映画「未来を花束にして」
【内容】実話をもとに、1910年代のイギリスで参政権を求めた女性たちの姿をキャリー・マリガン主演で描いたヒューマンドラマ。1912年、イギリス・ロンドン。洗濯工場で働く24歳のモードは、同僚の夫と幼い息子の3人で暮らしていた。ある日、女性参政権運動活動家である友人に代わって公聴会で証言し、「今とは異なる生き方があるのでは?」という疑問を持つようになる。それがきっかけとなり、モードはWSPU(女性社会政治同盟)のリーダーであるエメリン・パンクハーストの演説を聞き、デモにも参加するようになる。しかし、女性の政治活動を不満に思う男性も多く、夫からは家を追い出され、息子と会うことも禁じられ、さらに工場長からもクビを宣告されてしまう。
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2月17日に伏見ミリオン座で「未来に花束にして」を観てきました。公聴会で問われ、生まれたところは洗濯工場。父親は誰か知らない。7歳からパートで働き12歳で仕事を任される、そんな人生をそのまま受け取っていた一人の女性が「他の生き方もあるかもしれない」と思って運動に参加。映画の中では50年間平和な運動をしてきたが今は立ち上がる時と、まどガラスに石を投げたり、〒ポストに火をいれたり、首相の建築中の建物を爆破したりと行動に移すが、新聞にはベタ記事のみで、さらに命をかけての抗議をする女性達。国王も観戦するダービー場で馬の走るコースへ入り命を落とす一人の女性の死は世界の大ニュースとなり、葬式も盛大な行進となった。途中から黒白の実写フィルムになった時は、胸がジーンとした。事実なのだ。
映画では最後に国別に女性参政権を得た年号が流れていた。最後は2015年サウジアラビア。
1913年2月19日 エメリン・パンクハーストさんが女性参政権を要求して首相官邸へ実力行使。彼女は1903年に女性政治社会同盟を結成、何度も逮捕されるが獄中でも絶食して抗議を続け、ついに1918年イギリスの女たちの手に参政権をもたらした。(ジョジョ企画10年日記わたしの人生記録帳「満月」より)
日本では
1928年2月18日 男子のみ普通選挙第1回総選挙が2月に行われることになり、婦選獲得連盟と東京連合婦人会は「国民生活に理解あるまじめな人格に投票するように勧めること、婦人にはまだ参政権がないことを知らせること、婦人参政権の必要を説くこと」など10箇条をつくり、東京市内で普通選挙達成デーの行動。(ジョジョ企画10年日記わたしの人生記録帳「満月」より)
2月18日は、母の命日。私の三男が8ヶ月の時、朝起きてこなかった母。もう33年も前のこと。兄弟姉妹4人(私は末っ子)一緒に食事をし、在りし日の母を語り合いました。大学受験の朝に赤飯を炊いてくれたから、だから俺は赤飯が好きなんだと言う長男は80歳に近い。私は「幼稚園の時、家出したよね~」って話をした。どうしてしたのか理由は覚えていないけれど家出という形はとっていた。そんなことどうしてしたのか不思議です。
私たちにとって4人とも本当に母政子の生き方を尊敬しています。戦中戦後を生きてきた母には参政権を得た時は何を思ったのでしょう?