一つの意見として以下転送
https://imidas.jp/jijikaitai/c-40-150-22-06-g615
「日本もウクライナのように侵略される」というのは本当か 山崎雅弘(戦史・紛争史研究家)
2022/06/30
「防衛力はもっと強化すべき」という世論の危うさ
朝日新聞が2022年3月中旬から4月下旬に、全国の有権者3000人を対象に郵送で行った世論調査によれば、「ロシアのウクライナ侵攻を受けて、日本と日本周辺にある国との間で戦争が起こるかもしれない、という不安を、以前より感じるようになったか」との問いに、80%が「感じるようになった」と回答したそうです(2022年6月19日の朝日新聞DIGITAL版記事より)。
この問いに対する「とくに変わらない」との回答は、19%でした。
また、これに続く「日本の防衛力はもっと強化すべきだ」との問いには、64%が「賛成」または「どちらかと言えば賛成」との回答で、朝日新聞(記事には署名なし)はこの二つの結果について「有権者はウクライナの侵攻を受けて、防衛力の強化に理解を示しているようです」と書いています。
けれども、私はこの世論調査の結果と、それに対する朝日新聞の認識の甘さ(ぬるさ)に、危ういものを感じます。
かつてこの国では、実質的な国の指導部である軍部とそれに同調する政治家が「自国を取り巻く安全保障上の危機」を理由に、桁外れの軍備増強を行い、それが結果的に日本を「戦争の道」へと向かわせたことがありました。
昭和12年度(1937年)の予算案では、総額30億3900万円の半分近い14億1000万円(前年比31%増)が、軍事費に充てられることになっていました。この総額は、後に28億円に削減されましたが、削減の対象は民生分野ばかりで、陸海軍費は実質的に削減なしでした。
こうした軍事費の大幅増額を正当化する上で、国民向けに広く流布されたのが、「非常時」や「準戦時」などの危機感を煽る言葉でした。
当時の日本国民の多くは、軍部が要求する膨大な「陸海軍の予算」が本当に国を守ることに繋がるのか、軍部が国民に説明する「危機」や「非常時」が本当に現実を正しく反映した言葉なのかを、自分の頭で検証できる知識を持ちませんでした。
その結果、ただ軍部や政府の言うことを素直に信じ、「日本という国を守るためなら、自分たちの生活よりも軍備が優先されても仕方ない」と思い込み、我慢する道を選んでしまったのです。
では、1937年から85年後に当たる、2022年の日本はどうでしょうか。一人一人の国民が、政府や「元自衛隊幹部」らの言うことが本当かどうかを自分の頭で判断できる、安全保障問題に関する「適切な知識」を持ち合わせているでしょうか?
軍事的にきわめて難しい「日本上陸作戦」
2022年2月24日に、ロシア軍がウクライナへの侵略戦争を開始すると、日本国内では「ある種の人々」が水を得た魚のような勢いで、防衛費つまり軍事費の増額と、装備兵器の増強を盛んにアピールするようになりました。
彼らは、ウクライナで起きているような「侵略」が、今すぐにでも日本に対してなされうるかのような「イメージ」を盛んに流布し、国民の不安を煽り、その不安を解消するには「防衛力の増強」しかないのだ、と信じ込ませようとしているようです。
けれども、近現代の戦争史や紛争史を長く研究してきた者として、今の日本社会でなされている短絡的な「危機意識の扇動」には強い違和感を覚えます。彼らの語る論を仔細に観察すると、ウクライナと日本が置かれている歴史的・政治的・地理的・軍事的状況の大きな違いをきちんと説明せず、「日本がウクライナのようになってもいいのか」という脅しに重点を置いていることに気づくからです。
たとえば、ロシアのプーチン大統領がウクライナへの実質的侵略を正当化する大義名分として挙げるのは、ウクライナ国内のロシア系住民の保護(ネオナチによる迫害を除去する「非ナチ化」)や、ロシアとウクライナの歴史的一体性(帝政ロシア時代やソ連時代に同じ大国を構成していた)などですが、中国や北朝鮮と日本の間には、そのような「侵略を正当化できる大義名分」は存在しません。
また、ロシアとウクライナは地続きで、比較的簡単に国境を越えて軍事侵攻を行えますが、中国や北朝鮮と日本の間には広い海が存在しており、侵略の難易度は飛躍的に高まります。
この「地続きではない」という事実は、国防を考える上できわめて重要で、大規模な兵力を無事に渡海させ、相手国に上陸して敵軍と戦う「着上陸侵攻作戦」の難しさは、元寇の失敗からも明らかです。あのヒトラーですら、フランスから目と鼻の先にあるイギリス本土への上陸侵攻をあきらめる判断を下しました。
中国軍は、国共内戦末期に大陸の付近で行った小規模な上陸作戦(1949年の金門島上陸など)を除けば、広い海峡や海を越えて大規模な兵力を他国に上陸させた経験がなく、上陸させた大部隊の補給を長期にわたって維持できる海上輸送力の保有も確認されていません。
今回のウクライナでの戦いでは、北部からキーウ(キエフ)に侵攻したロシア軍地上部隊は、兵站(食糧や弾薬、燃料など、作戦継続に不可欠な補給物資)輸送路を脅かされて進撃を停止し、結局キーウに到達できずに撤退を余儀なくされました。もし中国軍が台湾や日本に上陸侵攻すれば、兵站維持の難易度は、この数倍から数十倍になるはずです。
日本には、訳知り顔で「安全保障問題」を語る人が大勢いますが、その中には「戦争」と「戦闘」の違いを理解できていない人も少なくないように思います。
「戦闘」とは、戦闘機やミサイル、軍艦、戦車などによる、局所の「戦い」であり、前線兵力の数や兵器の性能などの優劣が勝敗を分けます。これに対し、「戦争」は開始する上での大義名分(政治的正当性)や兵站計画とその実行準備、長期化した場合の経済的負担や政治指導者に対する国内世論の変動など、さまざまな要素が関わる「戦略的問題」です。
こうした観点から見ると、ロシア軍がウクライナへの侵略を開始した2022年2月以降の東アジア情勢で、北朝鮮や中国の日本に対する「軍事的脅威」が、それ以前より「大きく」高まったと考える材料は特に見当たりません。
中国や北朝鮮の目的は「日本侵攻」ではない
そうは言っても、実際に北朝鮮は各種のミサイル発射実験を日本近海で頻繁に行っているし、核兵器の開発も続けている。中国は南シナ海への「海洋進出」を行って勢力圏を拡大し、3隻目の空母を含め陸海空の最新兵器を導入して軍備の増強を進めている。これらの動きを見れば、日本に対する「脅威」が高まったという認識は、間違いとは言えないのではないか?
こんなふうに思われる方も少なくないと想像します。メディアの報道、特にNHKニュースの報道をそのまま素直に受け止めれば、北朝鮮や中国の「軍備増強」に、日本が圧迫されているかのような「イメージ」が視界に出現します。
しかし、ここで一度立ち止まって「北朝鮮や中国は、何のために軍備増強を行っているのか」を考えてみてはどうでしょうか。
たとえば、北朝鮮が国民生活を犠牲にして進める、ミサイルや核兵器の開発目的は何なのか。
日本に侵略して領土を拡張するためではありません。侵略の大義名分も、部隊を日本に上陸侵攻させる能力も、北朝鮮は持っていません。
その対象は事実上、かつて朝鮮戦争(1950年に勃発、1953年に停戦)で自国を存続の危機に追い込んだアメリカただ一国であり、アメリカが自国の国家体制(指導者である金一族を中心とする国家体制と秩序)を軍事力で打倒することを阻止する目的で、米本土を攻撃できる大陸間弾道弾(ICBM)を含むミサイルや核兵器の保有を進めているのです。
つまり、日本列島の在日米軍基地を別にすれば、北朝鮮の指導部にとって、日本は「眼中にない」のです。米軍と切り離した形で日本を攻撃する理由は見当たりません。
中国の場合も同様で、軍備増強の第一目的は「日本を攻撃するため」ではなく、「アメリカと戦争になった場合に有利な状況を創り出すため」です。中国は、インドとの国境紛争や無人島の奪取を別にすれば、領土拡張目的の対外侵略を、一定数以上の人が住む領域に対して行ったことがありません。
国共内戦末期に軍事力で支配下に置いた、チベットとウイグル(新疆)については、同化政策を「文化的な侵略」と見なしたり、それに従わない住民の迫害や虐殺を「人道的な侵略」と見なすことが可能ですが、国際関係の文脈では、チベットもウイグルも当時は独立国としての地位(他国の外交的承認)を持っていなかったので、国連を含む国際機関は今でも、両地域の問題を「中国軍による他国への侵略」でなく「中国国内の人権侵害や虐殺」という形式で批判しています。
かつて清国の領域内だったチベットやウイグルと違い、日本は過去に一度も、清国を含む中国の領域に併合された歴史がありません。従って、中国軍が日本人の住む日本列島に軍事侵攻を行う大義名分がありません。
近い将来に、日本が中国と戦争する可能性は存在します。一つは、無人島である尖閣諸島をめぐる領土紛争。そしてもう一つは、何らかの理由で勃発した米中戦争に日本が巻き込まれるという展開。しかし、ウクライナでのロシア軍の苦戦と戦争の長期化は、習近平政権に、紛争や戦争を自国が起こした場合の「戦略的なマイナス面」を再認識させているであろうと考えられます。
軍事費の増大に抵抗できなかった1937年の帝国議会
1937年3月7日付の大阪朝日新聞朝刊2面のコラム「天声人語」は、冒頭で述べた予算審議における当時の衆議院の対応について、次のように批判しました。
「二十八億円の厖大予算は、ついに申し訳の付帯決議で、衆議院を通過することになってしまった。最初は三十億円だったのが二十八億円に減ったのは、いうまでもなく結城『興銀蔵相』が地方交付金の削除によって地方農村を見殺しにした結果にほかならない。
軍事予算に至っては少額の『見合わせ』以外一銭一厘の削除も加えずそのまま鵜呑みにしてしまったのだ。
ここで事柄を是非ハッキリさせておかねばならぬのは、衆議院が心からこの尨大軍事予算を至当と認めて鵜呑みにしたわけではなく、反対する勇気を欠くために渋々ながら協賛したという一事についてである。これは少しも憶測ではない。(中略)
議会とはそもそも何をする機関か、心にもない屈服と、腑甲斐ない悲鳴に終始する場所といわれても返す言葉はあるまい」
また、同年6月30日付の大阪朝日新聞朝刊1面の見出しは、「画期の予算編成方針決まる」「『金』と『物』の両建て」というもので、前日の閣議で承認決定された昭和13年度(1938年)の予算編成方針について、次のように報じました。
「国防充実の必至と物価騰貴の真っ只中に、未曾有の尨大化を予想される明年度予算」「全体として物資力の供給増大には自ずから限度があり、半面国防費を中心とする歳出の膨張は相当程度に上る情勢におかれている点から見て結局国防そのほか政府関係の緊急なる物資の需要に応ずるためには民間の消費はある程度の抑制を余儀なくされる」
日本が中国との全面戦争へと突入したのは、この記事が世に出てから、わずか1週間後のことでした(7月7日の盧溝橋事件)。それ以降、大日本帝国は1945年の破滅的な敗北まで、大きな方針転換を行えないまま、内外で多くの死傷者を出す戦争に邁進しました。
つまり、桁外れの軍事費増大は、国に平和をもたらさず、その逆となったのです。
グロテスクなほど軍事費に偏重した予算の成立から85年が経過した2022年の日本人は、そして朝日新聞は、当時の経験から何かを学び取ったと言えるでしょうか?
当時の大日本帝国では、一人一人の国民は「主権者」ではなく、国防の議論において「守られる対象」でもありませんでした。国防の議論で「守られる対象」は、国の支配層(天皇を中心とする国家体制と秩序=国体)でした。軍人もそれ以外の国民も、支配層を守るために自分の命や暮らしを捧げることを自らの義務と考えるよう教育勅語などを通じて仕向けられ、生活上の不便や苦労が増え続けても従い続けました。
われわれは、またあの時と同じ場所へ連れて行かれようとしているのではありませんか?
日本人が真に警戒すべき脅威は、国の外と内のどちらにあるのか、今はそれを冷静に考えるべき時だと思います。