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野入日記170903 野入・小田木の行者岩めぐりに参加

今回で7年目にはいる稲武交流館主催の「稲武の歴史を知る」ツアー、今年度6回目のテーマ「野入・小田木の行者岩めぐり」に参加しました。野入にも歴史がありそれらを知ることでこの野入の地についた暮らしができるような気がします。地蔵さんや岩などが、いままでは単なる風景でしたが、歴史の上に一緒に暮らしているような気がします。

以下当日の資料より

「行者(ぎょうじゃ)とは、さまざまな修行を行う者ということで、仏教に限らず、広く古代インド宗教全般に見られる。中国や日本においては、特に山岳修行を行う者を指すようになり、修験道の開祖である「役小角」(えんのおづの)は「役行者」(えんのぎょうじゃ)と呼ばれている。俗人のまま修行を行う。行者と山伏は一つと考えられている。

山伏とは・・・山に籠もって厳しい修行を行うことにより悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教で、それを行う者を修験者または山伏と呼ぶ。」

野入を過ぎて、国道沿いにある野入33観音を車窓からみて、大きな一枚岩の野入行者岩の近くまで行くことができました。以前は栗の木や竹に覆われ国道153号線からは見ることはできなかったけれど、村の人が整備して階段もつけ身近に見上げることができました。

行者像

この夏のお祭りに出かけた、野入の家からすぐ近くにある神明神社には源七さんの慰霊碑がありました。

「野入の山で木地師を入れたことから見解の違う稲橋、武節、桑原との争いになり(つまり領地争い)山で乱闘の末、武節村の庄屋を叩き殺してしまった。村役人が赤坂代官所へ自首して出た。組頭の源七が『私がやりました』と一人で罪をかぶって打ち首になった。その源七の霊を慰めるために村では神明神社の境内に慰霊碑を建てて遺徳を後世に伝える。」

その神明神社のすぐ隣にはその子孫が今も暮らしてみえます。

神明神社まで行く、野入の家からの道の途中には「牛頭天王(念仏塔)」があります。今回のツアーに参加してその意味も知りました。

『津島神社の祭神といわれる。稲武には一体だけあるという。野入には牛がいた記録があるが、杣路(そまじ)峠を越えるのに牛を使ったと思われる。馬頭観音と同じ意味を持つのではないだろうか。』

史跡ツアーに参加すると馬頭観音に出会います。馬頭観音を調べてみると…..

『観世音菩薩の化身で,六観音の一つ。忿怒相をもち,人身で,頭が馬のものと,馬の頭飾りを戴くものとがあり,馬頭は諸悪魔を下す力を象徴し,煩悩を断つ功徳があるとされる。しかし一般には馬の無病息災の守り神として信仰され….』

他にも行き倒れになった人を看病し、亡くなった人を埋葬したという話もあり、後日名倉のある農家さんを尋ねた時にもお地蔵さんがあり、それは昔行き倒れになった人を埋葬してたてたお地蔵さんだと聞きました。

次回9月23日のツアーも楽しみ内容ですが、都合がつかず参加できないのが残念です。

「稲武にある武節城の歴史、三河の最前線にあって果たした役割、長篠合戦を逃れて武田勝頼・武節城に泊まる」 会費:100円 申込:稲武交流館 0565-83-1007

 

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