青空発WEB新聞 より
ハイロアクション 武藤類子さん
「自分にとっての脱原発」
・・・もとにはもう戻せないですし、もう世界は変わってしまったのです。既存の考え方を捨て、新たな考え方が必要な時になりました。こうなってしまったのですから、新しい世界を築くという考えのもとにひとり一人が行動しなければなりません。・・・
・・・そして、私たちの生き方も変わらなければなりません。私たちはたくさんの恵みの中で暮らしてきました。今こそ、環境に負荷をかけない暮らしを日本人みんなで考え、自分の生活の言わばリーダーシップはしっかりと自分で取ることが、本当の意味での復興だと思います。
自分の家の電力消費量を知り、何に電気が多く使われているかを考えることからはじめ、それが本当に必要なものかを自分自身に問いかけてみます。自分の存在が自然の中の一部であることを自覚し、エネルギーを大切に使う工夫をしているうちに、工夫する生活が喜びとなってくるはずです。
自然エネルギーの開発も原発に依存しない社会を目指す鍵でしょうが、それだけで今の消費量を賄えるエネルギーを得るのは無理ではないでしょうか。今日までのようなエネルギーに対する考え方を改め、今までの生活を変えることが極めて重要だと考えます。
福島県は「脱原発宣言」をしました。私にとっての脱原発は、暮らしを見直すということにほかなりません。原発を許す社会を形成した世代としての重い責任を担いながらも、新しい生活を構築し直さなければならないと思っています。
(2012・1・29)
ハイロアクション・武藤類子
1953年生まれ。養護学校教員を務めながら86年ごろから脱原発運動に携わる。2003年、喫茶店「燦(きらら)」開店、環境にやさしい暮らしを提唱。11年9月19日、6万人が集まった「さようなら原発集会」でのスピーチで多くの人たちに感銘を与える。ハイロアクション福島四十年実行委員会
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以下2016in三重「武藤類子さんをお招きして」のプロフィールより追記
福島原発告訴団団長、2013年12月「第9回女性人権活動奨励賞(やより賞)」を授賞
2015年9月23日 さよなら原発 さよなら戦争 集会、武藤類子さんスピーチ(代々木公園)
(引用開始)
皆さん、こんにちは。福島から参りました、武藤類子です。
今日も、福島からバスでやって来た仲間たちがいます。遠い避難先からやって来た仲間もいます。
ほのかに色付き始めた福島の森はなお美しく、水は清冽な音をたて流れて行きます。野には紫のアザミや青いツユ草が揺れています。
でも、森の中の朽ちた樹木に見え隠れするキノコを食べることはできません。アケビ、ナツハゼ、ハシバミ、秋の稔りを素直に喜ぶことはできません。物言わずじっとたたずむ植物たちに、変わらず生を営む鳥や虫や獣たちに、何が起こっているのでしょうか。
毎日大量の汚染水が流される海で、魚や海の生き物たちはどうしているのでしょうか。
大地や樹木、アスファルトに入り込み、今も発せられる放射線はあらゆる命に何をもたらすのでしょうか。
豊かな生命を育む、大地も森も水も風も深い傷を負ったままです。
国と福島県は、放射線量がまだ十分下がりきらない地域の避難指定を解除し、避難者の借り上げ住宅制度の廃止や賠償の打ち切りを、当事者の声を十分に聴かぬままに決めました。
オリンピックに注がれる莫大なお金で何人の避難者の生活が保障されるでしょう。
福島県の小学5年生が全員訪れることになる放射線教育施設の完成が近づき、子どもの応募により愛称が決まりました。小学生の時「原子力明るい未来のエネルギー」という標語を作った大沼さんは、事故後に心を痛めていました。原発安全神話の次には放射線安全神話が作られて流布されています。
修学旅行の高校生や見学ツアーの中学生が福島を訪れます。
放射能安全神話と固く結びついた帰還政策は、被曝への警戒心や健康不安への言葉を封じ込めます。帰還政策とは、放射能がある場所へ我慢して帰って暮らせと言うことです。
多発であるという警告を受けて、早急な調査と対策がされるべき小児甲状腺癌は、増え続けています。
福島県の災害関連死は、津波で亡くなった人をはるかに超えました。ふるさとへの郷愁と放射能への不安のはざまで、精神の疲れは限界です。
過酷な被曝労働は、日本中で仕事を求める人々の受け皿になっています。今度は兵役がその受け皿になるのでしょうか。
戦争も原発事故も、起きてしまったことから学ばなければ、悲劇は何度でも繰り返されるのです。犠牲になった人々の怒りと悲しみは決して慰められはしません。
私たちは自覚しなければなりません。
起き上がれずに、目を背けたい朝があります。
「9条守れ」「戦争いやだ」のプラカードを手に、雨の中も国会の前に立ち尽くす何万という人々がいました。
年齢や立場、党派をも超えて共に闘う人々がいました。
原発事故の被害者たちは共に手を繋ぐことを約束しました。
全国散り散りになった避難者も、繋がっていこうと動き出しました。
刑事責任を問わない検察庁の代わりに、市民による検察審査会は、刑事裁判への扉を開きました。
それは、長い間コツコツと、平和と原発反対を訴え続けて来た人々から繋がっています。
緑の田んぼを渡る風のように、爽やかに吹き渡っていく若者たち。
子どもを胸に抱きながら汗を光らせマイクを握る、戦争法案反対を訴える母親たち。
そのシンプルで率直な感性とまぶしさは、私たちの世代が乗り越えられなかったものをやすやすと超えていくでしょう。わたしは彼らの心優しい賢さに学びたいです。