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ゆっころんのブログ

12月5日はネルソン・マンデラさんの命日  『貧困は自然のものではなく 人間が生み出したものだから 貧困は人類の手で克服し根絶できます』

中村隆市さん(ウィンドファーム代表)のFace bookより

12月5日は、若くしてアパルトヘイト(人種隔離政策)反対運動に身を投じ、国家反逆罪で終身刑の判決を受けたネルソン・マンデラの命日でした。彼は、こんな言葉を残しています。

人間として 何もせず 何も言わず
不正に立ち向かわず 抑圧に抗議せず
また、自分たちにとってのよい社会
よい生活を追い求めずにいることは
不可能なのです

人種隔離政策と終身刑に対する批判が国際世論を動かし、政府はマンデラを釈放せざるを得なくなりました。27年間に及ぶ獄中生活を終えたマンデラはその後、南アフリカ初の全人種参加選挙を経て大統領となりました。

ネルソン・マンデラは、こんな言葉も残しています。

何事も成功するまでは
不可能に思えます

奴隷制やアパルトヘイトと同様に
貧困は自然のものではなく
人間が生み出したものだから
貧困は人類の手で克服し根絶できます

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ゆっころんは、2014年11月~2015年3月6日にかけてのピースボート南回り一週で南アフリカへ行きました。12月23日行きたかった喜望峰(世界遺産)にも着き、オプショナルツアーで、フェリーで1時間弱のマンデラさんの収監されていたロベン島(負の遺産としてユネスコ世界遺産)にも行き、そこで政治犯として暮らした人の案内で島をめぐり、マンデラさんの収監されていた小さな部屋も見てきました。

南アフリカの港へ着く前にはピースボート船内では寄港地関連の映画をみたり企画が開催されます。「遠い夜明け」も部屋でみました。2回目。1回目は家にもまだテレビがあったころ家族がみていたその映画の前を通りかかった私はその映画にひきよせられるように最後まで見てとても心に残っていた。他にも看守がマンデラさんにこころをよせた映画をみました。

シンガポールからこの旅に合流し、モザンビークまで南アフリカの音楽グループ「アフリカン・ユース・アンサンブル(AYE)」が乗船。その間コンサートが開かれ、ファイナルコンサートでは、ワークショップで練習を重ねてきた『Jikele Maweni(ジケレ・マウェ二)』。アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃に尽力した、南アフリカのグラミー賞歌手ミリアム・マケバによるものです。

反アパルトヘイト活動から国外追放処分を受けながらも、黒人解放を訴え続けたミリアム・マケバ。南アフリカでは「ママ・アフリカ」の愛称で親しまれ、反アパルトヘイトの象徴とも言える存在です。この『Jikele Maweni』は主に女性たちの権利回復運動のシンボルとなっていたそう。明るく楽しい、そして力強い、未来への希望を感じさせるような曲です。振付も簡単で、歌いながら楽しく舞台で踊り歌いました。

2014年12月86回ピースボートクルーズより

 

ア フリカン・ユース・アンサンブルは、南アフリカ共和国の首都・ヨハネスブルク近郊の「旧黒人居住区」ソウェトを中心に活動する音楽グループ。南アフリカが まだ、アパルトヘイト(人種隔離政策)の下にあった1984年に設立され、子どもたちにクラシックや民族音楽を教えています。

設立から 20年以上が経ち、現在は世界で活躍するプロの演奏家を輩出するほど、実力のある音楽グループとなりましたが、設立当初からの目的は「子どもたち に夢を与えること」。南アフリカでは、根強い差別や貧しさから、無気力になったり、犯罪に走ってしまったりする若者が少なくありません。新しいことを学ぶ 場や目標があれば、夢をもって生きることができる――そんな思いからアフリカン・ユース・アンサンブルは設立されました。

歌、踊り、音楽は世界の共通語であり、人である原点に戻れる文化だと思う。そんな船旅のことをマンデラさんの命日の知らせをみて思いだしました。私の部屋には南アフリカの国旗デザインの壁掛けがあります。

南アフリカの国旗(みなみアフリカのこっき、英語Flag of South Africaアフリカーンス語Vlag van Suid-Afrika)は、南アフリカ共和国国旗である。

ネルソン・マンデラの言葉であるレインボーネーションからレインボーフラッグ英語Rainbow-Flag)とも呼ばれる

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