=3月9日自主企画「フェアトレードってな~に?」講座開催=119ピースボートクルーズ便り

 

講座会場

 

サモアへ行く前の説明会で、サモアの女性の自立をサポートする団体がフェアトレードをしているとの話で、フェアトレードってな~に?という声がちらほら

また船で仲良くしてもらっている人からも話が聞きたいと言われていて

フェアトレードの講座開催(自主企画) を3月9日に急遽企画。

時間枠が短く、削りの意削って40分くらいでまとめた。

「聞きにいけてよかったです。実際に足で運んで見て聞いてきたゆっこりんのお話、胸に響きました」とコメントを寄せてくれました。

この運動を知ることで 消費について、貧困に加担している消費について考えることで、人権(児童労働等)や環境問題に繋がり、次世代の事を考える暮らしに繋がっていくと思う。

=2025年3月4日アピア(サモア)自立をめざすサモアの女性たちと出会う=119ピースボートクルーズ便り

 

ココナッツオイル製造過程

ココナッツの実を細かくおろしたものを鉄板の上で乾燥させて絞る。純粋な製造過程で作られたオイルは、フェアトレードで輸出されていた。

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3月4日サモアの港アピアを出航 横浜目指してます。

最後の寄港地のサモアでの「自立を目指すサモアの女性たちと出会う」交流プログラムに参加。

サモアは、太平洋で一番早く独立した国です。

若者たちのパフォーマンスも素晴らしく、伝統料理=石を熱くしてその上に料理用バナナ・タロ芋の皮をむいたもの等を載せバナナの葉っぱで覆う工程も見せてもらう。

そこはNGO「ウーマン・イン・ビジネス」というココナッツオイルなど商品を扱い 有機農業・フェアトレードを通じて女性の地位向上に取り組んでいる1991年設立のNGO団体。

交流タイムの日本側62名は、沖縄のエイサーの太鼓4つにあわせ手踊りし 炭坑節の盆踊りをサモアの若者たちも巻き込み楽しく踊った。

この旅の最後の交流プログラムが充実していて ラッキーでした。

 

=2025年3月1日は消滅の日=119ピースボートクルーズ便り

12月21日から始まった時差調整 1時間マイナス

それを24回マイナスして帰国する日には日本時間になる。

3月1日はその調整で1日なくなるというわけ。

船旅のよさはいろいろあるけど、時差ぼけが生じないところもその一つ

=2025年2月27日パペーテ(タヒチ)先住民族「マオヒ」の文化体験=119ピースボートクルーズ便り

HAURURUというタヒチの伝統を守るためにつくられた団体を訪ねました。

港から2時間 四輪駆動車の荷台に長椅子があり向かい合って5人ずつ腰かけ

途中からは山道を揺さぶられながら島の中心部まで行きました。

HAURURUは設立から30年、フェアトレード・風”s(ふ~ず)も今年で30年目。

 

 

 

 

=2025年2月17日 講演「ポリネシアの一部のラパヌイ(イースター)島」=119ピースボートクルーズ便り

2025年2月17日
講演「ポリネシアの一部のラパヌイ」
セバスチャン・バカライ
考古学者、ラパヌイの現地ガイド
ラパヌイ島が衰退して行ったのは
17世紀以降
人口が増え 資源枯渇を巡る闘争
旱魃が続くなど自然発生的な要因もあり
モアイは倒された
30体復興 220体は未復興
人口急減 漁が出来なくなりタンパク源は鶏 盗難防止の鶏小屋は石で作られていた
モアイの時代に文字
初代の王様の時に発展
1200〜1300の木材にロンゴロンゴの文字が書かれていた
ポリネシアで唯一の文字ロンゴロンゴの
遺品は27あるが世界にあり、島は無

唯一の文字研究者が奴隷として1862年にラパヌイ島から連れ出され、解読の望みは断たれた。
1722年 オランダ
1714年 スペイン
    イギリス
    フランスと島に、その時はモアイは破壊されていたと記録あり
それらの国々には、遠方にあり統治の魅力なく、支配から免れた。
病気を持ちこまれ
文化もほとんど消滅
1888年チリの一部になった。ペルーと戦争していたので戦略的な意味で占領
ペルーは南の島々を占領していた。
1887年ラパヌイ人は111人しか残っていなかった。内女性70人
チリに、内戦がおきラパヌイ島への関心なくなっていく
1893年チリはイギリスの羊毛会社に50年間島を貸した。
1つの村バンガロアにしか住むことが許されず。
イギリスの牧場に働いている人だけ
その人たちも奴隷だった。チリは関知せず
500人タヒチに移動
ラパヌイ島よりタヒチにラパヌイ人多く存在
2つの反乱
1914年 アンサタ(女性預言者)
150頭の羊、70頭の牛を盗み(?)
翌日たまたまチリの海軍が来て
企業より人々を選んだので殺されなかった
これを機に労働者の扱いが変わりお金を受け取れるようになった。
1953年 イギリス企業撤退
チリ海軍による統治
1964年反乱 チリ本土と同じ権利を要求
それまで市民権が無かった
若者が大統領に手紙
ラパヌイ人の血を研究していたカナダの研究者に手紙を渡し、大統領まで渡す事が出来た
1966年大統領に渡され、チリの国籍を得警察、消防所など行政機関が設置される
これは、1955年ノルウェーの考古学者がモアイ像の価値を発見 発掘した本を出した事による
本の発行により島への関心が高まり考古学価値が見出された。
1955年  初めての修復作業はじまる
1960年 外国のお金で修復7体
1967年 観光年となる
1990年 観光急増 コロナまで続く
強いアイデンティティを持っている文化には誇りを持っている
島で伝統的な祭りもあり
モアイの豊かな文化伝承には、歴史を忘れないことが大事

=2025年2月18日ラパヌイ(イースター)島=119ピースボートクルーズ便り

夕ラパヌイ(イースター)島の沖合から2月27日寄港するタヒチに向かい一路進んでいます。

2月21日からやっと日々の便りが書けるようになりました。当初更新できなかったのがこのブロブ制作でお世話にんったコムニカさんより、サーバーに「国外IPアドレスからのアクセス制限」がかけてあったとのことで解除して3か月船旅の後半になりやっと使用可能になりました。

ぼちぼち今までのまとめを報告してゆきます。

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モアイの「製造工場」ラノ・ララクの山付近

15体モアイのあるアフ・トンガリキ共に
国立公園となっていて遊歩道をはみ出してはいけないし、 15体のモアイも近くまでは行けない。

世界遺産にもなっている
観光ガイド付きでないと見る事は出来ない。

ラノ・ララクの岩山でモアイを作り、背中と山を切り離し坂を滑らせ海岸のほうまで運び台の上に立てた

1000体くらいつくられたらしい。

倒れていたモアイ15体を大型クレーン車で持ち上げ今の状態にした、クレーン車提供は関東地方の日本の企業。

大型船を着ける港がないからチリの海軍の船を使って特別に島へ輸送。

チリからの許可が降りるまでにも数年かかった。

TV番組で倒れていた モアイを見たクレーン社の社員が(TV番組であったらいいなという出演者のコメントがあり)

社長にモアイを起こしたいと持ちかけたことから始まり、

数年かけて15体のモアイが起き上がった話。

一方
ラパヌイにも先住民の人達がイギリスの会社に50年近く奴隷のように働かされていた話、

2回 (1回目のリーダーは女性) 立ち上がる運動が起きたと言う話も聞きました。

=2025年2月16日 講座「ラパヌイの歴史と考古学」=119ピースボートクルーズ便り

2/16 講座「ラパヌイの歴史と考古学」

セバスチャン・バカライ考古学者、ラパヌイの現地ガイド

 

紀元前600〜800年 ポリネシアからやってきた
出航時に1つの星をみて、星をめがけて島到着
子どものころから星について学ぶ
雲 海 自然について学ぶ
鳥の種類による飛行距離によって島の所在判断をする
ぐんかん鳥は48Km飛行 30マイル以内に陸地あり
古い考古学で5〜6世紀に到着したと言われている
1972年 オランダのヤーコフがイースターの日に到着して名づけた
ラパヌイはタヒチからの命名で、大きな島の意
紀元前1000年〜
ポリネシア文化はたくさんの神々を信仰
ラパヌイは人を信じる対象に、、
人を型取る文化
3mは超えることのない石像 モアイ
マナは、特別の力 専門の知識含む
場所、人、物、動物に宿る
アフは250ヶ所存在 1〜15体 部族の規模による
部族は沿岸地域に、重要なのは淡水が取れる場所に住居 島の人口15000人
洞窟の人もあり70人
ラパヌイ島は、世界最大の博物館と言われている
いつも新しい発見がある
すべての保護は難しい
マグロの絵がある 外洋の漁にも出ていた
火山灰が積もってできた玄武岩
全て一ヶ所で作られ運ばれた。
90tの重さ 11km テコの原理で移動
大小1000体のモアイ像が作られた
初期は小  後期は大
頭の上の帽子のようなものはブカオといって、髪の毛を結ったもの、石は赤茶
人が住んでいる方向を向いて立っている
目を入れるのは完成の時

119ピースボートクルーズ便り=2025年2月6日伊藤千尋さん講演 「世界の平和と憲法9条、非戦の誓い」

千尋さんのジャーナリスト魂が

私たちに九条の証拠資料をもとに真実を伝えてくれる。当日の首相の幣原喜重郎が考えマッカーサーに提案、しかも議会に提案したら反対されるに決まっているので

マッカーサーからの支持とした。

世界で評価を受けている

アフリカ沖のスペイン領カナリア諸島にあるヒロシマナガサキ公園にある

憲法九条の碑

その経過の話も面白い

日本でも23個

1年間で14も作成中か予定?

9・11の時 駐在員でひとりイラク攻撃反対したバーバラ・リーさんの反対した理由を説明する集会で 一番後ろで聞いていた彼は、200人が立ち上がって拍手した瞬間壇上に駆け寄り、その勇気の源を思わず質問。その時の写真が写し出された。 現場にいる人!