14日  リアルバレンタインコンサート フォルクローレのクラカ演奏

第4回 2004年20日~21日 大谷ゆみこさん講演「ピースアース・フード」

第5回 2004年4月17日 「チベットチベット」上映会

第6回 2004年5月8日  「キャラバン」上映会

第7回 2004年6月6日  鬼丸昌也さん講演「銃を手にしたこどもたち」

第8回 2004年8月29日 高嶋紀子さん講演「戦争を止めた女性たち~グルジアの場合」

 

売上金の一部は、松井やよりさん遺志の「女たちの戦争と平和資料館」に寄付をしました。

■松井やより

もと朝日新聞記者。アジアの女性問題に取り組み、アジア女性性資料センターを立ち上げた。

2000年12月 女性戦犯法廷開催

2002年12月27日 「女たちの戦争と平和資料館」建設を託して他界。

富山妙子~戦争の記憶を刻み、社会や芸術を問い続けた画家

京都精華大学ギャラリーリニューアル記念展「越境ー収蔵作品とゲストアーティストがひらく視座」 2022.06.17 – 2022.07.23

会場 京都精華大学ギャラリーTerra-S

2022年7月19日雨の京都へ

週間金金曜日 7/1 1383号 の記事を読み

表紙の絵=富山妙子最後の大作≪始まりの風景≫

戦争の記憶を刻み、社会や芸術を問い続けた画家

富山妙子と「越境」展を見に出かけた。

~昨年99歳で7亡くなった富山妙子は、戦争と植民地支配の記憶を刻みながら、美とは何か、芸術とはどうあるべきか、画家の使命とは、という根源的な問いを生涯発し、格闘しし続けた。…………… (1383号記事より)

今回初めて、富山妙子さんの絵画と出会った。今回は4枚の出展。

・皇民化教育・忠の絵文字(「20世紀へのレクイエム・ハルピン駅」から)

・祝 出征 (「20世紀へのレクイエム・ハルピン駅」から)

・”昔はよかった”(「20世紀へのレクイエム・ハルピン駅」から)

・『桜花幻影Ⅱ』 故松井やよりさんの遺志を継いで設立された、アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館(wam 東京・早稲田)に寄託された作品。生前の朋友の一人だったそうです。私も松井やよりさん大好きでした

『富山さんは、旧満州(中国。・東北部)の大連・ハルピンで少女時代を過ごした。「帝国の植民者の娘」として。朝鮮人の人たちに自分は加害者であったとの認識が、富山の戦後の出発点であり、今後も加害者であり続けるのかという問いかけが、画家人生の原点ともなった』という。

韓国の軍事独裁政権に抗う民主化闘争に強い共感を抱いていた富山は71年秋、「写生」を装った韓国旅行でソウル刑務所に収監されていた背負い時半の徐勝(ソ スン)と面会する。拷問に耐えかねて自殺を図り、顔面に大火傷をしていた徐の姿に衝撃を受けたとの記事もあり、

私が少し前に読んだ『子どもの涙』徐兄弟事件で知られる元韓国政治犯徐勝・俊植兄弟の末弟がふりかえる、本を唯一の友にした幼きころから青春時代にかけての「読書遍歴」著者の徐 京植は二人の兄を持つ末の弟。そんなことでもつながっていき、彼女の著書 https://tomiyamataeko.org/publication も読んでみたい。

若きころは会いたい人に会うために出かけた京都、JAZZ喫茶「しあんくれ~る」や「ビッグ・ビート」は当然閉店で今はないけれど、百万遍の「進々堂」は3年くらい前に境町画廊 https://sakaimachi-garow.com/blog/へ菊本照子さんのお話会で行った時に寄ったので健在。 15年前三男の下宿探しに雪の降る3月に出かけ、彼が無事6年間過ごし終えた京都がまた次への出会いを招いた。

週間金曜日のお陰かなあ~、以前半年契約でとっていたけれど、ピースボートに3か月乗船のため一旦断っていてそのままだったが、昨年稲武の人に勧められ、また女性の選挙権について気になる記事があり定期購読再開。

新聞・TVはここ数年ないけれど、「週間金曜日」は、大事な情報源です。

第18回だらっ憲法とカフェ 7月30日(第5土曜日)in 「 八事のカフェ ⭐ 紅茶の時間 ⭐ 」

★220730第18回だらっと憲法カフェチラシ

第18回 だらっと憲法カフェ  in「 八事のカフェ ⭐ 紅茶の時間 ⭐ 」
    『難民問題を わがわがこととして考えられますか?』

【内容】 3つの映像を提供します。それをみて話し合いましょう。

6月20日は、世界難民の日でした。国連事務総長は、第二次世界大戦以降、ヨーロッパで最大規模の避難民が最短期間で発生したと発表。避難を余儀なくされた人の数は、現在1億人に達しています。(日本の人口は1億2000万人)

日本人も原発が爆発するとか、米中戦争が勃発するとかになれば、国内避難ではすまないこともありうる。

時代は今、世界全体が不安定な時代へと突入しています。

気候変動のために。紛争や戦争のために。

1970年代の小松左京の『日本沈没』が図書館で貸し出し増えている。とてもリアルな時代になったのだ。火山・地震・津波、洪水、旱魃。さらにミサイル防衛が引き起こす反撃に遭えば、原発が爆発するとか。私たちも国内避難ではすまないこともありうる。

脱出する側、受け入れる側。自分自身がどちらの側になるのか決まってはいない人類はこれをどう乗り切るのか。人の心に潜む差別する心が問題をさらに複雑にしている。問題提起の映像をいくつか見ながら話し合っていきたい。難民に関する人々の無関心が、危険です。

【日時】2022年7月30日 (第5土曜日) 10:00−12:30

【場所】「八事のカフェ ⭐紅茶の時間⭐」 070−1619−6435 地下鉄八事駅2番出口から徒歩10分

【会費】 500円(お茶持参)

【定員】 10名まで(要申し込み)

【主催】 だらっと憲法カフェ

【申込】 土井ゆきこまで  huzu@huzu.jp  090-8566-2638

2022年7月11日野入日記 暮らしのメリハリの2カ所住まい と 週末営業

今朝は、朝から陽がさし、暑くはなるけれど植物と一緒に喜んでいます。

朝の「風の庭」北の空をみる朝の「風の庭」南の空を見る

朝、日陰で朝食。豆乳ヨーグルトには桑の赤い実。一つ一つ取る作業はコーヒーの赤い実もこのように収穫するのかと想像しながら。収穫のうれしさと手間と時間を体感。

これから赤くなる桑の実

 

赤い桑の実

 

 

桑の実はヨーグルトに

庭を一回りして朝食用の収穫をしているとアマガエルやカマキリの子どもがいる。

2.5センチくらいのカマキリ

8時頃、ちょうど庭で朝食をとっていたら近所の人が寄付の集金。彼曰く「いいね~朝はここで食事? 都会ではできんわね~」まさにそうです。裏山の緑に木々を仰ぎ、行き交う鳥たちの行く先を目で追い、庭の花や野菜の日々の成長を確かめる。

お米づくり真似事1

 

お米つくり真似事2

今日は月曜日なので、のんびり、布団を干したり、洗濯したり、裏山で竹を切ったり、下の畑や川の畑(2カ所借りている)には夕方涼しくなってから出かける。

フェアトレードの卸の事務もありPCに向かう時間もかなりあるけれど、気分の切替に家の周りの整備、蔵の中の片づけなど気力さえあれば、やることはいっぱいある。

気力が出ない時は、池(極小)の近くの緑陰コーナーに地上ハンモックをセットして本を読む。

山から流れる水、池の水の波紋

最近読んだ2冊は、桐野夏生さんのJKビジネスにからみとられる少女たちの実態をとらえた「路上のX」、共謀罪は密告の温床など今の法律のなかで、身に覚えはなくとも突然とらわれの身になる社会派作家たちの話「日没」。とても恐ろしい思いをしましたが、今の政治ではありうる話かもしれない。

そして、今読み始めた本は、図書館に申請して5か月目にやっと手元に届いた本竹信三恵子著 『労働運動を「犯罪」にする国 賃金破壊』

関西生コンの話、遠い話と思っていたけれどYou Tubeで竹下さんと組合の人との話を聞いたら、こんなことがあるのか?この本のプロローグに「それって 日本の話なの?」で始まっていることと重なる。無関心は労働運動を犯罪にしてゆくのかもしれない。

古民家カフェ「風の庭」の営業は土日の週末営業

昨日7月10日は、名古屋から4人のお客様、10時~13時まで予約のランチ含めてゆっくりしていただきました。

 

朝の光のなかで

14時からは、3月6日からスタートしてた醤油づくりのメンバーが「天地返し」に参加

 

蔵の前の「醤油づくり」の樽

そのあと、辻信一さん提唱の「スロー・シネマ・カフェ」サティシュクマールの『今 ここにある未来』上映して17時はんごろ解散。

民家カフェ「風の庭」にて上映会

スロー・シネマ・カフェは、名古屋での東区の清水口「風の家」でも25回くらい開催。ここ野入でも月1回月曜日10時~開催。次回は、8月8日開催予定。

お客様を迎えることで、いろんな出会いがあり、たんに田舎暮らしを楽しむだけではなく、交流を楽しませてもらっている。

2カ所住まいの暮らしは、それぞれの機能があっていい。所詮 都会育ちは100%田舎暮らしは難しいかもしれないけれど、ちょっと試してみて様子を見る。私たち夫婦もはじめは週1泊くらいからスタート。今は2泊くらいが名古屋でほぼ野入暮らし。

サティシュ・クマールさんの言葉

「世界の問題を解決する一歩は、あなたの今日の食事から」排出される二酸化炭素の18%(2006年FAOデータ)が、食産業に由来。食べ物を生産し、貯蔵、輸送し、冷蔵するために、何十億バレルという石油を燃やします。

自分の食べるものはできるだけ自分でつくる暮らしを目指したい。

しかし名古屋でフェアトレードの卸をしていることと、なごや国際オーガニック映画祭の会議、だらっと憲法カフェの会議など定期的に用事があり、また映画を見ることもあり名古屋での拠点も必要。

2カ所移動することで、「明日やればいい」ことが行く前にここまでとか、区切りがつく。難は車を今は使うこと。ゆくゆくは公共機関を利用すればいいけれど、荷物を運ぶものもありガソリンを消費しているのが苦しい。

ゆくゆくは、月2回から1回の往復としたい。

ある日 花の開花をみる。ポンと音がして花びらがひらく。どこにそんな力、意思があるのかと思う朝のこと。

 

ミツバチが飛ぶ(写真はクリックすると拡大します)

 

 

 

2022年7月9日野入日記 ゆっころんの心にフォルクローレの風が吹く

7月9日(土)朝10時、民家カフェ「風の庭」にお客様!

JUST! 10時にお客様は珍しい!

そしてその方は、ウィルあいちで私を知っている人いだと夫が言う。

見覚えのない? でも実際は知っている人でした~。

その方のおかげで7月9日は、フォルクローレの嵐が1日吹きました。

いつもは10時くらいまでには寝るのに12時過ぎまでも「Luz Del  Ande」のCDをYouTubeで聞いていた。ウィルあいちの店で聞いていた好きなCDの1枚。

ボリビアの伝統に根ざしながらも現在の感覚に合う新しい音楽を目指す“新たなる伝統の創造~ネオ・トラディショナリスモ”の提唱者として、常にボリビアの音楽会に影響を与え続けている木下尊惇。その彼がリーダーを務めるのがこの“ルス・デル・アンデ”です。彼以外のメンバーもフェルナンド・ヒメネス、マルセロ・ペーニャ、ドナト・エスピノーサ、アントニオ・ペレス、ウイルソン・モリーナといった現在のラパスの音楽シーンを代表する言わずとしれた実力者揃い。
このアルバムは‘88年の“LUZ DEL ANDE”、‘92年の“PESKHA PATAC MARA….”、そして‘95年の“YUME-YO~”の3枚のアルバムから選曲されたベスト・アルバムです。

お客様の浅田さんは、1997年に第三世界ショップ基金が招へいしたボリビアのフォルクローレのグループ「カント・スール(南の風)」の名古屋での講演をウィルあいちの

800人入るホールでコンサートを開催した時の日本のフォルクローレのメンバーとして参加した人!

彼は、7月9日(土)「金曜カフェ@津具」にて開催される「木下尊惇トーク&フォルクローレコンサート ボリビアに魅せられて」に参加するために鈴鹿からみえて「風の庭」にも寄ってくださいました。25年ぶりぐらいの再会です。

木下さん・土井・浅田さん

私たち夫婦も急遽、午後店を休み津具まで出かけました。野入からは30分くらい。

 

 

お話もよかった

素敵な古民家のお店で、「れいわ新選組」のポスターが貼ってありました。選挙の時はみなそれぞれ思いを表現すると盛りあがりますね。私も今年は初めて選挙運動の端っこを担いました。福島瑞穂さんの選挙はがきを48枚出したり、1997年のCOP3の会議の時は高校生でボラんティアに参加したことから環境を勉強し始めたという「長谷川ういこさん https://uikohasegawa.com/ のお話会に参加したり。「私のできること」を一歩踏み出しました。

木下尊惇さんのことは、知っていましたがコンサートは初めての参加。

彼が、小学校からフォルクローレが好きになり、ボリビアまで行った経過、向こうでの話、自分はそれなりにフォルクローレで認められてきたと自認していたけれど、現場のフォルクローレを聞いて、大ショック!! わなわなと体がふるえ涙がとまらなかったといいます。そこにはボリビアに暮らす人々の生活や歴史があったのでしょう。

チャランゴ奏者の有名なエルネスト・カブールの招きで高校卒業後ボリビアにわたり、カブール・トリオのギタリストを経て、86年から「ルス・デル・アンデ(アンデスの花)」のリーダーになる。

私の好きだった上記CDの演奏のリーダーだったことは初めてしりました。

またエルネスト・カブールが映画「橋のない川」の音楽を制作ということは知っていたしCDも聞いていましたが、ここでもなぜか木下さんのことは知らなかったのです。

 

私の好きな住井すゑさん著「橋のない川」の映画をなぜボリビアのチャランゴ演奏者エルネスト・カブールが制作担当したのか不思議でしたが、そこには木下さんの存在があったのかもしれない。

開演前に、お会いして少しお話もしましたがそのことも聞けばよかったと後で思った。カブールさんも木下さんも何か橋のない川に通じるもの、ボリビアの虐げられた人々に通じるものを感じたのいかもしれない。

ペルーの小さな空港に降り立った時、フォルクローレのグループが演奏していた。それが私の好きな曲だったので(有名な曲ではないけれど)嬉しくてたまらなかった。

またマチピチュでもフォルクローレのグループが演奏していて、私は好きな曲のスペイン語題名がわからず、口づさんでリクエストしたら通じてこれもまた嬉しい思い出の一つ。

音楽は、その時の私を連想させる。なんだかわからないけれどその時の自分の中にいるような気がする。フォークソングなど口づさむと、それぞれの曲にその時の自分がそこの中にいる。とすれば、いっぱい歌や、本や、映画など出会いがあればあるほど、いくつかの懐かしい私に会える。

「フォルクローレ」とは…
アンデス山脈周辺の国(ボリビア・ペルー・エクアドル等)の音楽の総称。日本でも「コンドルが飛んで行く(El Condor Pasa)はよく知られています。その始まりはインカ帝国より古く、アンデス高地を中心に、隣接するアマゾン、その間の渓谷地帯で生まれ、今も歩み続ける音楽です。南アメリカに住んでいたインディヘナのサウンドに、後からやって来たスペイン人、アフリカ黒人のエッセンスが加わり、バリエーションに富んだリズムを持っています。曲調も「コンドルが飛んで行く」に代表される哀愁溢れるものから大自然をテーマとした力強いインストゥルメンタル、世界共通の愛をテーマにしたラブソングなど、表情豊かです。

 日本人が真に警戒すべき脅威は、国の外と内のどちらにあるのか?

一つの意見として以下転送

https://imidas.jp/jijikaitai/c-40-150-22-06-g615
「日本もウクライナのように侵略される」というのは本当か 山崎雅弘(戦史・紛争史研究家)

2022/06/30

「防衛力はもっと強化すべき」という世論の危うさ

朝日新聞が20223月中旬から4月下旬に、全国の有権者3000人を対象に郵送で行った世論調査によれば、「ロシアのウクライナ侵攻を受けて、日本と日本周辺にある国との間で戦争が起こるかもしれない、という不安を、以前より感じるようになったか」との問いに、80%が「感じるようになった」と回答したそうです(2022619日の朝日新聞DIGITAL版記事より)。


 この問いに対する「とくに変わらない」との回答は、19でした。
 また、これに続く「日本の防衛力はもっと強化すべきだ」との問いには、64%が「賛成」または「どちらかと言えば賛成」との回答で、朝日新聞(記事には署名なし)はこの二つの結果について「有権者はウクライナの侵攻を受けて、防衛力の強化に理解を示しているようです」と書いています。


 けれども、私はこの世論調査の結果と、それに対する朝日新聞の認識の甘さ(ぬるさ)に、危ういものを感じます。


 かつてこの国では、実質的な国の指導部である軍部とそれに同調する政治家が「自国を取り巻く安全保障上の危機」を理由に、桁外れの軍備増強を行い、それが結果的に日本を「戦争の道」へと向かわせたことがありました。


 昭和12年度(1937年)の予算案では、総額303900円の半分近い141000万円(前年比31%増)が、軍事費に充てられることになっていました。この総額は、後に28億円に削減されましたが、削減の対象は民生分野ばかりで、陸海軍費は実質的に削減なしでした。


 こうした軍事費の大幅増額を正当化する上で、国民向けに広く流布されたのが、「非常時」や「準戦時」などの危機感を煽る言葉でした。


 当時の日本国民の多くは、軍部が要求する膨大な「陸海軍の予算」が本当に国を守ることに繋がるのか、軍部が国民に説明する「危機」や「非常時」が本当に現実を正しく反映した言葉なのかを、自分の頭で検証できる知識を持ちませんでした。

その結果、ただ軍部や政府の言うことを素直に信じ、「日本という国を守るためなら、自分たちの生活よりも軍備が優先されても仕方ない」と思い込み、我慢する道を選んでしまったのです。


 では、1937年から85年後に当たる、2022年の日本はどうでしょうか。一人一人の国民が、政府や「元自衛隊幹部」らの言うことが本当かどうかを自分の頭で判断できる、安全保障問題に関する「適切な知識」を持ち合わせているでしょうか?

軍事的にきわめて難しい「日本上陸作戦」

2022224日に、ロシア軍がウクライナへの侵略戦争を開始すると、日本国内では「ある種の人々」が水を得た魚のような勢いで、防衛費つまり軍事費の増額と、装備兵器の増強を盛んにアピールするようになりました。


 彼らは、ウクライナで起きているような「侵略」が、今すぐにでも日本に対してなされうるかのような「イメージ」を盛んに流布し、国民の不安を煽り、その不安を解消するには「防衛力の増強」しかないのだ、と信じ込ませようとしているようです。


 けれども、近現代の戦争史や紛争史を長く研究してきた者として、今の日本社会でなされている短絡的な「危機意識の扇動」には強い違和感を覚えます。彼らの語る論を仔細に観察すると、ウクライナと日本が置かれている歴史的・政治的・地理的・軍事的状況の大きな違いをきちんと説明せず、「日本がウクライナのようになってもいいのか」という脅しに重点を置いていることに気づくからです。


 たとえば、ロシアのプーチン大統領がウクライナへの実質的侵略を正当化する大義名分として挙げるのは、ウクライナ国内のロシア系住民の保護(ネオナチによる迫害を除去する「非ナチ化」)や、ロシアとウクライナの歴史的一体性(帝政ロシア時代やソ連時代に同じ大国を構成していた)などですが、中国や北朝鮮と日本の間には、そのような「侵略を正当化できる大義名分」は存在しません。


 また、ロシアとウクライナは地続きで、比較的簡単に国境を越えて軍事侵攻を行えますが、中国や北朝鮮と日本の間には広い海が存在しており、侵略の難易度は飛躍的に高まります。


 この「地続きではない」という事実は、国防を考える上できわめて重要で、大規模な兵力を無事に渡海させ、相手国に上陸して敵軍と戦う「着上陸侵攻作戦」の難しさは、元寇の失敗からも明らかです。あのヒトラーですら、フランスから目と鼻の先にあるイギリス本土への上陸侵攻をあきらめる判断を下しました。


 中国軍は、国共内戦末期に大陸の付近で行った小規模な上陸作戦(1949年の金門島上陸など)を除けば、広い海峡や海を越えて大規模な兵力を他国に上陸させた経験がなく上陸させた大部隊の補給を長期にわたって維持できる海上輸送力の保有も確認されていません。


 今回のウクライナでの戦いでは、北部からキーウ(キエフ)に侵攻したロシア軍地上部隊は、兵站(食糧や弾薬、燃料など、作戦継続に不可欠な補給物資)輸送路を脅かされて進撃を停止し、結局キーウに到達できずに撤退を余儀なくされました。もし中国軍が台湾や日本に上陸侵攻すれば、兵站維持の難易度は、この数倍から数十倍になるはずです。


 日本には、訳知り顔で「安全保障問題」を語る人が大勢いますが、その中には「戦争」と「戦闘」の違いを理解できていない人も少なくないように思います。


「戦闘」とは、戦闘機やミサイル、軍艦、戦車などによる、局所の「戦い」であり、前線兵力の数や兵器の性能などの優劣が勝敗を分けます。これに対し、「戦争」は開始する上での大義名分(政治的正当性)や兵站計画とその実行準備、長期化した場合の経済的負担や政治指導者に対する国内世論の変動など、さまざまな要素が関わる「戦略的問題」です。


 こうした観点から見ると、ロシア軍がウクライナへの侵略を開始した20222月以降の東アジア情勢で、北朝鮮や中国の日本に対する「軍事的脅威」が、それ以前より「大きく」高まったと考える材料は特に見当たりません。

中国や北朝鮮の目的は「日本侵攻」ではない

そうは言っても、実際に北朝鮮は各種のミサイル発射実験を日本近海で頻繁に行っているし、核兵器の開発も続けている。中国は南シナ海への「海洋進出」を行って勢力圏を拡大し、3隻目の空母を含め陸海空の最新兵器を導入して軍備の増強を進めている。これらの動きを見れば、日本に対する「脅威」が高まったという認識は、間違いとは言えないのではないか?


こんなふうに思われる方も少なくないと想像します。メディアの報道、特にNHKニュースの報道をそのまま素直に受け止めれば、北朝鮮や中国の「軍備増強」に、日本が圧迫されているかのような「イメージ」が視界に出現します。


 しかし、ここで一度立ち止まって「北朝鮮や中国は、何のために軍備増強を行っているのか」を考えてみてはどうでしょうか。
 たとえば、北朝鮮が国民生活を犠牲にして進める、ミサイルや核兵器の開発目的は何なのか。


 日本に侵略して領土を拡張するためではありません。侵略の大義名分も、部隊を日本に上陸侵攻させる能力も、北朝鮮は持っていません。


 その対象は事実上、かつて朝鮮戦争(1950年に勃発、1953年に停戦)で自国を存続の危機に追い込んだアメリカただ一国であり、アメリカが自国の国家体制(指導者である金一族を中心とする国家体制と秩序)を軍事力で打倒することを阻止する目的で、米本土を攻撃できる大陸間弾道弾(ICBMを含むミサイルや核兵器の保有を進めているのです。


 つまり、日本列島の在日米軍基地を別にすれば、北朝鮮の指導部にとって、日本は「眼中にない」のです。米軍と切り離した形で日本を攻撃する理由は見当たりません。


 中国の場合も同様で、軍備増強の第一目的は「日本を攻撃するため」ではなく、「アメリカと戦争になった場合に有利な状況を創り出すため」です。中国は、インドとの国境紛争や無人島の奪取を別にすれば、領土拡張目的の対外侵略を、一定数以上の人が住む領域に対して行ったことがありません。


 国共内戦末期に軍事力で支配下に置いた、チベットとウイグル(新疆)については、同化政策を「文化的な侵略」と見なしたり、それに従わない住民の迫害や虐殺を「人道的な侵略」と見なすことが可能ですが、国際関係の文脈では、チベットもウイグルも当時は独立国としての地位(他国の外交的承認)を持っていなかったので、国連を含む国際機関は今でも、両地域の問題を「中国軍による他国への侵略」でなく「中国国内の人権侵害や虐殺」という形式で批判しています。


 かつて清国の領域内だったチベットやウイグルと違い、日本は過去に一度も、清国を含む中国の領域に併合された歴史がありません。従って、中国軍が日本人の住む日本列島に軍事侵攻を行う大義名分がありません。


 近い将来に、日本が中国と戦争する可能性は存在します。一つは、無人島である尖閣諸島をめぐる領土紛争。そしてもう一つは、何らかの理由で勃発した米中戦争に日本が巻き込まれるという展開。しかし、ウクライナでのロシア軍の苦戦と戦争の長期化は、習近平政権に、紛争や戦争を自国が起こした場合の「戦略的なマイナス面」を再認識させているであろうと考えられます。

軍事費の増大に抵抗できなかった1937年の帝国議会

193737日付の大阪朝日新聞朝刊2面のコラム「天声人語」は、冒頭で述べた予算審議における当時の衆議院の対応について、次のように批判しました。

「二十八億円の厖大予算は、ついに申し訳の付帯決議で、衆議院を通過することになってしまった。最初は三十億円だったのが二十八億円に減ったのは、いうまでもなく結城『興銀蔵相』が地方交付金の削除によって地方農村を見殺しにした結果にほかならない。


 軍事予算に至っては少額の『見合わせ』以外一銭一厘の削除も加えずそのまま鵜呑みにしてしまったのだ。


 ここで事柄を是非ハッキリさせておかねばならぬのは、衆議院が心からこの尨大軍事予算を至当と認めて鵜呑みにしたわけではなく、反対する勇気を欠くために渋々ながら協賛したという一事についてである。これは少しも憶測ではない。(中略)
 議会とはそもそも何をする機関か、心にもない屈服と、腑甲斐ない悲鳴に終始する場所といわれても返す言葉はあるまい」

また、同年630日付の大阪朝日新聞朝刊1面の見出しは、「画期の予算編成方針決まる」「『金』と『物』の両建て」というもので、前日の閣議で承認決定された昭和13年度(1938年)の予算編成方針について、次のように報じました。

「国防充実の必至と物価騰貴の真っ只中に、未曾有の尨大化を予想される明年度予算」「全体として物資力の供給増大には自ずから限度があり、半面国防費を中心とする歳出の膨張は相当程度に上る情勢におかれている点から見て結局国防そのほか政府関係の緊急なる物資の需要に応ずるためには民間の消費はある程度の抑制を余儀なくされる」

日本が中国との全面戦争へと突入したのは、この記事が世に出てから、わずか1週間後のことでした(77の盧溝橋事件)。それ以降、大日本帝国は1945年の破滅的な敗北まで、大きな方針転換を行えないまま、内外で多くの死傷者を出す戦争に邁進しました。
 つまり、桁外れの軍事費増大は、国に平和をもたらさず、その逆となったのです。
 グロテスクなほど軍事費に偏重した予算の成立から85年が経過し2022年の日本人は、そして朝日新聞は、当時の経験から何かを学び取ったと言えるでしょうか?


 当時の大日本帝国では、一人一人の国民は「主権者」ではなく、国防の議論において「守られる対象」でもありませんでした。国防の議論で「守られる対象」は、国の支配層(天皇を中心とする国家体制と秩序=国体)でした。軍人もそれ以外の国民も、支配層を守るために自分の命や暮らしを捧げることを自らの義務と考えるよう教育勅語などを通じて仕向けられ、生活上の不便や苦労が増え続けても従い続けました。
 われわれは、またあの時と同じ場所へ連れて行かれようとしているのではありませんか?


 日本人が真に警戒すべき脅威は、国の外と内のどちらにあるのか、今はそれを冷静に考えるべき時だと思います。