今日5月27日の中日新聞より
①4面「視座」権力と権威の乖離 内山 節
いつも楽しみに読んでいる内山さんのコーナーです。
権力は一瞬にして確立することもできるが、権威は人々の信頼や尊敬が芽生えてこそ成立
・トランプ大統領の権力
・安倍首相の権力
・起業経営者や経済界での権威のない権力者が多くなった
・日大アメリカンフットボールの監督やコーチは、権力者ではあったが、権威をもっている人ではなかった。
・国会での官僚たちの対応も同じ。
かって確立された男性社会という権力も権威を失墜させ、いまではその権力自体が批判にさらされている。この過程で、セクハラ、パワハラなどが攻撃されるようになった。今日では、過去につくられた、さまざまな権力と権威の一体化が風化し、権威を喪失した権力の退廃や、そのことに気づかない権力者の醜態さが感じられる。そんな時代が展開しているのである。
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ゆっころんからの広報
6月30日お話会「女性議員が増えると何かいいことあるの?」大曾根のオゾンさんで開催
②5面社説 循環に行き止まりなし
岐阜県の石徹白(いとしろ)地区の「石徹白番場清流発電所」は110全世帯が出資して稼働している。平野彰秀さんの活動の紹介やコメントもあった。
「かえる」から「かりる」、自然の邪魔せずに、そんも力を借りで人間の必要とするものを得る。
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ゆっころんからの広報
「おだやかな革命」が6月9日から今池のシネマテークで上映されます。在来作物のタネに着目した『よみがえりのレシピ』(2010年)で高い評価を得た渡部智史監督の新作ドキュメンタリー。石徹白では、地域の野良着をベースにした服作りで注目を集める「石徹白洋品店」も登場する。→書籍「持続可能な生き方をデザインしよう」にもインタビューの形で「石徹白洋品店」がとりあげられています。
同時に「コスタリカの奇跡~積極的平和国家の作り方」もシネマテークで9日から上映されます。
③18面「書く人」 「能力」は共有するもの
「知性は死なない 平成の鬱(うつ)をこえて」歴史学者 與那覇潤著 文藝春秋
うつとは〈「自分」のありかたが、物体としての身体のほうに振れきってしまった状態〉だと論じる。そしていまの世界にも、こうした兆候が見られると分析する。「理性的な言語での説得が通用しない現状は、うつ状態の際の頭と体の関係に重なって見えた」
例にあげるのはトランプ現象や英国の欧州連合(EU)離脱。知識人層が唱える合理性が、社会によって覆された出来事だ。その末に「保護主義や人種主義が台頭し、俺たちの範囲はここまでだとして自他の間に線を引く。『身体』優位の時代が来ている」
処方箋として〈社会的能力を「共有」しつつも、自由や競争をそこなわない制度〉を追求する考えだ。根底には「能力を保持するのは個人ではない」という発見がある。….
「人が輝くのは自己啓発や地位の獲得によってではなく、周囲とよりよく『能力を共有』できたとき。…」
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ゆっころんの感想
私自身、あたまでやらなければならないことわかっていて、どうしても体は動かない事柄がある。そ~か、鬱のかる~~い状態なのか….。つまり鬱とはだれにでもあり強いか弱いかなんだね~と思いあたりました。鬱とは極限に振ってしまった状態と理解できた。そして『能力を共有』して生きる。家庭でも会社でも地域でも、だって一人一人違う能力を持ってうまれてきているから。
④4面 メルヘンハウスの45年
惜しまれて閉じる店のニュースが時々掲載される。商売は時代の流れにのらなければ経営が成り立たない。では一体今社会は何を望んでいるのだろう。本をもって帰るのが重いから写真とってネットで買う。2000年にはじまったインターネットの本の販売。そこで働く人のことも考えたい。何時間後には発送できるというコメントもあるということは、それにあわせて必死に書庫をかける人の姿がある。仕事に喜びを持てるのだろうか?
メルヘンハウスの父子は、夢みた形のままで店を終わらせることを選んだ。
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ゆっころんの感想
23年やってこられた店だけれど、いつどのような思いで閉じるのだろうと思った。社会に必要だと思えばこそ続けているものの、商売である以上は理念と経営のバランスはとらなければならない。次ぎの世代に引き継げるまでの経営に果たしてなるのか…….なりたたないということは必要である店ではないということなのかと自問する。
今日2018年5月27日の紙面は、企画が続き、ちょっと疲れていた私にぴりっと「そ~~~か~~」という記事がおおくって記録してみました。