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フジコ・ヘミング名言

相田 公弘さんのFBよりウォンさんから
「奇跡のピアニスト」として人気を集めたフジコ・へミング(本名・ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ)さんが4月21日、 膵臓すいぞう がんで死去した。フジコ・ヘミング財団の発表によると92歳だった。
♫「ラ・カンパネラ」
フジコ・ヘミング名言
1.
間違えたっていいじゃない。機械じゃないんだから。
2.
辛いことがあっても私は負けなかった。いつかはこの状況から抜け出せる日が来ると信じていたから。
3.
どんなに教養があって立派な人でも、心に傷がない人には魅力がない。他人の痛みというものがわからないから。
4.
目の前にある現実だけを見て、幸福だとか不幸だとか判断してはいけない。その時は不幸だと思っていたことが、後で考えてみると、より大きな幸福のために必要だったということがよくあるの。
5.
人間はなんのために生きるのかって考えてみると、苦難を乗り越えていくために生きるのだと思う。なにもしないで、生きていこうなんて生き方はだめよ
6.
人生って短すぎます。少し賢くなったと思ったら、もう年取っているんだから
7.
人生が、予定通り順調にうまくいくことなんて絶対にないの。ありえないことよ。そうならないように頑張るでしょ。だから人生がおもしろくなるんじゃない
8.
人間は場所を得て初めて、本当の姿を現す生きものなのよ
9.
私の人生にとって一番大切なことは、小さな命に対する愛情や行為を最優先させること。自分より困っている誰かを助けたり、野良一匹でも救うために人は命を授かっているのよ
10.
人生は諦めたら終わり。私は苦しみながらも希望を捨てませんでした。人生をくよくよして渡らないことです
11.
人生にはやりたいこと、読みたい本、見に行ってみたいバレエ公演、他にもいっぱいありますよね。結婚していなくて良かったと思います
12.
恋をしているとピアノはあまり良く弾けません。でも、恋はお酒に酔っ払っているようにすてきではありませんか。若さを保つのにも良いでしょう
13.
私のコンサートに何度も来てくださる人々は素晴らしい方たちだと思います。つまり、私の芸術、私の思い、動物や弱い者に対しての哀れみなどを心で感じてくださる日本人たちで、心からありがたいと感謝しています
14.
どんなことも、あきらめなければ必ず道は開けてくる。そう思った
15.
とうとう夢が叶う。苦しくても前を見つめて頑張ってきたからだ
16.
私は無我夢中でリストの「ラ・カンパネラ」や「愛の夢」を弾いた。すると、聴き終わったバーンスタインが私を抱き寄せ、キスしてくれたのよ。神様が微笑んだ
17.
死に物狂いになったら、なんでもできる
18.
口のきけない動物や草木に、じっと心をかたむけるといい。話せなくても、気持ちは通じるものよ。どんな時でも励ましてくれている
19.
自分(の成功)にふさわしい時期がくるまでひたすら待つということも、大切なこと
20.
どんなに辛い悲しみも、すべて時が忘れさせ、癒してくれる。たくさん泣いて、嫌な時が過ぎてゆくのを、ただ待つしかない
21.
神にただ、「ああしてください」「こうしてください」と願い事をするだけではいけない。自分のいまの状態から幸せを考えもしないで、もっといい状態を得たいと欲望だけをぎらぎらさせている人が多い。いつも「どうもありがとう」と、いま生かされていることへの感謝の気持ちを持たないと
フジコ・ヘミングは、
スウェーデン人建築家の父と日本人ピアニストの母の間にベルリンで生まれ、1930年代半ばに5歳で帰国。母からピアノの手ほどきを受け、東京芸術大を卒業後、ベルリンへ留学した。
その後も欧州で演奏活動を続けたが、かぜが原因で一時両耳の聴力を失い、活動を中断。後に左耳の聴力は一部回復し、ストックホルムでピアノ教師を長年続けた。
95年、母の死を機に60代半ばで日本に帰国。再起を懸けたリサイタルや数奇な人生を取材したNHKのドキュメンタリー番組が99年に放送されると大きな反響を呼び、同年発売されたデビューアルバム「 奇蹟きせき のカンパネラ」はクラシック音楽では異例の大ヒットを記録した。
2000年代から本格的なコンサート活動を始め、海外の有名オーケストラともたびたび共演。多くの録音を行ったほか、半生を描いたテレビ番組やドキュメンタリー映画も作られた。また、動物愛護活動などに熱心に取り組んだ。

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